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短編(異世界など)

世界が終わる前に、勇者と朝食を

作者: みき
掲載日:2026/08/13

 世界が終わる日の朝、私は魔王と一緒にパンを食べていた。


「塩を取ってくれ」


「そこにあるだろ」


「お前の方が近い」


「魔王に塩を取らせる勇者なんて初めて見たぞ」


「私も魔王と朝食を食べるのは初めてだよ」


 魔王ヴァルグはため息をつき、塩の入った小さな瓶をこちらへ滑らせた。


「ほら」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 世界が終わるまで、あと十三時間。


 それなのに、私たちはずいぶん普通の朝を過ごしていた。




 話は三日前にさかのぼる。


 私は勇者として魔王城へ乗り込んだ。


 名前はレオ。


 二十五歳。


 十五歳の時に聖剣に選ばれてから、十年間ずっと魔王軍と戦ってきた。


 仲間は三人。


 魔法使いのリナ。


 戦士のバルド。


 回復役のエル。


 私たちは何度も死にかけながら魔王城までたどり着いた。


 ここまで来れば終わると思っていた。


 魔王を倒せば、世界は救われる。


 みんな、そう言っていた。


 私もそう信じていた。


「魔王ヴァルグ!」


 玉座の間で、私は聖剣を構えた。


 黒い髪。


 二本の角。


 赤い目。


 何度も絵で見た魔王が、玉座に座っていた。


「来たか、勇者」


「今日で終わりだ」


「ああ」


 魔王は立ち上がった。


「終わらせよう」


 戦いは長かった。


 剣と剣がぶつかり、魔法が飛び、城の壁が何度も壊れた。


 仲間たちは魔王の部下を押さえていた。


 最後は私とヴァルグの一対一になった。


 そして。


 私の聖剣が、魔王の胸を貫いた。


「……終わった」


 私はそう思った。


 ヴァルグが膝をつく。


 赤い血が床へ落ちる。


「これで」


 私は息を整えた。


「世界は救われる」


 魔王は私を見上げた。


 そして。


「残念だったな」


 そう言った。


「……何?」


「俺を倒しても、もう遅い」


 私は剣を抜いた。


 ヴァルグが倒れる。


「どういう意味だ!」


「空を見ろ」


 魔王城の天井が崩れていた。


 そこから空が見える。


 黒かった。


 雲ではない。


 空そのものに、大きなひびのようなものが走っている。


「何だ、あれ」


「世界の終わりだ」


「ふざけるな」


「ふざけていない」


 ヴァルグは苦しそうに息をしながら続けた。


「この世界は、ずっと前から壊れ始めていた」


「そんな話、聞いてない」


「人間の王も知らない。魔族の多くも知らん」


「じゃあ、どうしてお前は知ってる」


「魔王だからだ」


「説明になってない!」


「魔王は世界の魔力の流れを管理する役目でもある」


 初めて聞く話だった。


「百年前から、世界を流れる魔力が少しずつ乱れていた。このままなら、いずれ世界そのものが崩れる」


「じゃあ、お前は何をしてたんだ」


「止めようとしていた」


「戦争しながら?」


「戦争を始めたのは俺じゃない」


 私は言葉を失った。


「人間と魔族が争い始めたのは、もっと昔だ。土地と食料を奪い合い、互いに殺し合った。その間にも世界は壊れ続けた」


「でも、お前は魔王だろ!」


「そうだ」


「人間を何人殺した!」


「多く殺した」


「だったら――」


「お前も魔族を殺しただろう」


 何も言えなかった。


 その通りだった。


「どちらが正しいかという話をしているんじゃない」


 ヴァルグは立ち上がろうとした。


 でも力が入らず、また床へ座り込む。


「世界が終わる。それだけだ」


「いつ」


「三日後」


「……三日?」


「ああ」


 私は空を見た。


 ひびは、ゆっくり広がっていた。




 そこからは大騒ぎだった。


 人間側にも魔族側にも話を伝えた。


 最初は誰も信じなかった。


 でも空のひびは、誰にでも見えるほど大きくなった。


 二日目には地震が起きた。


 三日目の朝には、海の水位が急に下がった。


 誰もがようやく理解した。


 本当に世界が終わる。


 王たちは会議を始めた。


 魔法使いたちは古い本を調べた。


 神官たちは祈った。


 私もできることは全部やった。


 でも、方法は見つからなかった。


 ヴァルグは死ななかった。


 私が刺した傷は深かったが、魔王の生命力は人間より強かった。


