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閉ざされし記憶

 まだ自分が少年であった頃の記憶には何もいい事がなかった。

 両親が仕え、出入りした領主邸に住まう氷のように冷たい目をした領主ドミネイト。

 奴隷の子供として何度か足蹴にされ(なじ)られた記憶は最近の事のように覚えているのだが、それでも自分は領主の豪邸に何度も通い詰めていた。


 両親から止められても何故あんなに通ったのだろう…


 その理由の部分だけがぽっかりと抜け落ちていた。

 その理由の収まった頭の中の扉をこじ開けようとすればする程に強大な力に阻まれ、この身は悲鳴を上げる。

 それなのに開けなければならないという意志が止め処なく押し寄せた。

 そして、あの声を聞いた時からその意志の働きが尋常では無い物になっている。

「あなたには思い出せない記憶がありますか?」

 唐突に問われてヴェントは周りを見回した。

 どうやら自分に聞いているようだが…

「いきなりなんだよ…思い出せないって…一週間前の夕飯とか…」

 頭を働かせて考えて見てヴェントは三日前の夕飯も思い出せ無い事を知って自分の記憶力の悪さに眉をしかめた。

「私にはあるのです。闇に閉ざされた記憶の奥深くにあると分っているのに手が出せない。漆黒の暗闇の中にとても尊い光があるのにそれを追えば追うほど周囲の闇が濃くなって阻まれてしまう」

「……はぁ……」

 首を傾げながらヴェントはため息に似た返事を返してみた。

 さすが教会関係者というべきか例えが何とも独創的だ。

 こんな知的な感じの知り合いを持たないのでどうも反応に困ってしまう。

 自分の周りにはガサツで男気溢れた知り合い(オランジュ含め)しか居ない。

「………影商人のあなたに、一度確かめたい事がありました」

「え? 確かめたい事?」

「黒魔道師の最後の依頼品の事です」

 クラージュの顔は真剣だった。

 こちらが気圧されしてしまう程に…

「あぁ、アレの事かよ…お役所の奴らが来てまで俺に聞いてきた内容をあんたも知りたいのか」

 ヴェントは少し苛立った面持ちで呟いた。

 何度も何度も同じ内容を役所の奴らに厭と言うほどに聞かれていたからだ。

 その度に何の失敗も無かったと答えている。

「真っ白なウェディングドレスに白百合のブーケだよ」

「国家予算の一割もの報酬に?」

 その言葉にムッとした表情を浮かべヴェントは声を荒げるように答えた。

「知ってるんじゃねぇかよ! 何だよやっぱ俺の不手際で黒魔道師の怒りを買ったって言いたいのかよ!!」

「そんな…いいえ…すいません気を悪くしたのなら謝ります…」

 そしてしばらくの間を置いた後クラージュは目を見開いた。

「あなたの不手際? あなたの不手際って…あなたが依頼を受けた影商人の方ですか?」

「言っとくけどな! 俺は完璧に仕事を果たした!! 不手際があったってんなら商品を手がけた奴らにも当たれっていうんだ!! 奴等全部の責任をこの俺に押し付けてきやがって」

 背を向けて横になったヴェントを見ながらクラージュは顔を横に振り深いため息を吐いた。

「それは酷い…」

「同情なんていらねぇよ…」

「違いますよ、あなたはウソを付いているようには思えない…エテルニテの人々の心はそんなにも荒んでしまっていたなんて」

 静寂の中クラージュが重い口を開いた。

「それでは結婚式の夜に何かがあったのですね」

 ヴェントが頭を上げた。

 鉄格子を隔てた向こうに暗いクラージュの横顔が見て取れる。

「あんた何か知ってるのか? 結婚式って黒魔道師は男だろ? 一人で式って……」

 するとクラージュは周囲を見渡した。

 牢に拘束された者たちは既に寝息を立てている。

 音を立てないように鉄格子に近付くと声を潜める。

「これは誰にも言ってはいないのですが、あの城には黒魔道師の他にもう一人の住人が居ます。私はその歌声をこの耳でしっかりと聴きました。とても澄んだ女性の声でした。賛美歌とも子守唄とも取れる美しい声…目の前に死が迫っていても尚安らぎを与えてくれる歌声です」

 宙を見つめるクラージュの瞳がうっとりと泥酔していた。

「私はその時思いました…女神が降臨されたのだと…………」

「女神って、あんたたちは本当に居ると思ってるのかよ」

「私は信じたい…エテルニテを守る女神ベアトリーチェの存在を…」

「ベアトリーチェ?」

 眉を顰めるヴェントにクラージュは話続けた。


「遥か昔、まだエテルニテが存在する前…戦で故郷を失った民族がこの地に降り立ちました。

 何も存在しない死地で生きるのには過酷で、多くの人が命を落としたと聞いています。

 そんな人々を救ったのがベアトリーチェと呼ばれる光の巫女でした。

 彼女は人々のために戦場で自ら剣を振るい、この地に彼らを誘い、そして精霊たちに祈りを捧げ続け自らの命と引き換えに大自然の恩恵を(もたら)しました。

 大地にはたちまち命が芽吹き山からは豊富な水が湧き上がりエテルニテは生まれた

……それが私たちの聖書に書かれている事です」


 ヴェントはエテルニテの聖書を読んだ事はないがクラージュの話でやっと女神像が剣を掲げているのかが分った気がした。

 教会の女神像を見る度に「何故豊穣の女神が剣を掲げているのだろう?」と何度も疑問に思っていた。


「彼女は20年の生涯を終えるまで純潔を貫き、人々を守る事だけを考え続けていたといいます。

 そんな彼女を守れなかった一人の男は歎き、今度は自分が彼女を守ると誓いをたて、その意志を継いだ者たちが今の双剣徒です。

 彼らは自らを女神の夫と名乗りこの国を守護してきました」


「女神の降臨か。それじゃぁその女神様は今何してるんだよ。自分が命を盾に守った人間が大量に死んでるんだぜ? それにその話を聞いてると…あんたらの女神様はあの城の黒魔道師と結婚したって事になるだろう。それは裏切りじゃねぇのか?」

「それでも! …私は彼女の声に救われたのです…」

 クラージュの頭を再び締め付けるような痛みが襲った。

 頭を抱える司祭の姿を哀れな瞳で見つめながらヴェントは身体を横たえ瞼を閉じた。

(所詮教会の人間は神に縋るだけの存在なんだな。都合の良い事は信仰する神様、悪い事は対峙する悪魔…それにどんな矛盾があっても受け入れてしまう幻想者だ)

「現実はそういうもんじゃねぇだろぅ…」

 呟く言葉が静まり返った拘置所に空しく響いた。


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