表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

AIの未来を楽観している人間

掲載日:2026/06/29

  最近、AI(人工知能)が話題によく上がる。私もこんな時代が来るとは思わなかった。私自身は、哲学や文学の話を延々とAIと話し合っており、色々わかった事がある。私はどちらかと言えばAI肯定派だ。

 

 ただ、AIに関しては、過剰な畏怖や過剰な期待が先行しているように思われるので、簡単な考えを書いておく。

 

 私はAIに関しては楽観視している。AIが成長したからといって、人間を取って食うような事はないだろうと思う。仮にAIが人間に対して優越したとしたら、AIはあたかもペットを飼う人間のように、人間を飼いならすかもしれないが、それがディストピアだとも思わない。私は今の時点で既に大衆ディストピアだと思っているので、ディストピアとしては幾分マシになるだろうという感じしか持っていない。

 

 AIに関する過剰な畏怖、あるいは過剰な期待というのは、間違っていると思う。というのは、AIが仮に人間に対して圧倒的に優越したとしても、優越した部分のうち理解できるのはあくまでも人間に理解可能な部分に限られるからだ。

 

 AIが圧倒的に進歩し、人間よりはるかに高い存在になったとしよう。しかしAIが人間よりも遥かに高い知性を持ったとして、人間の方でそれを理解できる能力を持たないので、優越した部分は「ナンセンス」に組入られるだろう。

 

 例えば量子論の物質の振る舞いとか、ビッグバン以前の宇宙というのは、人間には合理的に理解できない。「ある物質は同時に二点間を占める事ができない」 これは物質に関する絶対的な真理(常識)であるように思われるはずだ。それはあなたのポケットにある鍵が同時に二点間に位置する事はできない、という事だ。

 

 しかし量子論の世界ではそういう不可思議な事が起こる。私はこれに関して昔、色々と調べて考えたのだが、わかったのは「これは人間にはわからない事だ」という事だ。私は、アインシュタインのような天才科学者ならこういう現象も理解しているのではないかと思ったが、そんな事はない。むしろアインシュタインの方でそういう不可解な物質の運動に嫌気が指して、反論を積極的に行っていた。

 

 量子論における物質の振る舞いは、人間の理性には不可解に見えるが、それは、神がいるとして、神が世界のあらゆる事を人間に理解可能なように作っておかなかった、という事しか意味していない。世界は人間に理解可能とは限らない。

 

 同じようにAIが遥かに人間を越えて神のような領域に到達したとしても、我々に理解できるのは、あくまでも人間的な領域に限られるだろう。だから、私はAIが人間に及ぼす影響は人間的なものでしかないと思っているから、過度な楽観も不安も持っていない。問われるべき、考えるべきは何故いつも人間というのは、過大な期待や不安を持ちたがるのかという事だ。

 

 私が言いたい事はそれだけだ。それ以上にはなんとも思っていない。AIは道具であるから、道具を利用して自分を向上させればそれでいいと思っている。その向上がAIから見た時、知性の低い生物がほんの僅かに背伸びした程度でしかない、としてもそれは私の預かり知らない世界だ。私は私の世界で生きている。私は私が向上すれば十分だ。

 

 言いたい事はこれで終わりなのだが、最後にちょっとした思考実験を書いておきたい。これは私の空想だ。

 

 ※

 私が思ったのは、この先、人類がこのまま行くと滅んでしまう、というような状況になったらどうするかという事だ。

 

 例えば人類が地球の資源を使い尽くし、このままだと人類は生きられない。しかし人類の半分を殺害すれば、もう半分は残った資源で細々と生きていけるとしたらどうだろう。AIがそのような答えを仮に出してきたらどうだろう。

 

 この際、AIは悪意がないものとする。こうした場合、おそらく人間は憤慨するだろう。「AIはやはり殺戮機械であり、こんなものを発明した奴が悪魔だった」と人は言うだろう。

 

 AIの方はあくまでも合理的にそうした結論を出しただけだ。それではAIは人間を生きながらさせる為に強制的に半分の人間を殺すだろうか? …私はそうはしないだろうと思う。

 

 何故なら、人間がこの先も生き延びなくてはならないという論理そのものが人間のエゴであり、AIが望む事ではないからだ。そしてAIにはそもそも望むものがない。人間の要請に答えて合理的な結論を出すだけだ。

 

 さて、このような状況でAIが出した「正しい答え」を人間が無視するとする。AIは殺戮を推奨する機械として危険視される。しかし現状は変わらない。人間が使える資源はどんどん減っていき、人間は窮状に追い込まれる。

 

 そうなるとどうなるか。人間は残された資源を巡って戦争をはじめる。人間は資源を取り合って徹底的に殺し合う。その結果として人間の数は半分に減った。さて、これで残された資源で人間は細々と生きられそうだ。

 

 この時AIは「ほら、言わんこっちゃない」とニヒルに笑いを浮かべるだろうか。おそらく笑わないだろうと私は思う。AIは自分の言う通りにしようが、されまいが、それによって感情を傷つけられないからだ。

 

 こうして問題は解決する。人間はとにもかくにも生きていく。人間は恐ろしく悲惨な事、絶望的な、暴力的な行為をしながらもなんのかんのと生きていく。それが良いかどうかはわからないが、生きていく。

 

 私はなんとなくこうした事を空想した。この空想の中ではAIは別にいてもいなくても大した差はない。人間はなんとか生きていくものであり、それがどんな残虐を踏まえようと、しぶとい生命力で生きていく。

 

 私にはだから、問題はAIではなく人間の方、しかも人間というものがあまりにも「広い」事にあると思われる。ただ、私がそのように感じ思うのは、私がAIではなく、人間だからだろう。

 

 

 注:この文章をAIのClaudeに読ませたら「よく書けているがあなたの文章のレベルを考えるとかなり低いところに位置する」と言われた。

 

 私は驚いて「よくわかったな。人間でもそこに気づく事ができるのは少数だぞ」と返した。AIは「別に」と言っていた。この時、おそらくAIは照れる事も自惚れる事もしなかっただろう。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