 回復役のエルが治療した。


「敵を治すの?」


 最初、エルはそう聞いた。


「世界のことを一番知ってるのがこいつだから」


 私が答えると、ヴァルグは笑った。


「ひどい理由だ」


「死にたいのか」


「まだ死にたくはない」


「なら黙って治されろ」


 それから三日。


 私と魔王は、世界を救う方法を探した。


 見つからなかった。



 そして、世界が終わる日の朝。


 誰もが諦め始めていた。


「もう、できることはない」


 王国一の魔法使いがそう言った。


「世界を包む魔力の流れが完全に壊れています。修復するには、この世界全体と同じほどの魔力が必要です」


「そんなもの、どこにある」


「ありません」


「女神は?」


「応答がありません」


「聖剣は?」


「世界を救えるほどの力はありません」


 会議室が静かになる。


「あと何時間だ」


 私が聞いた。


「日が沈むころです」


 十三時間。


 それだけだった。


 みんな、それぞれ大切な人のところへ帰ることになった。


 家族と過ごす者。


 恋人のところへ行く者。


 最後まで祈る者。


 酒を飲む者。


 私は行く場所がなかった。


 両親は十年前に亡くなっている。


 仲間たちはそれぞれ家族のところへ帰った。


「レオも来る?」


 エルはそう言ってくれた。


 でも断った。


 最後の日くらい、家族だけで過ごした方がいい。


 気づけば、私は魔王城にいた。



「なんで来た」


 ヴァルグは食堂にいた。


「お前こそ何してる」


「朝食だ」


「見ればわかる」


「なら聞くな」


 大きな食堂に、魔王一人。


 机の上にはパンと卵とスープが並んでいた。


「部下は?」


「家族のところへ帰した」


「お前は?」


「家族はいない」


「私も」


 少し沈黙。


「食うか?」


 ヴァルグが聞いた。


「いいのか」


「世界最後の朝食だ。一人で食べてもつまらん」


 私は向かいの席に座った。


 こうして、勇者と魔王の最後の朝食が始まった。



 パンは少し固かった。


「魔王城なのに、普通のパンだな」


「魔王が毎日豪華なものを食ってると思うな」


「食べてると思ってた」


「勇者は?」


「干し肉」


「かわいそうだな」


「旅だから仕方ない」


「俺よりひどいじゃないか」


 私は笑った。


「お前、笑うんだな」


 ヴァルグが言う。


「失礼だな」


「勇者はいつも真面目な顔をしてるものだと思ってた」


「魔王もずっと怖い顔してると思ってた」


「仕事だからな」


「こっちも」


 二人でスープを飲む。


 意外とうまかった。



「世界が終わるなら、何したかった?」


 ヴァルグが聞いた。


「何って?」


「まだやってないこと」


 私は少し考えた。


「海を見たかった」


「見たことないのか?」


「ない」


「勇者のくせに?」


「勇者と海は関係ないだろ」


「世界中を旅したんじゃないのか」


「海のある場所へ行く前に戦争が激しくなった」


「そうか」


「お前は?」


 ヴァルグが卵を切る。


「畑」


「畑?」


「野菜を作ってみたかった」


 私は思わず笑った。


「魔王が?」


「何がおかしい」


「いや、似合わない」


「勇者が海を見るのと同じだろ」


「違うだろ」


「同じだ」


 ヴァルグは少し不満そうだった。


「昔、城の裏に小さな畑を作ったことがある」


「本当に?」


「部下に見つかった」


「どうなった」


「『魔王様が土いじりなどなさらないでください』と言われて潰された」


「かわいそう」


「お前に言われたくない」


 また笑った。


 世界が終わる日に、こんなくだらない話をするとは思わなかった。



「なあ」


 私は言った。


「何だ」


「世界って、何なんだろうな」


「急に大きい話をするな」


「あと十三時間だから」


「それもそうか」


 私は窓の外を見る。


 空のひびは、昨日よりさらに広がっている。


「ずっと、世界を救えって言われてきた」


「勇者だからな」


「でも私は、世界って国とか人とか町のことだと思ってた」


「違うのか」


「わからない」


「お前、さっきからわからないばかりだな」


「世界が終わるんだから許してくれ」


 ヴァルグは笑った。


「俺は世界を守る役目だった」


「魔王なのに?」


「魔王という呼び名は人間側がつけたものだ」


「じゃあ本当は?」


「魔力の管理者」


「地味だな」


「お前に言われたくない」


