プロローグ
―――息が苦しい。
意識は朦朧として、起きているのか寝ているのか自分でもわからない。
体は重く壁にはりつけにされているように指一つ自由に動かせない。 ただ、とてつもない悪臭に鼻がどうかなってしまいそうだった。体が動かせないせいで鼻を押さえることもできない。
「お目覚めか?」
おれの思考に割って入るように声が聞こえた。どこか、憎たらしい声。すると、どれだけ、開こうとしても開かなかった目がその声に導かれるように自然と開く。 開いた目に入ってくる眩しい光におれは目を閉じたくなった。
おれの目の前には一人の男が立っていた。白いシンプルな仮面を被っていて表情がわからない。だが、何故だろう?おれには、この男は笑っているのだとわかった。
おれは、男の手元に目線を移す。 その男の手には、ゴツゴツとした岩石のような黒光りする物体が握られている。
「周りをご覧なさい。あなたが、唯一の生き残りですよ」
そう言われ辺りを見渡す、酷かった、いや、言葉では表せられない惨劇がそこにあった。ほんの少し前までは特に何の問題もなく平和だったはずの街。今では、家々は炎上し、人は惨殺され、大地は荒れ果て、まさに地獄と言ってもいいほどだ。男の言うとおり、おれは、この街の唯一の生き残りになってしまったのかもしれない。
そのことに気づいたおれを馬鹿にするように男は数回拍手をする。
「どうしたのです?せっかく、生き残っているのですから、もっと胸を張ればいいのに」
おれは、すぐに理解した。この男が街を壊し、人を殺し、そして、今、無惨にも生き残ってしまったおれをじっくりといたぶろうとしているのだと……このままいたぶられ続けるのなら死にたいと願う。
だが、おれの情けない体はそれさえも許してくれない。 男は、苦痛と精神的に追い詰められ、顔を歪ませるおれを見て笑い声をあげる。
「てめぇ!」
怒りに身を任せおれは男に吠える。
男はおれを見下して不敵な笑みを浮かべると何か注射器のようなものを取り出した。
中身の液体は、赤とも青ともどんな色でも言い表せれない不思議な色をしている。
「私が憎いですか?」
おれを地面に押さえつけた男がくだらないことを聞いてきた。「当たり前だ! 絶対、殺してやる」
歯を噛み締めながら男に力強く言うとそれを聞いた男は苦笑するように体を震わせて握っている注射器をピストルのようなものに装着するとおれの首すじに突きつける。
男に体を押さえつけられたおれは、ただ、男を睨みつけることしかできない。
「そう睨まないでください。せっかく、面白いことを思いついたのですから」
「面白いこと?ふざけんな、この殺人鬼が」
それを聞いて、男は人をバカにしたような拍手をする。だが、男の口から予想外な言葉が出てきた。
「私はあなたを見逃してあげるつもりです」
おれが、信じらんないと顔をしかめると男はさらに続ける。
「ただし―――」
そう言うと、注射器の入ったピストルの引き金に力が込められ、カチリと音をたてる。
「あなたにも、私たちと同じ存在になってもらいましょう」
「やめっ」 もがこうとするおれの首もとが万力のように絞められるとパスンという間の抜けた音とともに何かがおれの体に入ってきた。
「―――ッ」
あまりの激痛に体が跳ねる。おれの脳が心臓が髪の毛さえもおれの体の全てが拒絶の反応を示す。
これを受け入れてはならないと……
だが、体に打ち込まれた何かはおれが嫌がろうと関係なく、血液を通して体中に染み渡っていく。
「ぐっ」
体が溶けてしまいそうなほど熱い、水分を搾り取られたように喉が渇きを訴える。指や唇は痙攣して、肺に潰れたかと思うほどの痛みがはしる。
「安心してください、当たりなら、痛いのは初めだけです。直に、痛みはなくなりますよ、まあ、その時はあなたもあなたが心の底から憎んでいる私と同じ存在になっていますがね。はずれの場合は知りませんがね」
そんな男の声が耳に入ってきたが今はそれどころではない。
「先ほどまでの威勢はどこへいったやら」 ため息をつくようにそう言うと、男はその身をひるがえしてどこかへと去ろうとする。
「待て」
おれは、己の体に鞭を打ってようやく二文字だけ言葉を発声できた。だが、それだけだ、立ち上がることも、ましてや、まともに呼吸することもままならない。
そんなおれを見て、男は、また人を小馬鹿にしたような見下したような笑みを浮かべる。
「残念ですが、今のあなたを待っているほど、私は暇じゃない。しかし、安心なさい。あなたが、どんな存在になっても私への恨みを忘れずにいたら、また、会うこともあるでしょう」
そう言い残すと男は、スキップをするようにどんどん離れていく。
おれは、それを歯を噛みしめて睨んでいることしかできなかった。