堕落の司祭長
日が翳り、夕暮れが近付いた頃マルガレーテは他の修道女達とヨエルの夕食作りに追われていた。
ザグンザキエルが生きていた頃とはがらりと変わり豪華な食材の調理を指示されている。
水曜の夜でもないのに高価な肉が用意され、味付けも調味料をふんだんに使った物が要求されていた。
「マルガレーテ…今夜はヨエル司祭長の元にあなたが食事を運んでくださる?」
年配の修道女が申し訳なさそうにそう呟いた。
「はい。畏まりました」
そう返事を返すが彼女の顔は酷く沈んでいた。
ヨエルについての噂は修道女の間ではあまり良くない。
毎夜酒を飲み、派手な女を侍らせる。
若い修道女の少女にも淫らな事をしてはその権力で事実をもみ消したりとの悪行の数は計り知れない。
好色さに至っては暴君ドミネイトとも引けを取らないとまで言われていた。
一人では食べきれ無い程の豪華な食事をワゴンに乗せ、彼女は重い足取りで教会の司祭長室に足を進めた。
「アカトリエルめ! ワシをどれだけ愚弄すれば気がすむのだ!!!」
廊下を歩いていると奥から司祭に取り囲まれた体格のいいヨエルが怒りを露にしながら歩いて来た。
周囲の三人の司祭達は彼の機嫌を必死でとろうとお世辞の数々を並べ躍起になっている。
「ヨエル司祭長、落ち着いて下さい。来ると言っているのですからよろしいじゃありませんか」
「ワシが指定した時間は午後一時だぞ! それを何の返事もよこさず、挙句の果て夜に足を運ぶだと?! あやつめワシの顔を悉く潰しよる!!!」
風船のような顔を真っ赤にしながら怒り心頭で怒声を振り撒くヨエルの顔がマルガレーテを向く。
ビクリと身体を震わせる彼女が深く会釈をすると彼の顔が不意に嫌らしい笑みを浮かべた。
「おおぉ…これはシスターマルガレーテ。ワシの食事を運んで来てくれたのかな?」
不自然な猫なで声がヨエルの邪な心の奥底にある欲望を曝け出していた。
取り巻きの司祭達は途端に上機嫌になった彼にほっと胸を撫で下ろしたが、それと同時に哀れみの目でマルガレーテを見つめた。
まるで罠に掛かったか弱い獲物を見るかのように………
ほうほう…と頷きながらワゴンに並べられた食事を眺め彼は馴れ馴れしく彼女の肩に手を添えた。
「あの、それでは司祭長…私達はこれで…」
司祭達は慣れたタイミングで会釈をするとそそくさとその場から立ち去った。
これから行われる許されざる罪を見ないように。
「さぁさぁ…ワシの部屋へ食事を運んでくれ」
肩に添えられた手はいつしか腰に当てられマルガレーテはさり気なく身体を捩り抜け出そうとしたが、高価な貴金属を付けたヨエルの手がそれを許さなかった。
「あの…止めてくださいヨエル様…」
「何を言っておる。おうおう、何とも愛らしい顔をして……」
手が腰から下に移動してマルガレーテは「いやっ」と叫び思わずその手を振り払った。
飛びのいた彼女を見つめていたヨエルの笑顔が見る見ると豹変していく。
汗ばむ額をじっとりと濡らしその目が猛烈に睨みつけてくる。
「嫌だと? シスターマルガレーテ…このワシが折角目を掛けてやったというのにその態度はなんだ!!」
手に持った際杖を振りかざした男の姿に彼女は床に座り込み防御体制を取った。
背中が打たれる!
歯を食いしばるが………いつになってもその背に強力な一撃は加えられなかった。
恐る恐るヨエルを見上げると……そこには鋭い刃を喉に押し当てられ身じろぎでさえ出来ないで居る司祭長の姿があった。
「何をしているヨエル司祭長」
真っ白なローブを被った双剣徒が肉に覆われた首にその長剣をピタリと当てたまま立っていた。
咄嗟にマルガレーテはその双剣徒の後ろに身を隠す。
「アカトリエル騎士団長…ずい分とお早いご到着だな…」
声は震えていた。
「………エガリテ殿も連れて来た。豪勢な夕食の前に話がしたい………」
空を切る音を立てて剣を鞘に収めたと同時にヨエルは崩れ落ち、急いで自分の首に手を当て傷を探した。
そして自分の手を見つめ、首が繋がっている事に安堵し立ち上がる。
「いいだろう」
ふんっと鼻を鳴らすと乱れたローブを整えヨエルはアカトリエルの背に縋り隠れるマルガレーテを睨みつけながら廊下の奥にドカドカと足を踏み鳴らしながら歩き出した。
廊下の奥に消えて行く肥えた背をしばらく眺めると、アカトリエルは自分の後ろで怯える修道女に目を移した。
その手はしっかりと彼のローブを握り締めている。
「…………放せ…………」
「えっあっ……」
「修道女がそう簡単に女神の夫に触れるものではない」
「あっ…あっ…すいません! 助けていただいて有難うございました」
「………シスターマルガレーテと言っていたな………丁度いい、お前も会合に参加してもらおう」
その言葉に彼女が目を丸くした。
女神の騎士団長が足を運んでまで参加する会合ならばエテルニテの重鎮たちのものだ。
自分のような新米修道女が参加するようなものではない。
マルガレーテは急いで首を横に振った。
「そんな私などが立てるような席ではございません」
「構わん。こちらに都合のよい情報をお前は手に入れたのだからな。それを領主の前で披露してくれるだけでいいのだ。……付いて来い」
彼女の返事を聞くともなくアカトリエルは足を進め、マルガレーテは仕方なしに彼の後ろについた。
目の前を歩く大男の背を見ながらたどり着いたのは教会の地下にある牢部屋だった。
牢の管理を任されている修道士が白ローブの大男を見るなり祈るように手を合わせた。
「クラージュ司祭と私の部下が捕らえた少年の牢の鍵をいただきたい」
何のためらいも無く二つの鍵を彼に手渡す修道士の姿がアカトリエルの地位を物語っていた。