宴
この回にはグロテスクな表現が含まれています。
真っ赤な床に転がる無数の肉。
団員たちが嘔吐していた。
「何なんだ!!!!!!!…」
ジェラールの前に巨大な物が落ちてきた。
熟れた果実がつぶれるような厭な音と共に彼の身体が真っ赤に染まる。
目の前には肉の塊りが転がっていた。
団子のような真っ赤な塊りの中に原型を留めない人体の部品が見て取れる。
食い荒らされ、ぐちゃぐちゃになった複数の団員たちの遺体だった。
長い階段が続く吹き抜けの最上部で漆黒の大きな物が蠢いているのが微かに分かる。
「ぅ…………うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
一人が叫び、団員たちが狂ったように逃げ出した。
「待て!単独行動はするな!」
錯乱し、蜘蛛の子を散らしたかのように散り散りになる団員たち…
廊下の奥に消えた男たちの悲鳴が聞こえたのは、そのすぐ後だった。
やがて悲鳴は肉を噛み千切る音となり、廊下の闇の中からボロボロの身体を引きずった団員の一人が哀願の瞳をジェラールに向けながらじわりじわりと歩み寄ってきた。
次の瞬間男の胴が爆ぜ、崩れ落ちる。
《く……く……く……》
地獄と化した本部の中に何処からとも無く低い声が木霊する。
闇の向こうから無数の赤い光がゆらゆらと近付いてきた。
不気味な衣擦れの音…
廊下の天井に頭が擦れそうなほどの大きな男。
骨の浮き出る青白い身体、そこに刻まれた呪文のような刺青が鈍い光を放っている。
返り血に染まった肉体とは異なり、頭から覆う漆黒の長いベールは血汚れの一つも無い。
その風貌からは考えられ無い程の高貴さを漂わせる美しいビロードの服が崇高な存在のようにも思わせる。
人食い化け物と騒がれているが、ジェラールの目には『それ』が別のものに見えた。
化け物と呼ばれる低俗な存在ではない…
言うなれば『神』だ。
破滅を齎す神…
そちらの方が近い。
「くそっ!化け物がっ!」
溜まらずに団員の一人が携えた矢を放った。
それに乗じて周りの男たちも弓を引く。
意外な事に『それ』は避ける素振りも見せずにいとも簡単に矢は突き刺さった。
「!!」
突き刺さった鏃から赤紫の体液が流れ出した。
《く…く…く…くっくっくっくっくっ…くくくくくくくくくくくくくくくくく…………》
呻きだと思っていた声が笑い声である事に気付き、男たちは体を震わせた。
嘲笑う声が心を凍てつかせる。
パックリと割れた首から不気味な言葉を紡ぎながら、目の前の『もの』はその手をゆっくりと宙に差し伸ばした。
上に向けた掌から無数の結晶が現れ、化け物の周りを浮遊している。
塵のように小さなそれが呪文と共に質量を増してくる。
そして男たちの顔が強張った。
小さな塵の一つ一つに纏わり付いた靄が形成したのは五センチ程の小さな槍だったのだ。
何百という数の水晶のようなそれが全てこちらを向いている。
「逃げろ!!!!!!!」
気付いた時ジェラールはそう叫んでいた。
再び低く紡がれた呪文。
その一つの呪文で全ての槍が発射された。
ジェラールの周囲を囲んでいた団員たちの身体を雨のような刃が貫き、その全てが体内で粉砕した。
人とは思えない断末魔の叫びが修練場に響く。
体内で粉々に砕け散った刃の破片が創造を絶する苦痛を生み出し、血塗れた大地に転がりのた打ち回る部下たち。
無数の瞳と血に塗れた首もとの巨大な口が笑っていた。
(わざと急所を外しやがった!!!!)