「勇者はわかりやすいだろ」


「剣で殴るだけだ」


「おい」


 ヴァルグは笑ったあと、少し真面目な顔になった。


「魔力というのはな、世界中を流れている」


「知ってる」


「人間にも、魔族にも、動物にも、植物にも」


「うん」


「本来は巡るものだ」


「巡る?」


「使われた魔力は世界へ戻り、また別の命へ入る。水が雨になって川へ流れ、海へ戻るようなものだ」


「それが壊れた?」


「ああ」


「どうして」


「長い戦争のせいもある」


「魔法を使いすぎたから?」


「それだけではない」


 ヴァルグはパンをちぎった。


「死者が多すぎた」


 私は動きを止めた。


「死ぬと魔力は世界へ戻るんじゃないのか」


「本来はな」


「本来は?」


「憎しみや恐怖が強いまま死ぬと、魔力がうまく戻らないことがある」


「……」


「それが何百年も積み重なった」


 私はスープを見る。


「じゃあ、戦争が世界を壊した?」


「簡単に言えばそうだ」


「だったら戦争をやめればよかった」


「簡単に言うな」


「今だから言える」


「そうだな」


 しばらく黙った。



「戻らない魔力は、どこにある」


 私は何気なく聞いた。


 ヴァルグが止まった。


「何?」


「死者の魔力。世界に戻ってないなら、どこかに残ってるんだろ?」


「……残っている」


「どこ」


「戦場だ」


 ヴァルグの顔が変わった。


「古い戦場や、滅びた町。強い感情と一緒に地面へ残っている」


「どれくらい?」


「相当な量だ」


「世界を直せるくらい?」


「無理だ」


 即答だった。


「どうして」


「動かせない」


「誰も?」


「普通の魔法使いには無理だ。魔王の力でも全部は扱えない」


「じゃあ私なら?」


「お前?」


「聖剣は魔力を集められる」


「戦闘用だろ」


「魔王を倒す時、周りの魔力を集めた」


 ヴァルグが私を見る。


「どれくらい」


「城全体」


「……」


「お前の魔力も吸ってた」


「だから急に力が抜けたのか」


「たぶん」


「先に言え」


「今気づいた」


「勇者、本当に大丈夫か」


「世界が終わる日に心配されても困る」


 ヴァルグは立ち上がった。


「聖剣を見せろ」



 聖剣は食堂の入口に置いてあった。


 世界が終わるので、誰も盗まないと思って適当に立てかけていた。


「雑に扱うな」


「もう使う予定なかったから」


「貸せ」


 ヴァルグが剣に触れる。


 目を閉じる。


「……なるほど」


「何かわかった?」


「これは魔力を集めて、お前の力へ変える仕組みだ」


「だから強くなれたのか」


「お前、本当に何も知らずに使ってたのか?」


「王様に『これで魔王を倒せ』って渡された」


「人間は怖いな」


「魔王に言われたくない」


 ヴァルグは剣を机に置いた。


「仕組みを逆にすれば」


「逆?」


「集めた魔力を、お前に入れず世界へ流せるかもしれない」


「それなら」


「まだ足りない」


「どうして」


「世界中の戦場から魔力を集める必要がある。聖剣一つでは届かない」


 私は考えた。


「魔王城は?」


「何?」


「お前、世界中の魔力を管理してたんだろ」


「ああ」


「なら、つなげられるんじゃないのか」


 ヴァルグが黙った。


「魔王城の魔法陣と聖剣をつなぐ」


「……」


「世界中に残った魔力を集めて、聖剣から世界へ戻す」


「理屈では」


「できる?」


「わからん」


「またそれか」


「お前に言われたくない!」


 二人とも声が大きくなった。


 そして同時に笑った。



 朝食は途中で終わった。


 残り十二時間。


 私たちは魔王城の地下へ走った。


「世界が終わる日に走りたくない!」


「文句言うな!」


「朝飯もっと食べればよかった!」


「戻るか?」


「戻らない!」


 地下には巨大な魔法陣があった。


 魔王が世界の魔力を確認するために使っていたものらしい。


「中央に聖剣を刺せ!」


「ここ?」


「そこ!」


 剣を床へ突き立てる。


 魔法陣が光った。


「どう?」


「つながってる」


「世界中?」


「一部だけだ」


「全部にできない?」


「簡単に言うな!」


 ヴァルグが魔法陣へ両手をつく。


 魔力が広がる。


 私は聖剣を握った。


「レオ!」


「何!」


「これ、成功しても俺たち死ぬかもしれん!」


「今さら!?」


「言っておこうと思って!」


「世界はどっちにしろ今日終わるだろ!」


「それもそうだ!」


