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プリン

「ご馳走様。美味しかったわ」


 おでんの具について談義しながら、あっという間に平らげてしまった。


「ところでね。滝川が万衣子の新居を電話で聞いてきて、おばあちゃんが答えちゃった。棟数は大丈夫だけど、団地名がバレたって」


「何でなんだろう。離婚してもう半年だよ? 赤ちゃんも生まれたでしょ?」


「うん、だからじゃないの」


「…あの、すみません」


 姉妹で同時に声の主へ顔を向ける。


「困った状況なら見過ごせませんが、事情を知らない俺がここにいて良いのでしょうか」


「ちょっと万衣子? 何も説明してないの?」


 お叱りモードに怯んだが素直に非を認めた。


「面倒でつい……。で、そのうちもう全部知られているつもりでいたような?」


 だって春に河原で再会して気が付いたらもうおでんの季節なのだ。


「あんたねえ……」


「ほら、異性にはちょっとアレでセンシティブな部分があったから……ね?」


「センシティブも何もアレがあんたの身辺嗅ぎまわり始めた時点でもう駄目でしょ。弁護士に連絡したし……って、そういや電話! そもそもあんたが電話に出ないから、私わざわざ来たんじゃない!」


「全て平らげてそれを言うの、お姉ちゃん」


「私はね! あんたをすごくすごく心配して、すっごくカロリーを消費したの!」


「……うん、そうだよね。ごめん。ありがとう、お姉ちゃん」


 合鍵で入り玄関に見慣れぬ男物の靴を見つけた時、姉はどれほど怖かっただろう。

 危険を顧みず傘を構えて突入してくれた姉の勇気を今更ながら思い、首を垂れた。


「梅本君もごめん。今更だけど報連相的な話、聞いて欲しい」


「うん。じゃあコーヒー淹れよう」


 二人のやりとりに、テーブルに肘をついた姉はボソッと言う。


「……ねえ、あんたたちさあ」


「つきあっていません」


 またもやハモってしまった。




「要はですね」


 万衣子は背筋を伸ばして述べる。


「単身赴任中に夫がよそで子ども作りまして結婚生活三年弱にして離婚、です」


「なるほど」


「万衣子、端折りすぎ。幸正君もこんなトンチキな説明で頷かないの」


 厳しい駄目だしに、二人は肩をすくめた。


「ならサークルOBの結婚式二次会で独り身が私と滝川だけで、キミタチ結婚しちゃいなよ~って言われ、それもアリかと乗っかって」


「万衣子……」


「これじゃない? ええとお互い地味キャラだしって諸々すっ飛ばして超特急で入籍して、いざ同居したら初夜でつまずいたって話?」


「初夜」


 やってしまったと、万衣子は悟る。

 言葉選びを間違えた。

 自分はいつも失敗ばかり。

 だがもう取り返しがつかない。

 頭の中が真っ白になり、どんどん早口になっていく。


「ごめん下世話な話で。でもこれ抜きには話がつながらないから耐えて。要は三十歳の童貞処女が夜の営みに失敗したなか姑の孫コールに耐えかねて人工授精でよくね? って不妊治療の門を叩いたら精子検査が必要と言われ旦那は拒絶。更に高額請求をあっさり払う人を会計で見た私も運よく授かったとしても子育てにつまずくと課金したのにと憎んでしまうのではとか色々頭がいっぱいになって」


