双剣徒
ひたすらなる静寂。
再び訪れた夜…エテルニテの象徴のように聳え立つ教会。
昨日までは家を失った民が身を寄せていた大聖堂には今夜は誰一人として居なかった。
教皇の哀れな遺体を回収してすぐにこの教会は封鎖された。
彼の遺体を民に知られる事なく安置するために…
本来ならば今日、教皇の死が告知され、葬儀を行う予定であったが、昨夜警団北本部が崩落しそれ所ではなくなった。
今そんな事を報告しても民たちを更に深い絶望の淵に落とす事になる。
家を失った民たちには全ての警団本部を解放し、そこにしばらく身を寄せる事になっていた。
人っ子一人居なくなった大聖堂に響くのは蝋燭に灯る炎が燃え上がるか弱い音だけ。
千人近く収容できるほどの広さを兼ね備えた大聖堂の奥には色鮮やかなステンドグラスを背にした十メートル近い巨大な白い女神像が佇んでいる。
そして、その前に金の刺繍が施された深紅の布に覆われた教皇の柩があり、そこに一人の男が跪いていた。
真っ白なローブを身に纏ったその修道士は教皇の柩に向かい祈りを捧げると女神像の台座に歩み寄る。
2メートル以上の長身を持つ、修道士とは思えぬ程の大男だ。
彼が足を一歩踏み出すごとに腰に差された長剣がカチャカチャと音を立てる。
柔らかなローブからは物々しい篭手を装着した手が除き、鎧のような銀の靴が冷たさを醸し出している。
彼は自分の右手に口付けをするとその手で女神の台座に触れた。
「アカトリエル騎士団長、敬虔だな」
静寂の中に一つの声が響いた。
ローブのフードを目深に被ったアカトリエルと呼ばれる修道士が振り向いた先に、彼とは対照的な背の低い初老の男が立っている。
肥えた腹を突き出しながらその白髪の男は意味深な笑みを浮かべながら重い体を祭杖に託し教皇の柩に歩み寄った。
その身なりからかなり高等な司祭のように思えるが高価そうな装飾品を身に着けるその男からは何の信仰も感じられない。
「…………………」
「お前たちは相変わらず無口だな。長年女神に仕えるが双剣徒はどうも好きになれん」
教皇の柩に軽く十字を切ると男は修道士を見上げた。
フードに隠れたその顔は人形のように無表情で目は鋭く正面だけを見つめている。
「もう少し敬意を払ったらどうだ? これからの教会を取り仕切る教皇に…」
ニタニタと笑みを零す男を一度横目で見やると彼はさり気ない礼を示し、足を進めた。
「待たんかアカトリエル!! その態度はワシに対しての冒涜だぞ!!! これからお前たちを取り仕切るのはワシだ!何とか言ったら……」
言葉を剣の切っ先が止めた。
その次期教皇を名乗る男の目の前に突きつけられた剣に身体を強張らせる。
「な…何の…何の真似だ………」
「私はお前に仕えているのではない。全ては女神のためだ…勘違いされては困る。ヨエル司祭長」
無感情な冷たい言葉が不気味に響き、脂の乗ったヨエルの額がじっとりと汗に塗れる。
「知らないとお思いか? 女神と婚姻の儀を執り行っておきながらも貴方が何をしているか」
「な…何を言っておる…………」
「私は何時でも女神との契りを違える者に制裁を下せる」
女神に仕えるに当たって全ての聖職者や信心深い信者は皆『血族の儀』という儀式を受ける。
女神の子供になる為の儀式だ。
だが男にだけ許された司祭長や教皇、女神の騎士団たちになる為にはより厳格な『婚姻の儀』というものが課せられた。
その名の通り女神との結婚式だが一度それをしてしまうともう後には戻れない。
女神だけに貞操を捧げ一度それを破れば厳しい懲罰が下されるのだ。
そしてその儀式を受けた男たちには適した新しい名前が与えられる。
例えばここに居るヨエルは『小さな神』。
アカトリエルは『審判長』を意味するらしい。
「何度不貞を働いた? 未だ継続中か?」
押し迫る剣に気押されヨエルの肥えた身体が尻餅をついた。
「ザグンザキエル教皇は女神の夫である事を生涯続けた。貴方はどうだ?」
女神の騎士団は教会でも恐れられている狂信者だ。
無論何のやましい事もしていない者たちには無害だがヨエルのように腐りきった司祭には天敵以外にない。
切っ先が鼻に触れヨエルが情けない悲鳴をあげた。
「やめろ…女神の御前で殺傷をする気か…」
「……女神のために死ぬことが出来るか?」
「死……………??!!」
「私は出来る。女神が望むのならば私の部下たちもその命を喜んで差し出すことだろう」
剣が空を切った。
「ひゃっ」という短い声を上げると同時に、ヨエルの首に掛けられていた金の豪華なネックレスが音を立てて床に散らばる。
がたがたと震える哀れな次期教皇を冷ややかに見下しながらアカトリエルは剣を鞘に収めその場を後にした。
「あいつらは狂っておる…」
彼らには慈悲も何も無い。
あの暴君ドミネイトでさえ彼らを恐れ教会に深い関与はして来なかった。
よく言えば彼らによって教会と信仰は守られて来たのだが、敵に回るとあれ程恐ろしい者たちはいない。
女神だけを一身に愛する集団であり、彼女のためならばどんな事でもやってのけてしまう。
あの考えをかなり緩和させればエテルニテの最強の軍団は彼らだった。