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 だが、そんな幸せは思いがけぬ時に崩壊を迎えるもの…


 日は高く昇り、数ヶ月ぶりに深い眠りに付くガドリールを見つめながら、今の幸福を堪能していたベアトリーチェに突如異変が起きた。


 何の前触れも無く襲った胸の痛み…間をおく事無く押し寄せる苦しみ…


(何?)

 体の異変に驚き思わず起き上がった彼女は胸を押さえながら激痛に困惑し、必死で息を整え、体を丸め耐える。

…が…その痛みはものの数秒の内にスウッと消え失せた。

 まるで幻覚のように押し寄せる奇妙な感覚と微かな恐怖に呆然としていると、後ろからガドリールの声が響いた。

「何だ?」

「え?…いいえ…何でもないわ。ご免なさい起こしてしまったわね」

 何を考える事もなく精一杯に普通を装いながら答えると、

「自分の仕事があるから」と言って逃げるように部屋を去った。


 長い階段を急いで下り自室に飛び込み扉に鍵を掛ける。

「なに? 何だったの?」

 一瞬だったがあの痛みは尋常ではない…

えもいわれぬ恐怖が体中を駆け巡り扉に寄りかかり、彼女は床に崩れ落ちた。


 その日を境にベアトリーチェの体には目に見えるような異変が次々と沸き起こるようになっていた。

 あの発作が降って湧いたかのように起きる事があり、日を追うに連れて頻度も発作時間も長くなってきている。


 しかし体に起こり始めた異変に怯えながらも彼女はガドリールの前では常に平静を装っていた。

 もちろん城中を徘徊する異形たちにも知られてはならない…

 彼らに知られれば彼の耳にも入る事になる。

 街に下りて医者にかかるなどもっての他だ。


 気丈に振舞い続け半年の歳月が流れた。

 爽やかな夏が過ぎ、外は雪が舞う冬へと様変わりしている。

 この頃になると彼女の発作は毎晩起こるようになっていた。

 それも僅かな間ではない、時には一晩中胸を引き裂かれるような痛みに襲われる事もある。

 ガドリールと共に居る時に発作が出ない事がせめてもの救いだったが、世が更けてからは極力彼の元には居ないように努めた。

 

 ある日彼女は城の地下に設けてある宝物庫に足を運んだ。

 この城の下層部に来たのは数年ぶりだ。

 城の地下深くにはそれはもうどんなに贅沢な暮らしをしてもなくなる事が無いほどの金銀財宝が山のように積まれていた。

 皆ガドリールが集め、そして自らの錬金術で作り出した物だった。

 これ程の力を持っているのならば恐らく何処の国でも生きていけるだろうが、彼にはそんな支配欲など全く無い。


 ベアトリーチェは山のような財宝の中から大小のリングを二つ探し当てた。

 小さい方を自分の左手薬指に付けて見るとピッタリとはまる。

 それを喜びに満ちた顔で眺めると大きいほうのリングを自分の色々な指に当てはめて見る。


 勘だが…ガドリールのサイズはこれぐらいだ。


 まだ母が生きていた頃、幼かった彼女は街の結婚式というものを見た事がある。

 背の高いゴシック調の建物の中で厳かに行われていたあの儀式…神の前で永遠を誓う一組の男女。

 初めて抱く憧れだった。

 純白のドレスに身を包み、白百合の花束を持った花嫁は聖女のように気高かった。

 そして指輪の交換…


 彼にはそんな事など理解できないだろう、でも指輪ぐらいならしてくれるかもしれない。

 もう長くはないであろう自分の最後の望みを胸にベアトリーチェはガドリールの部屋に向かった。

 しかし、意外なことに部屋のあの場所には彼の姿がなかった。

 代わりにあったのは水晶の様な箱の中に厳重に封印された一冊の分厚い本。

 周りには細かな文字が彫られた鎖が巻かれ、中心にはエンブレムが嵌められている。

 そのエンブレムに掘られた文様には見覚えがあった。

 以前にガドリールから教わった大封印と呼ばれる魔方陣の形だ。

 しかし、助手を務め様々な魔導書を見てきたがこれは始めて見る書物だった。

 厚さは10センチ程、文字も何も書いていない漆黒の表紙が何とも禍禍しい雰囲気をかもし出している。

 何気に伸ばした手が触れようとした所で聞きなれた怒号が木霊した。


「触るな!」


 早足で本に駆け寄って来た黒魔道師はベアトリーチェの手をなぎ払い、その本を取り上げた。

 ここまで感情を表に出した彼の姿は始めて見る。

「な…に?」

「触るな…禁じられた書物だ。普通の人間が触れたら死に魅入られる」

「禁じられた?」

「リュイーヌ・デューバイブル…以前お前に話したな」

『リュイーヌ・デューバイブル』破滅神の書…そうだ聞いた覚えがある。

 全ての黒き力を紐解く呪いの書物の事だ。

 この中には破滅の神が封印されており開き読み解いた者に無限の力を与えると言っていた。

 しかし読み解くには人知を超えた知恵と力を有していないと神に取り込まれ化け物と化すという。

 ガドリールはこの本の声が聞こえると言っていた。


 それではこの本の中の存在を退ける為に知識と力を求めているというのだろうか…


「何でそんな本がこんな所に出ているの?」

 しばらく沈黙すると黒魔道師は首を横に振り、その水晶の箱に入った黒い本を、さらに鋼鉄の箱に納めると魔法錠を掛けた。

「何でもない…」

 どこか腑に落ちない答えだが深く追求する事はあえてしなかった。

 ぎこちない雰囲気の中、あの宝物庫で探してきた指輪を取り出し「あのね…」と言い出した次の瞬間…


 彼女の胸をあの発作が襲い掛かった。


 息が止まり引き裂かれるような胸の痛み、ベアトリーチェの視界は歪み、その体はよろりと崩れ落ちた。

 積み上げられていた本が倒れ音を立てて床に散らばる。


(息が出来ないっ!)


今までの発作とは違う…必死で息をしようと大きく口を開いた瞬間、彼女の口から飛び出したのは異常な量の鮮血だった。


「な…何だ…これは何だ!!」

 突如訪れた彼女の姿にガドリールは息を飲んだ。

 口から吐き下す深紅の液体は滝のように溢れ出す。

「ベアトリーチェ? …ベアトリーチェ!!」

 人間の声とは言えないうめきと共に留まる所を知らない吐血が床に池のように広がっていく。


(ガドリール…)

 名を呼びたくても口から溢れるのは深紅の液体だけ、苦しみ遠のいていく意識の中で必死に愛する人の姿を探し求める。

(ガドリール何処に居るの? ガドリール…)

不意に背中に人の腕の温もりを感じ、定まらない視線でその温もりの人物を探す。

何度か視線が彷徨い続け、やっとその澄んだ青い瞳に自分を見下ろす姿を映し出す。


漆黒の長い髪、鋭い瞳…


(ああ、居た…私の愛する人だ…)


 苦しみの中に不思議な安堵が湧き上がってくる。


…もう苦しくない…あなたが目の前に居るから…


………………………


 激しい痙攣が治まりベアトリーチェの体は一切の動きを停止した。

瞳は光を失い、愛する黒魔道師の腕に抱かれながら彼女は僅か20年の歳月に終止符を打った。


 力無く血塗れた床に落ちる手、夥しい血溜まりの中にはその左薬指にはまる金の指輪と同じ物が寂しげに転がっていた。


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