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少女

今回は少し長めです。

 その出来事から一ヶ月、季節が夏に移り変わろうとする頃、その騎士団を纏める男は極秘でザグンザキエル教皇から召集を受け、驚きの依頼を受けた。


「アカトリエル騎士団長、私の依頼を聞いていただきたいのだ…」


 老人は車椅子を押されながら大聖堂に続く長い廊下の中で小さく切り出し、しばらく唸ると

こう言った。


「領主ドミネイトに制裁を下して欲しい」と…………


 男は耳を疑った。

 人の命を尊ぶ彼からそんな言葉が出るとは思いもしなかったからだ。


 彼らの制裁は即ち殺人だ。


 アカトリエルは機械的な言葉で「何故」と短く聞き返した。

「女神が嬲られているようで辛いのだ。この私の目が辛うじて光を灯している時にもう一度あの笑顔が見たい」

 老化で既に片目の光を失っている教皇はもう片方の白くなりかけた瞳で遠くを見つめていた。

 彼が言う女神とは恐らく領主ドミネイトの一人娘の事だろう…教会や我々の間でも少女の噂は度々聞く。


 騎士団が愛する女神像と似通った容姿をした聖女だと………


 一部では何百年かに一度生まれる、女神の転生した娘だと言うが、アカトリエルはそれを認めない。

 女神と同じ名も、あのドミネイトが付けた名だ。

 娘には同情するが所詮はあの暴君が教会を支配するために自分の娘を女神と位置づけ、故意に女神と似せているに過ぎない。

「女神ではありません。どうぞお気を確かに……」

 彼は教皇にそう答えた。

 ドミネイトを殺す事は簡単だ。

 実行しようとすれば今すぐにでも可能だが、その時点では制裁を下す気はなかった。


 制裁を下す価値もない生き物だと(さげす)んでいたからだ。


 思えばそれは男の高慢の一つだったのかもしれない。

 教皇は「そうか」と小さく呟くとそれ以上は何も言わなかった。



 ドミネイトがエテルニテを統治していた時でも年に一度、女神への感謝を捧げる豊穣祭には目立った行動は控えていた。

 その時の愚行は女神の冒涜ととられるからだろう。

 そして双剣徒長である男自信も豊穣祭の日に限っては、ドミネイトが女神への冒涜行為を起こしたのなら躊躇(ためら)わずに剣を抜けと部下に命じていた。




 豊穣祭の夜、男は一人、誰も居なくなった教会に足を運んだ。

 

