新歓祭にて(4)
「あ、活動内容を全然説明してないのに、こっちで盛り上がっちゃっててごめんね。それと俺、伊藤けいって言います。彗星の『彗』の下に『心』を付けて『慧』って読むんだ。何なら呼び捨てでいいよ」
「えええーと、慧先輩で──」
「だーめ、ちゃんと慧って呼んでくれなきゃ」
呼び捨てと言われ、どうしていいか困って周囲を見回す。
丁度、お茶のおかわりを入れていた男性がそれに気付き、「俺ら二年だって呼び捨てになんて出来てないじゃないですか」と助け舟を出してくれた。
伊藤先輩の方をじっと見ると、まるで私が困るのを楽しんでいたかのように、くすぐったそうな笑みを浮かべる。
「仕方ないなぁ。じゃあ、『慧さん』でいいよ。大学で『先輩』ってあんま使わないから、他の二年もそうだしクマのこともさん付けね」
「え、えっと。じゃあ、慧さんと、大隈さんで……」
それぞれの方を見上げながら言うと、今度は吹き出すかのように慧さんが笑い始めた。
よく笑う方だと思ったが、いきなり笑われるとこっちはびっくりしてしまう。
「ごめんごめん、笹川ちゃんが言うとどうしても『大きなクマさん』の意味で言ってるようにしか聞こえなくて」
「おい、慧」
慧さんの後ろで立っていた大隈さんが再び不機嫌そうな声を出した。
その声に臆することもなく、慧さんは何かを思いついた様子で言葉を続ける。
「もう、いっそ『クマさん』って呼ばれるようにしようよ。新入生も仏頂面のクマに少しは近づきやすくなるし」
そう言った途端、部屋中が笑みで包まれ、明るい雰囲気になった。
確かに、『大隈さん』よりも『クマさん』の方が親近感も湧くし、何より優しい響きがする。
「じゃあ私も、『クマさん』って呼ぶことにします!」
「お前……」
部屋中の視線が何故か私に向けられたが、すぐに「森のクマさん……ぷっ」と慧さんが呟いた。
「うるせー」という怒号と共に、慧さんとクマさんの言い合いが再び始まる。
二人を見ていると、いつの間にか笑みが浮かんだ。
「やっぱ君、大物だわ。クマ相手にそんな風にいられるなんて……俺の目に狂いはない!」
慧さんが何故そう言うかは分からない。
傍観者という特等席から私は二人を見ていたつもりだった。
ふと、慧さんは「あ」と言って立ち上がり、壁側にある棚から紙を一枚とペンを取り出す。
「あーあ、クマの相手なんかしてるせいで、入会届書いてもらうの忘れてたわ」
「なんで俺のせいなんだよ!」とクマさんがツッコミを入れている間に、慧さんは私の前に入会届と書かれた紙を置いた。
記入例に従ってその空欄を埋めていく。
その間も慧さんとクマさんはずっと話していた。
だが、書いた紙を差し出すと、慧さんは首をかしげた。
「あ、り、こ、で合ってる?」
途端に私の頬は赤くなる。いい加減言わなければいけない。
けれど言おうとすると、どうしてもあの記憶が蘇り、自然と声が震えてしまう。
すると、さっきまでの笑顔とは対照的な顔で慧さんがこちらを覗き込んできた。
その後ろでは、心なしか心配そうな顔でクマさんが私を見ているようだった。
それを見て、この人たちには言わなきゃと思った。
「……ありす、って読むんです……」