 まるで口と脳が分離したかのように、ペラペラと言葉が流れ出して止まらない。


「まいこ……万衣子、もういい、ストップ」


「私としては青い衣をまとって分娩台に乗る覚悟までしていたのに、ですね!」


「万衣子! もういい! ごめんもういい」


 両肩を掴まれて、はっと正気に戻った。


「あれ? わたし……。あおい……ころも?」


 これ以上の悲惨な状況はあるだろうか。


「ちいくん、ごめん。忘れ……られるわけない、よね」


 今すぐ消えてなくなりたい。


 両手で顔を隠して小さくなりながら続ける。


「ナウシカじゃないよ。受胎告知のマリア様のほう。おこがましいけれど」


 信者ではなく、ものの例えとして拝借して。


「ああ……」


 昔、美術室で色々な展覧会の図録を一緒に眺めてお喋りをした。青い衣を纏ったマリアへ天使が話しかけている構図を思い出してくれたのか、梅本は静かに頷いてくれた。


「わかりました。先輩。辛かったですね」


 処女懐胎。現代の医療の力なら可能だ。

 頑張れば、赤ちゃんを抱けるかもしれない。


 しかし不妊治療の話題はご法度となり、気まずい空気を抱えたまま時間ばかり過ぎて。

 万衣子は毎日ずっと揺れ動いた。

 世間体とか年齢とか生物としての焦りとか。

 やがて訪れた夫の単身赴任そして離婚。


「うん……。すごく悩んだ。うん。辛かったのかも、……わたし」


 手のひらがじわりと湿った。




 卵と牛乳のやさしい気配と、カタリと何かを置く音にはっと顔を上げる。


「あれ……?」


 いつの間にか辺りの様子が変わっていた。


「復活した?」


 台所に立っていた姉が振り向く。

 向かいで本を読んでいた梅本が目を上げた。


「ご、ごめんなさい。私、結構な時間を……」


 二人はずっと黙ってそばにしてくれたのだ。


「これを読みたかったから大丈夫ですよ」


「うん。それにちょうどプリンが出来たしね」


「プリン?」


「じゃーん」


 姉が蓋を持ち上げると、湯気の中から土鍋いっぱいに広がる薄黄色の生地が現れた。


「普通、一晩冷やすのが定番だけど、これはアツアツのうちに食べるのが一番美味しいの」


 姉は土鍋に大きなさじを入れてすくい上げ、ほかほかと湯気を放つそれを小鉢に盛った。


「でね。メープルシロップをかけると、これがまた堪らない味なのよ。食べて驚け」


 鼈甲色の液体をとろりとかけると、特有の甘い香りが万衣子の鼻をくすぐった。


「美味しそう……」


「でしょう? さあ、おあがりよ」


 万衣子の前には出来立てほやほやのプリンが置かれ、涙の跡は消え去った。


「なんだか、すごいね。びっくりだ」


「ふふ。今頃思い知ったか。姉の偉大さを」


「うん。ほんとに偉大だよ……。ありがとう」


「どういたしまして」


「……いただきます」


 ひとさじ、口に入れるととろりと滋養のある甘みが体中に広がっていく。

 あたたかくて。とてもとてもやさしいあじ。

 まるで万衣子の身体を再び作り直してくれそうな、そんな味。


「おい……ひい……にゃ……」


 何故かまた涙腺が決壊してしまった。結局、万衣子は鼻水を再びずるずるさせながら美味しく頂いた。


「とにかく元夫側が慰謝料ケチって色々画策したけれど、すぐ姉達と弁護士にバレて、キッチリ終了した筈なのよ」


 義母は最初から地味な万衣子に不満で、若くて綺麗な不倫相手が早々に妊娠したことを知るや、いの一番に離婚と再婚を推し進めた。


「何言ってんの。離婚届書き終えるなり、お別れの記念にって押し倒してきたじゃないの」


「は?」


 梅本が地を這うような低い声を上げた。


「ちいくん大丈夫、未遂なの。近くにお姉ちゃんたちがいたから、すぐ助けてくれたよ」


 翌日退去する予定の万衣子のために手伝いで来ていた家族に元夫はキリキリ締め上げられ、ほうほうの体で逃げ出してそれきりだ。


「本当に何だったんだろうな、あれ……」


 ぼうっと考える万衣子の背後で、姉と梅本は視線を交え互いにスマホを取り出した。




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