偶像と信仰
大聖堂には既に人もまばらになり献花で彩られた柩だけがひっそりと置かれていた。
アカトリエルは空の柩に一礼をすると物憂げに女神像を見上げ、台座に触れながら跪いた。
「ベアトリーチェ………」
アカトリエルの言動に不安を覚え、彼の後を追ったクラージュは巨大な女神像の前の男を呼び止める。
「…アカトリエル様。一体どうなさいましたか?」
「すまぬ。聖声の契りを忘れるなど許されざる失態を犯した」
「……それもそうですが、それよりも私はあなたの先ほどの言葉が気になります」
「言葉?」
「ええ。あなたは先ほど女神像と教皇に拝礼をするとおっしゃっていましたけど……」
しばらく言葉を飲み込むとクラージュは意を決したかのように続けた。
「あなたが『女神像』…というのは始めての事でした。本来ならば『女神』と呼んでいらっしゃいましたのに………」
「!!」
アカトリエルはこの女神の本像をいつも生きているかのように崇めていた。
愛する者への眼差しで見つめ、妻を扱うように女神の足元に口付けをする姿を何度も見ている。
そんな彼が女神像と言ったのだ。それは彼が女神をただの石造として捉えたという何よりもの証だった。
「普通の信者や修道士達がそう呼ぶのは珍しい事ではありませんが、双剣徒の方が……特にあなたのその言葉には違和感を覚えずにはいられません」
「………………………」
「先ほどの聖声もそうですね。あなたが忘れるはずもない。私には最後の契りの言葉をどこか躊躇っているかのように思えましたが………」
「……もう戻ろう……仲介感謝するクラージュ司祭」
彼の言葉をかわすようにアカトリエルはフードを深く被り、クラージュの横をすり抜けた。それを後ろから声が追う。
「ベアトリーチェですか?」
「!!!…………」
「あなたの心にあったのは女神ではなく………ベアトリーチェ・レーニュではありませんか?」
「何の根拠があって聞く」
「根拠………? 根拠ではございませんが…しかし私も完全に彼女の存在を拭いきれない身。彼女のあの姿を見てしまっては……女神に恋し焦がれる人物なれば誰とて……」
「クラージュ司祭」
背を向けたアカトリエルの顔が微かに後ろを振り向いた。
フードから覗く鋭い瞳が威圧的な視線を向けてくる。
「それ以上は口を開かない方がいい………」
「………っ」
「ベアトリーチェ・レーニュにはもう一生会う事はない……お前も私もな………」
そう呟くと彼は何事も無かったかのように教会から姿を消した。