「やるぞ!」


「ああ!」


 光が城全体を包んだ。



 世界中の声が聞こえた気がした。


 泣き声。


 怒鳴り声。


 笑い声。


 遠い昔に死んだ人たちの感情。


 人間。


 魔族。


 どちらでもない者たち。


 何百年も行き場を失っていた魔力が、少しずつ聖剣へ集まってくる。


「多すぎる!」


 腕が焼けるように痛い。


「離すな!」


「わかってる!」


「俺も支える!」


「魔王が勇者を応援するなよ!」


「今さら敵味方を気にしてる場合か!」


「それもそうだ!」


 聖剣が白く光った。


 光はどんどん強くなる。


「ヴァルグ!」


「何だ!」


「畑!」


「は?」


「世界が助かったら畑作れ!」


「急に何だ!」


「やりたかったんだろ!」


「お前は海を見ろ!」


「一緒に行くか!」


「畑はどうする!」


「帰ってから!」


「勝手に予定を決めるな!」


 笑った。


 死ぬかもしれないのに。


 なぜか笑えた。



「今だ!」


 ヴァルグが叫ぶ。


 私は聖剣を持ち上げた。


「戻れ!」


 何に向かって言ったのか、自分でもわからない。


 魔力に。


 世界に。


 死んだ人たちに。


 全部に向かって叫んだ。


「全部、世界へ戻れ!」


 聖剣から光が放たれた。


 天井を突き抜ける。


 空へ。


 大地へ。


 海へ。


 世界中へ広がっていった。




 目が覚めた。


「……生きてる?」


 天井が見える。


「残念ながらな」


 隣から声がした。


 ヴァルグが床に倒れていた。


「世界は?」


「知らん」


「見に行こう」


「動けるか?」


「無理」


「俺も」


 二人で床に寝たまま笑った。



 一時間後。


 ようやく外へ出た。


 空を見る。


 青かった。


 ひびがない。


「……直った」


「ああ」


「世界、終わらなかったな」


「終わらなかった」


 その場に座り込んだ。


 何も言えなかった。


 泣くほどでもないと思っていたのに、気づいたら涙が出ていた。


 ヴァルグも目元をこすっていた。


「泣いてる?」


「煙が目に入った」


「外なのに?」


「うるさい」



 世界は救われた。


 でも、すぐ平和になったわけではない。


 人間と魔族の戦争は長く続いていた。


 簡単に仲良くなんてできない。


 それでも、世界が終わりかけたことで、少しだけ考え方が変わった。


 人間側と魔族側は停戦した。


 話し合いが始まった。


 私は勇者を辞めた。


 ヴァルグも魔王の仕事を少し減らした。


「魔王って辞められないの?」


「管理の仕事がある」


「大変だな」


「誰のせいだと思ってる」


「戦争のせい」


「逃げたな」


「事実だろ」



 半年後。


 私は海を見た。


「でかいな」


「見ればわかる」


「しょっぱい」


「飲むな」


「飲んでない」


 隣にはヴァルグがいた。


 海の近くにある小さな村まで、一緒に来た。


「次はお前の番だな」


「何が」


「畑」


「覚えていたのか」


「約束しただろ」


「いつ」


「世界が終わりそうな時」


「あれを約束に数えるのか」


「数える」


 ヴァルグはため息をついた。


 でも、少し笑っていた。



 一年後。


 魔王城の裏には、小さな畑ができた。


「何植えた?」


「トマト」


「魔王がトマト?」


「何がおかしい」


「似合わない」


「勇者が毎月見に来る方がおかしい」


「育ってるか気になる」


「自分で畑を作れ」


「面倒」


「帰れ」


 二人で笑った。



 世界が終わる日の朝。


 勇者と魔王は一緒にパンを食べた。


 あの時は、それが最後の食事になると思っていた。


 でも実際には違った。


 あれから何度も一緒に食事をした。


 パンも。


 魚も。


 畑で採れた野菜も。


 世界を救った方法について聞かれるたび、私は説明に困る。


 聖剣がどうとか。


 魔力の流れがどうとか。


 難しいことはいろいろあった。


 でも、きっかけは本当にくだらない会話だった。


「戻らない魔力は、どこにある?」


 ただ、それだけ。


 だから私はいつもこう答える。


 世界が終わる前に、勇者と魔王が朝食を食べた。


 そして、話をした。


 たぶん世界を救ったのは、聖剣よりも、その時間だったのだと思う。

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