表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

お好み焼きとおでん

 それから互いに行き来するようになり、今夜も梅本の部屋で大きなホットプレートを囲んでいる。彼の家は最上階でベランダから河川敷を眺めることができ、窓を開けていると自然に入る風が心地よい。


「へえ。確かに関西風でも広島風でもないね」


 梅本には敬語を使うのをやめてもらった。


「そう。母のオリジナルなの。おいしいよ」


 熱せられてジュウジュウと音をたてているのは、万衣子特製お好み焼き。

 小麦粉とすりおろした長芋と卵と水と塩を少々混ぜ合わせた中に刻んだ野菜を混ぜ、馴染ませたら油を引いた鉄板に流し込む。タンパク質はイカや豚肉。特徴としては、片面を焼いて裏返すとフライ返しを上から強く押しあてて、生地を平たく伸ばすことだ。


「どちらの流派にも怒られそうなのよねえ」


「確かに。でもこの鉄板に焼き付ける時の音と匂いがまた食欲をそそって、たまらないね」


「でしょ。でもまあ、こうする理由は多分、早く火を通したいからなのだと思うけど」


 もう一度返して、マヨネーズとケチャップとウスターソースを混ぜ合わせたたれを豚肉がぱちぱちと油をはじいている上に塗り、鰹節と青のりをたっぷりと振りかける。


「はい、召し上がれ」


 出来立てほやほやを載せた皿を、万衣子は年長ぶって渡した。鰹節が湯気で踊っている。


「いただきます」


 手を合わせて梅本は箸を取る。


「あちっ」


 少し舌を焼いてしまったようだが、水を飲み再び綺麗な所作でお好み焼きを口に運ぶ。


「たくさんあるから、落ち着いておあがり」


 実弟よりもずっと素直で可愛いなと内心ほくそ笑みながら、万衣子も食べ始めた。

 お好み焼きの焼ける音と鉄板から上がる香りと、窓から入る少しひんやりした空気。


 どうしてこうなったのか。

 不思議だなあと思いつつ、時間が過ぎた。


 食後の片づけついでに梅本がコーヒーを淹れてくれ、ほっと息をつく。


「プレートが大きいと、一度にたくさん焼けるからいいね」


「ああ。それは婚約者が絶対必要って……」


 梅本は言いかけて気まずげに口をつぐむ。


「ん? 梅本君婚約しているの? ちょっと」


 慌てて腰を浮かした万衣子に梅本は顔色を変え、手を左右に振り言い直した。


「ごめん、違う。元、なんだ。あっちはもう別の人と無事に結婚できたから大丈夫」


「え?」


「先輩、『卒業』って映画知ってる?」


「あの、サイモン&ガーファンクルの……?」


 万衣子が挿入歌を壊滅的な音程で口ずさむが、梅本はそれを真面目な顔で頷く。


「そう。そのラストシーン」


「まさか、花嫁がチャペルから脱走?」


 『卒業』と言えば、式の最中に花嫁の元彼が乱入して駆け落ちする場面が有名だ。


「うん。まんまそれで、もうすごかった」


「ああ……。それは……。すごいね」


 三十過ぎてあれこれ知る身として、事後を考えると気が遠くなる。


「祖母の勧めでお見合いして、およそ半年後の結婚式でそれ」


 万衣子は何と言えば良いかわからない。


「ええと、ご愁傷さま? です……?」


「痛み入ります。でもあっという間に始まって終わったから、未だに実感なくて」


「なるほど。出会って半年だものね」


「うん。お見合いは条件提示して引き合わされて、次に進むかを決めるシステムだよね」


「そうだね」


「うちも身上書交換して料亭で顔合わせの数日後に了承の返事が来て婚約、翌々週には結婚式場選びと新生活の話し合いが始まって」


「早っ! お見合いってそんな風なんだ」


「うちの場合はね。母と親戚達を早く安心させたいし、転機かもしれないと安易に話を受けて、彼女には悪いことをしてしまった」


「え、どうして?」 


 梅本は少し躊躇った後に口を開いた。


「先輩だから言うけど」


「うん」


「目の前でいきなり元彼と手を繋いで逃げ出されたのは驚いたけれど。何か、ほっとした」


「なんで?」


「彼女が凄く嬉しそうで。いや違うな。逃げ出したかったのは俺の方だった。結婚する覚悟なんてないくせに、物分かりの良いふりをして取り繕ってばかりで、彼女には俺の卑怯なところを見抜かれていたと思う。それで」


「いやいや。それってお互い様だよ。誰でも覚悟なんてないよ。人生初めての事だもの」


「そうかな……。ありがとう。でもまあその後はお金が絡んでまあまあ泥仕合になって、あのホットプレートが俺の手元に残ったわけ」


「なるほど……」


 泥仕合。想像するだけでも恐ろしい。


「あれ、実は大きくて邪魔と思っていたけれど、こうして二人で使ってみると悪くないね」


 梅本の中に小さな傷がいくつも隠れていて。

 万衣子と同じく、抱えたまま進むしかない。


「ちいくん、今度ホットケーキ焼こうよ」


「いいね。たくさん焼こう」


 自分たちには、時間がたっぷりある。

 なんだか、嬉しかった。





 人生はアップダウンの連続だ。

 夫婦で楽しい時を過ごした半日後には殺意を抱くような喧嘩が勃発する。

 良い事ばかりの人もいるだろうが、万衣子の場合はそうならない。


 災いは突然やってくるのだ。

 そう。良い感じのおでんが出来た時などに。


「まいこーっ!」


 傘を構えた姉が叫びながら乱入してきた。


「え……。どうしたの、おねえちゃん」


 万衣子は夕食の最中で、同席していた梅本も大根を箸でつまんだまま固まった。


「どうしたのって……あんた……」


 姉はへなへなとその場にへたり込んだ。


「あの男に監禁されているとばかり……」


「あの男?」


「滝川よ! あんたの元旦那!」


「ははっ。まさかぁ」


 至って呑気な万衣子へ梅本は低い声を出す。


「……監禁? どういうことですか。先輩」


「先輩? って、貴方どちら様……」


 彼氏? と言い出しそうな姉に慌てた。


「違うの。あのね。この子はちいくん……じゃなかった、梅本君、いやええと」


「あなた浦田君。浦田……幸正君じゃない?」


「え」


「はい。浦田です。今は梅本と申しますが」


 梅本は名刺を手に頭を下げる。


「お久しぶりです。実は近くの薬局で働いていまして、同じ団地に住んでいます」


「ああ……そうなの。お母様はお元気かしら」


「はい。実家で祖母たちと暮らしています」


 姉は軽く頷いたのち盛大に息をついた。


「……良かった。本当に良かった。団地の人達で心配していたの。お二人が無事なのか」


「え?」


 梅本と万衣子は同時に驚きの声を上げる。


「ねえ、ところで私おなかぺこぺこなのよ。どうせ作りすぎたんでしょ。混ぜてよ」


「うん。そうなの。だからちいくんにも来てもらったんだ」


 レンジ台の上にはおでんがぎっしり詰まったホーローの大鍋が鎮座している。


「どうぞこちらへ」


 慣れた様子の梅本に、姉は首を傾げた。


「もしかして、お邪魔だった? 付き合ってるの? あなたたち」


「違います!」


 なぜか見事にハモってしまった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