恐怖よりも凄まじい怒りがジェラールの五感を貫く。
三日前に犠牲となった部下がこんな風に嬲られ、食われたのかと思うと気が狂いそうになる。
雄叫びを上げてジェラールは大剣を手に目の前の化け物に立ち向かっていた。
この日の為に…
手塩に掛けて育て、息子のように期待していた部下の無念を晴らすべく磨き上げた鋼の刃が容赦なく『それ』の左手を切り落とす。
「うおおおぉぉぉぉぉ!!!!!」
両足で大地を踏みしめ、剣の柄を両手で握り締めながら体重全てを刃に乗せ、切りかかった。
重い音を立てて化け物の胴に吸い込まれる巨大な剣…
不気味な色の血液が飛び散り、彼の顔を汚した。
「!!!!!」
刃が止まった。
まるで骨と皮で形成されているような化け物の胴が彼の全ての力を乗せた刃を止めたのだ。
本来なら両断されていてもおかしくない…
(何故刃が通らん?!)
血管が浮き出るほどに力を込めているにも関わらず、大剣を持った両手は後にも先にも動かない。
「????!」
深くめり込む大剣の刃がおかしい。
こんな時の為に剣の手入れは怠っていなかったはずだ。
自分の顔を映し出すほどに鍛えられた肉厚の剣
…それなのに…
化け物の腰に深く切り込んだ大剣がさび付いていた。
みるみるうちに朽ち果ててゆく刃。
次の瞬間甲高い音をたてて肉厚の刃がガラスのように砕け散った。
砕けた反動で身体がよろける。
「なっ…」
慌てて体制を立て直し、化け物に向きあった時、その身体に突き刺さる矢も砂のように朽ちていた。
それだけではない、
顔が熱い…
ジェラールが自分の頬に触れた時、頬の肉がずるりと剥がれ落ちた。
それと同時に押し寄せる激痛、まるで顔に炎をあてられているようだ。
ここは…
化け物の血を浴びた場所だ!
酸を浴びたかのように崩れ落ちる頬の肉…
それが次第に広がっていく…
意識があるままに崩れていく己の半身…
その痛みと恐怖に捕われながら彼は未だにもがき苦しむ部下の剣を拾い上げ、化け物に歩み寄った。
「殺せないのか…貴様は…貴様は…」
化け物の動きが止まっていた。
『それ』がじっと見ていたのは床に転がる己の左手
…薬指に光る金の指輪…
自分の総てである癒しの女との愛の証…
《あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!》
鼓膜を破かんばかりの不気味な叫びがエテルニテの街中に響き渡り、続いて無数の赤い瞳が、腐りかけながらも剣を掲げる男を睨み付けた。
地を這い蹲る愚かな物が最愛の女と自分を一時でも引き裂いた
…それが許せない。
「!!?」
不気味な口がジェラールを睨みながら何か言葉をを発していた。
理解は出来ないが、それが深淵から湧き上がってくる程の怒りの情だという事は分かる。
床に転がる手首が漆黒の液体となり化け物の足元に移動し、吸い上げられる。
両断された腕が瞬く間に再生される。
理性の欠片も無いような『それ』が床に残された金の指輪を再び薬指にはめる姿は異様と言っても過言ではない。
「なるほどな…人食いの化け物にも…掛け替えのないものが…あるのか…」
《あ゛ヴヴヴがああぁぁぁぁぁ・・・ぢぇ、り・・・ヴあ゛あ゛ぃ・・・ぃちぇ゛ベアドリィヂェェェェェ!!!!!!!!!!》
元通り収まった左手薬指のリングを満足げに眺めた後…
化け物は猛獣のように牙を剥き、半死半生で徐々に近付いてくる男に怒号を浴びせた。
「俺たちが何をした…その指に嵌める指輪の意味が…分っているのなら…何故こんな残酷な事が…出来る…」
息絶え絶えに歩み寄る彼の足元に零れ落ちる血液と肉片
…既に半身のほとんどが腐れ落ち、臓器が剥き出しになっているジェラールは最後の力を振り絞って剣を振り上げた。
「掛け替えの無い者を失った者たちの気持ちが何故分らない!!!」
それと同時にガドリールの周囲に青い業火が出現した。
天へ向かって蒼い火柱が立ち上ると、次の瞬間轟音を立てて要塞のような建造物の全ての窓から炎が噴出した。
沈黙を守っていた街の人々が目にしたのは青白く燃え盛る北警団本部の姿だった。




