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 いつものように静まり返った城の中、蠢く異形の従者たち、何も変わらない城内の景色。


 しかし唯一変わった物がある…『匂い』だ。


 埃臭い城内の頂上、そこの匂いがまるで違う。

 何かが腐敗したような異臭、それがうっすらと充満していた。


 城の頂上には黒魔道師の書斎がある。

 開け放たれた部屋の中には異様な光景が広がっていた。

 あれ程にまで高く積み上げられていた大量の本は全てなぎ倒され、大きな机の上には何重も何重も描かれ、解読不能となった文字や記号が殴り書かれていた。

 そして床…大きく広がったどす黒い血溜まりが乾き、固まり、広がっている。


 腐臭は奥の寝室から生み出されていた。


 ベッドの上に静かに横たうのは、そろそろ死後五日が経過するであろう女の死体。


 匂いの根源は彼女だった。


 真冬のこの次期、火も灯す事の無い冷たい城内と言えども生きる能力が既に失われた人間の肉体は日に日に腐敗を進ませていた。

 だが、そんな腐臭漂わせる女が眠るベッドの傍らには漆黒のローブを身に纏った男が生きる屍のように寄り添っていた。

 艶が完全に無くなりパサパサになったブロンドの髪を無心のままに撫でながら青白い顔を眺める。


 


 ────────この女はこんなに美しかったのか…


 まだ息をし、肌が暖かかった時にはそんな事など全く思いもしなかった。

 何度かこの腕に抱いたがこの美しさには気付かなかった。

 常にそばに居る事が当たり前であり自然だった。

 この女が私を欲していた事には気付いていたが、私にとって女が特別な存在であるとは思っても居なかった。

 それなのに、この腕の中で苦しみもがき、死んでいった最後のあの感触が今もなお生々しくこの手に残っている。

 死の間際、焦点の定まらない視線で必死で私を探していた吸い込まれそうな程に澄んだ青い瞳が今もなおこの目に宿っている。

 私を見つけた時の最後の微笑が失われたとき、全てが音を立てて崩れた。

 心に大きな穴が開きこの世の終わりを悟ったような喪失感が押し寄せた。

 失ったその日はその喪失感を埋めるために研究により一層没頭した。

 だが、どれ程の時間が経ってもその穴は広がるばかりだった。

 夕食を運ぶ存在が来ない…「眠らなくていいのか」と問う声も無い…パンを焼く匂いもしない…そしてやっとこの女の存在が掛け替えの無いものだと知った。

 それを知った時、私は狂ったようにこの女を生き返らせるための手立てを捜した。

 部屋中のありとあらゆる本を読み漁り、今まで得てきた全ての髄を合わせ、魔方陣を書き殴った。

 それでも私が培ってきた黒魔導というものは他を殺める術は豊富にあっても生き返らせる術は何一つとして無い。


 癒しの魔法さえも…


「何故何も出来ない…この力は一体何の為にある」

 死人を生き返らせる死霊術はある、だがそれは死体の腐敗を止め、操る術だ。

 死に人形では何の意味も成さない。




 全ての望みが絶たれた時ガドリールは無意識のまま、失われた存在の匂いが強く残るベアトリーチェの部屋に足を運んでいた。

 クローゼットからドレスを引きずり出しベッドに顔を埋める。

 生きていた存在を必死に感じようとしていた。

 その時に見つけた…ベッドサイドに置かれていた小さなテーブルの引き出しに隠されていた一冊の日記。

 彼はその日記を自分の部屋の寝室に持ち込むと、死体の横でページが剥がれ落ちる程に何度も何度も読み返した。

 今まで自分が開いていた膨大な魔導書よりもずっと多く…書いてあるのは全てが黒魔道師の事だった。

『ガドリールが朝食を食べてくれた』『今日は会話をしてくれた』などの本当に他愛の無い事だ。

 だが、そのどれもに匂いがあった。

 ベアトリーチェらしい匂いが…

 そして彼女が命を失う前日に記した最後のページ、そこには夢が書かれていた。


 幼い頃の憧れが…


 純白のウェディングドレスに身を包んで永遠の愛を誓う、白百合のブーケを手に指輪の交換。

 理想のドレスを描いた絵まで入っていた。

 まるで幼い少女のように純朴な夢。


 ガドリールはふとベッドに横たわる死体の左手に光るアクセサリに目を止めた。

 大きな窓から降り注ぐ冬の青白い月明かりに照らされ左手の薬指が鈍い光を放っている。

 金のシンプルな指輪だ。

 そう言えば発作を起こす前に自分に何かを手渡そうとしていた。

 ふと忌まわしい記憶を辿ると彼は書斎に足を向けた。床に広がるどす黒い血の塊、その中に


 …あった…同じく鈍い光を放つ金のリングが…


 血の塊からそれを引き抜き、愛しい亡骸と同じ左手薬指にそれをはめてみる。

 まるでサイズを測ったかのようにピッタリとはまる。

「ベアトリーチェ…」

 魔導書に埋もれた水晶の箱が目に入る。

 厳重に魔法で施錠されたそれが自分を呼んでいた。


 まだ残っている…あの女を生き返らせる方法が…死霊術でもない…魂も肉体も元のままに蘇らせる術が…


「リュイーヌ・デュー…封印を解き、再び私の魂と融合したいか?」

 破滅の神を制御し、統制する力と知恵がまだ不十分だ。

 恐らく融合してもこちらが取り込まれ、理性が崩壊した化け物になってしまうだろう…

 寝室で眠るベアトリーチェ…既に腐敗が始まり、いずれ朽ち果ててしまう。

 うじにあの白い肉体を貪り食われ、奪い去られてしまう。


 ガドリールには迷う理由など何一つ無かった。


 ベッドの死体に歩み寄るとその硬く硬直した石のような唇に唇を重ね、誓いを立てる。


「いいだろう…お前の望み通り永遠の愛を誓ってやる。リュイーヌ・デューという名の狂神の前で…」


 ベアトリーチェの日記から剥がれ落ちたウェディングドレスの絵とそれを着る死体の寸法を、召還した異形の使い魔に渡すと、持たせられるだけの報酬を託し、街に解き放った。


 もはや人を捨てる事に何のためらいも無い。


 幼い頃から理性を奪われる事…自我を失う事を恐れてきた。

 自分の中に眠る、狂える神を封じるために両親をも手にかけた。

 肉親の魂を(にえ)に、もう一人の自分であるリュイーヌ・デューをこの魔導書に捕らえたが、いずれは解放されてしまう。

 その時のために長い年月を犠牲にして来た。

 己の理性で制御、統制するために。

 しかし今はそんな恐れをもかき消してしまう程の痛みが心を蝕み、理性や自我を失う事などどうでもよくなってしまった。



 今は力が欲しい…人の輪廻さえ覆せる程の力が…


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