 愛する女神に祈りを捧げるために。


 彼の両親は普段、誰も知る事の無い東の樹海の中でひっそりと暮らしていた。

 忌まわしき国の男と、彼と交わった修道女の母は自らエテルニテとの間に壁を作ることでその罪を(あがな)い続ける事を誓ったのだろう。


「貴方が私達の子供だと、他の人たちに教えてはダメよ。それが貴方の一番の幸せ」


 母はそう言って教会騎士を目指し始めた彼を里子に出す事を許可した。

 相手は女神の騎士団と呼ばれる裏組織の長だった。


 初めてエテルニテの女神像を目にしたのは十二の時……。


 それが彼の始めての恋であり、信仰の始まりだった。

 細腕で剣を掲げる凛とした女性像に心を奪われ、彼女のために全てを捧げようと今の里親である前騎士団長の後を継ぐ事を決めた。

 影で生きるのには何の抵抗もない。


 生まれた時から男は影で生きて来たのだから……


 人が消えた深夜の女神との逢瀬が私の唯一の楽しみだった。

 そしてその晩も彼は婚姻を交わした女神に会いに行っていた。

「女神ベアトリーチェ……この心に宿るも決して手の届かぬ我妻……貴方が生身の女性であれば私はどれ程楽になれるか…」

 自分に言い聞かせるように語りかける彼の後ろで何かが動く気配がした。

 反射的に剣に手を掛け振り向くと言葉を失った。


 大聖堂の前列の長椅子で少女が眠っていた。


 透き通るような白い肌、黄金色に輝く髪、清楚なローブ……年の頃は十四・五歳だろうか、この世のものとは思えぬほど美しい少女が身体を丸めるように横たわっている。


 彼が領主ドミネイトの娘と出会った始めての夜だ。


 少女はうたたねから覚醒するとゆっくりと起き上がった。

 咄嗟に彼は姿を(さら)さぬよう柱の影に身を隠した。

 少女の意識がはっきりと覚醒する前に足音を潜めながら、男は大聖堂の二回廊へ続く階段を上り、無数に並ぶ天使像の影に身を潜め、下の娘を眺めていた。


 噂には聞いていたがまさかあれ程だとは……。


「女神様、ご免なさい。私はまたお父様の言いつけを破って夜の教会に来てしまいました」


 少女は何かに怯えるように周りを見回すと、女神像の前に跪き、祈りを捧げた。


「お父様と一緒に居るのがとても怖いのです。お父様は私を愛して下さっています…でも、お母様の愛とは何だか違う気がします。それ所か私の心は実のお父様に憎しみを抱いてしまっています。そんな私はとても罪深い人間でしょうか」


 ステンドグラスから注ぎ込む月の光が照らし出す娘の瞳には涙が浮かんでいた。

 教皇が言っていた言葉の意味がようやく分かった気がした。

 作られた姿形だとはいえ、汚れを知らない内面の美しさを身に纏う少女が苦悩している姿は女神を愛する騎士たちには苦痛を与える。


「私は女神様にはなれません……それでもお父様は分かってくれない……」


 女神の慈悲深い顔をしばらく見つめると少女は肩を落として首を横に振った。


「こんな私には女神様の声は届かないのですね…」


 その時教会の扉が開け放たれ少女は肩を震わせた。

 領主ドミネイトが鬼のような形相をしながら娘に歩み寄ると、その細い腕を締め上げる。

 短い悲鳴を上げ恐怖に(おのの)くその姿が男の目に未だに焼きついていた。


「ベアトリーチェ!! お前はまたこんな夜更けに外を出歩きおって!!! どこぞの男にその身を汚されたらどうするつもりだ!!!」


「ごめんなさい!! ご免なさいお父様!!!」


「よもやこの場であの男と逢引などを考えているわけではあるまいな!!! 神学校に通う修道士でもお前に手を出そうとするのならばこちらにも考えがある」


「違います!! クラージュお兄さんは関係ありません!!! 修行中のお兄さんには私は会えないもの!!!」


 泣き叫ぶ少女を目にした時、男の手は剣に掛かっていた。

 寸前の所で自分を押さえ込んでいたが………この時にその剣を抜いていればエテルニテの行く末は変わっていたのかもしれない。

 何度も何度も「ご免なさい」を繰り返す娘の姿にドミネイトが豹変した。

 床に崩れる娘の肩を抱きかかえると、その肩を摩りながら


「分かっているのならいい……さぁ家に帰ろうな……お前に誕生日プレゼントを用意してあるんだよ」

 と囁き、娘は父に連れ去られた。



 それから数日、男の心には強力な後悔の念が纏わり付いていた。


 何故あそこでこの力を使わなかったのだろう……と……


 その後悔を拭い去るために彼は決断を下した。


 領主ドミネイトをこの剣で切ろう……


 しかし、事は意外な方向に流れていた。

 領主の娘ベアトリーチェが失踪したのだ。

 ドミネイトは狂ったように娘を探すための召集をかけていた。

 暴君は何人もの住人を縛り上げ情報を得るのに必死になっていた。

 そして得た唯一の情報が魔城を望む樹海で彼女を見かけたというものだった。


 黒魔道師に連れ去られた………そう結論が下された。


 ドミネイトは自分の部下を引き連れ魔城とエテルニテを結ぶ樹海へと足を運んだ。

 依頼箱に火を放ち、崖の上の城主を呼ぶための狼煙(のろし)を上げたのだ。

 その翌日の事だ…アカトリエルが手を下す事もなくドミネイトが無残な死を迎えたのは。

 そして、その日を境にエテルニテ全ての民に異変が起こった。

 ドミネイトの一人娘ベアトリーチェの記憶が全ての者から消え失せていたのだ。

 あの教皇でさえも彼女の存在を否定した。

 

 百万の人間の記憶を一気に改竄(かいざん)してしまう程の強大な忘却魔法………

 それに掛からなかったのはアカトリエルと、その父だけだった………


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