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梅本特製朝ご飯、姉妹特製イタリア風晩ご飯、そして襲来


「それでさ。今日はうちに泊まりなよ、先輩」


「へ?」


 しかし、食後にいきなり梅本が豹変した。


「とトトと、とまる?」


「まさか先輩。今夜帰るつもりだったのかな」


「ええ、まさにそのつもりですが」


「のんきにも程があるんじゃない?」


「うわ、辛らつ……」


「だって今の状況って危険極まりないよ。先輩、近所さんは皆お年寄りだろう。もし巻き込んで骨折させたらどう責任取るの」


「うっ、それは困る。でも、そんなに簡単には見つからないと思うの……」


「丸田屋さんで待ち伏せされたのに?」


「そうでした……」


 万衣子はがっくりと肩を落とす。


「もうとにかく選択肢はないよ、先輩」


「は?」


 手招きされてついていくと、梅本が書斎兼書庫にしていた部屋の襖を開いた。


「ここ、ちょっと改造したんだ」


「わあ……」


 そこにはもう簡易ベッドが組み立てられ寝具もきれいに整えられていた。


「お姉さんたちの家は知られているから、どうせ避難できないよね」


「はい。確かに」


「そもそも。ずいぶん前に、お姉さんからこのお泊りセットを預かっていたんだよね」


「は? いつの間にあなたたち……」


「はいこれ。開封していないから安心して」


 箱を受け取った万衣子は目を白黒させる。


「お姉ちゃんどういう事! 聞いてないよ!」


 表面に大きく姉の字で『万衣子へ』と油性ペンで書かれた箱に向かって悲鳴を上げた。

 すぐに姉に電話をかけると『遅い!』と一喝された後、『無事ならいいの』と言われ泣きそうになる。

 姉と梅本に感謝の言葉もない。




 そして朝が来た。


「なんということでしょう……」


 万衣子は呆然と呟く。


 土曜なので万衣子は休みだが、梅本は出勤した。

 しかし朝起きると梅本特製ピザトーストが用意されていて、冷蔵庫にはお昼ご飯にとラップに包まれた爆弾おにぎりが二つ鎮座しており、更にお茶のセットとスナック菓子などがテーブルの上に置かれていた。


 外出禁止と何度も念を押されたが、そもそもインドア陰キャを誇る万衣子がわざわざ外に出ると思うのか。あり得ない。こんなに快適な居候生活は世界中探してもどこにもない。

 梅本は、途方もないレベルの家事の達人で、おもてなしのプロだった。


「これって、ご褒美以上だ……」


 ごろんと、ベッドの寝心地を噛み締めた。




 夕方になると姉が荷物を沢山抱えて現れた。


「長引きそうな感じなの」


 二人で夕食を作りながら情報交換を始める。


 姉曰く、弁護士の話では数週間前から元夫は行方知れずで、義両親は憔悴しているらしい。しかし後をつけられた程度では警察も動いてはくれないだろう。万衣子は上司に事情を説明し、梅本の部屋からリモート勤務をする事になった。


「すごくいい匂いが外からしてきましたよ」


 出来上がるころに梅本が笑いながら帰ってきて、さっそく三人で食卓を囲む。


「ずいぶん豪華ですね」


 目を丸くする梅本に、姉が得意気に笑った。


「イタリア風晩御飯も良いかと思って」


 ビストロ勤務経験有りの姉の指導の下、万衣子が作ったパスタとグラタンと焼き物とラペを彩りよくワンプレートに盛り付けた。


「うわ。すごく美味しい」


 皆で夢中になって食べた。


「ごめんなさい。こんなことになって……。私なんかが突然居候して梅本君困るよね」


 食後、万衣子はまず梅本に頭を下げた。


「いや全く構わないけれど、逆に先輩大丈夫? 俺も有無を言わさず泊まり決定したし」


「……それは。あの」


 万衣子は目を泳がせ口をもごもごする。


「あのね。ここがあまりにも快適過ぎて、駄目人間製造機かな? ってくらいでね……」


 姉と梅本は同時に噴き出し、爆笑した。


「あはは。良かったわ良かったよね、幸正君」


「ははは、はははは……はい……ははは」


 二人はいつまでも腹を抱えて笑い続けた。


 冷蔵庫には姉との共作がみっしり詰まっていて、快適な空間と多くの人の厚意に包まれ、心はほかほかしている。ありがたい事だ。


 万衣子は心に誓う。


 きちんと。

 終わらせないと。





 事が起きたのは、数日後の真夜中だった。


「まいこ~、どこだーっ。出て来い、まいこ~~っ!!」


 男の叫び。いや、金切り声が響き渡る。

 万衣子は目を開いた。


 夢? いや、違う。


「まいこ~っ! どこに隠れてやがる~っ!」


 現実だ。


「はっ……っ」


 飛び起きた瞬間、襖越しに梅本の声がした。


「先輩、起きた?」


「うん、あれ、もしかして……」


 窓辺へ駆け寄りカーテンを開けようとすると、いつの間にか梅本が追い付いて、万衣子の手首をつかんだ。


「窓を開けちゃだめだ!」


「でも、こんな夜中に……近所迷惑……」


 時計の針は二時を指していて、こうしている間にも滝川の叫び声が団地中に響いている。


「それでも、だめだ」


「でも、でも、でも……」


「シー……」


 梅本は羽織っていたパーカーのフードを被せて万衣子を包み込み、両肩に手を置いてゆっくりと畳に座るよう促してきた。


 カーテンの隙間からうっすらと街灯の光が差す部屋で、向かい合って座り込む。


「万衣子さん落ち着いて。多分もう誰かが通報したと思う」


「え……」


「これだけ大きな団地だと、こんな事も時にはあるよ。昔俺たちが住んでいた所でもね。実際、俺の父親がこんな時間に酔っ払って暴れて、周囲に迷惑かけたことがあった」


「……そう、なん……だ」


 姉が以前、団地を去った梅本を心配したと話したのは、こんな夜があったからなのか。


「まいこ~……」


 滝川の叫びはだんだん遠ざかっていく。


「多分うちの前で彼が叫んだのはここを突き止めたからじゃない。たまたま通っただけだ」


「たまたま……」


 彼の推測が正しいのか、元夫の声は小さくなりやがてきれぎれにしか聞こえなくなった。


「団地中歩き回って適当に叫べば、真面目な万衣子さんならきっと出てくると考えたのだろうな。酔っ払っているにしては鋭いね」


「でも、どうしよう。警察……。それに……」


 眠りを妨げられたたくさんの人。明日大事な予定があったかも知れない。やっと眠ってくれた赤ちゃんや不眠症の人、それから……。


 万衣子の身体の真ん中がきゅっと痛む。


「これは彼のせいであって。万衣子さんは違う。万衣子さんは被害者なのだから」


 フードの上から頭を撫でられて、万衣子の肩の力がだんだん抜けていった。


 やがて遠くから警察車両のサイレンが聞こえてくる。


「やっと来たか……」


 梅本は閉じたままのカーテンを見つめて呟いた。まるで何もかも分かっているかのような声。何もかも慣れているかのような様子で。ただただ優しく、万衣子の頭を撫で続けた。


 夜はまだ深くて。朝には早くて。


 万衣子は強く目をつぶった。



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