悪役令嬢でも無実の罪で処刑されるのは承服しかねます。
私の目の前では、この王国の第一王子で私の婚約者でもあるカルヴァロ様が剣に胸を貫かれて息絶えていた。
なななななぜこんなことに! つい一時間前に別れた時にはピンピンしていたのに!
ここはお城の中にあるカルヴァロ様の執務室。
公爵家の長女である私、メアリーは式の打ち合わせで近頃は度々この部屋を訪れている。
私とカルヴァロ様の婚約が決まったのは今から五年も前のこと。王国の後継者で見目もなかなか麗しいカルヴァロ様の相手に選ばれたとあって、私は周囲の令嬢達から一斉に非難を浴びた。あることないこと色々な噂を流され、それはもうまるで悪役令嬢のように。
それでも、私とカルヴァロ様の距離は徐々に縮まっていき、いよいよ来月に結婚式をとり行う予定だった。
……それが、どうしてこんな事態になったの!
待って、よく見たらまだ死んでないんじゃない? すごく重傷ではあるけど致命傷ではなかったり……。だったら早く手当てしないと!
執務室の中央に横たわっているカルヴァロ様にゆっくりと近付く。
おそるおそる彼の顔を覗きこんだ。その顔色は生気が全く感じられないほどに白い。
次いで、胸に刺さっている剣に目をやった。無残にも心臓のある付近を貫いている。
死んでる! どう見ても死んでるわ!
……ああ、いったい誰が彼を殺したの……。
確かに、近頃の私達は会えばケンカばかりだった。結婚式が近くなるにつれてお互い忙しくなってイライラが募っていたから。だけど、それでカルヴァロ様を嫌いになるなんてことはなかった。まして彼のこんな姿は見たくもなかった……。
途端に私は目から熱いものが溢れるのを感じた。
「……カルヴァロ様、せめてあなたの命を奪ったその憎い剣を抜いてあげますね……」
と剣の持ち手を掴んだその時、部屋の入口から耳をつんざくような悲鳴が。
振り返るとメイドが私を指差し、カタカタと震えている。
「メ、メアリー様……、カルヴァロ様を……!」
「え……、あ、違う! 私が殺したんじゃない!」
大変な場面を見られてしまった! これじゃどう見てもたった今私がカルヴァロ様を殺したばかりだわ!
必死に取り繕おうとしている間に、執務室の前にはどんどん人が集まってきているようだった。ざわめきと共にいくつもの視線が入口から投げかけられる。
「違う……、私じゃない……、私がやったんじゃないの!」
婚約者の胸に刺さった剣を握り締めながら私は叫んでいた。
――――。
別室に移された私は、その部屋でぽつんと一人椅子に座っていた。
やがて扉が開いて数人の騎士達が入ってくる。最後に部屋に入ってきたのはまだ若く見える美しい女性の騎士で、私の前で立ち止まった。どうやら彼女が最も位が高いらしい。
「私達は内務調査局の者です。メアリー様、お話を聞かせていただけますか?」
な、内務調査局……! 大変な人達が来た……!
内務調査局とは、貴族や騎士が起こした不祥事を調査する部署よ。表立って活動しないことから影の掃除屋なんて呼ばれている相当危険な集団。ターゲットの中には闇に葬られる人もいるとか……。
……今回亡くなったのは次期国王のカルヴァロ様! もし私が殺したと断定されれば、確実に闇に葬られる!
先ほどのメイド同様にカタカタと震え出した私を見て、女性騎士は大きなため息をつく。それから、他の騎士達に部屋から出るように言った。
「これで少しは落ち着いて話ができますか?」
「あ、ありがとう、ございます……」
……私を気遣ってくれたのね。一見冷たそうに見えるけど、この人、案外優しい人なのかもしれない。
エレノーラと名乗った内務調査局の女性騎士は、自分も椅子を持ってきて私の前に腰を下ろす。
威圧するものがなくなったことで、ずいぶんと私も話しやすくなった。
「いつも通り今日も式の打ち合わせでカルヴァロ様の執務室を訪れました……。そして、いつも通りケンカになって、あちらが『もう婚約破棄だ!』と言ってきたので、私も『こっちから破棄してあげますよ!』と言い返して、そのまま部屋を飛び出したんです……」
「なるほど、あなた方はお噂通りなのですね」
やっぱり私達のケンカ、噂になっていたのね……。
私はさらに説明を続ける。
「……実はその後のことは、とても気が立っていたこともあってよく覚えていません。たぶんお城の中とか庭園を歩き回ったと思うのですが……。動いているうちにエネルギーを使い果たしてしまい、頭が冷えたことも手伝って、謝罪して次に会う日取りを決めておかなくてはと執務室に戻ったのです」
「そうですか。カルヴァロ様のご遺体を調べましたところ、どうやらメアリー様が部屋を出た直後にお亡くなりになっているようなのです。そして、周囲の者達に聞いた話によれば、あなたが訪れた後はいつもカルヴァロ様のご機嫌が悪いので、誰も部屋に近付かないように皆で注意して見張っているそうですよ。今日もあなたが最初に部屋を出てから戻ってくるまで、誰一人立ち入ってはいないようです」
エレノーラさんの鋭い眼差しが私を射抜いた。
……それはつまり、私以外にカルヴァロ様を殺せる人間はいないということでは? 私がカッとなって刺し殺し、部屋を出たと考えるのが自然よね……?
あ、でも私がお城や庭園を歩き回ってる姿は多くの人が目撃しているから……、いやいや、犯行はそれ以前に行われているから意味がないわ。
あれ、もしかして……。
……誰も私の無実を証明できない?
終わった! 私の人生は完全に終わったわ!
もう私ですらこの状況だと私がやったとしか思えない!
…………、……本当は自分で覚えてないだけで、部屋を出る前にカッとなってカルヴァロ様を刺してしまったのかもしれない。
き、きっとそうに違いないわ! 私は婚約者を殺してしまった!
令嬢達からの評判もよくない悪役令嬢だし、断罪されて始末される!
エレノーラさんの鋭い眼差しが変わらずに私を捉え続けていた。
「……私が殺した、のかもしれません……」
耐え切れずに私はそう自白していた。これにエレノーラさんは再び大きなため息をつく。
「覚えがないのにどうして自白しているんですか」
「……だって、私でも私がやったとしか思えませんし」
「ですが、私はメアリー様は無実だと見ているのですよ」
「え……、でも、ずっと鋭い眼差しで私を睨んでいたじゃないですか」
「睨んではいません、目つきが悪いのは生まれつきです。では、今から真実を確かめにもう一度カルヴァロ様の執務室に行きましょう」
こう告げるとエレノーラさんは椅子から立ち上がった。
カルヴァロ様の執務室に向けて、お城の廊下を彼女の後ろにつき従って歩く。
それにしても意外だった。てっきり彼女は私が犯人だという前提で話を聞きにきたと思ったのに。そうであっても不思議じゃないくらい状況は私に不利なんだから。
どうしてエレノーラさんは私を信じてくれるんだろう?
頭を傾げている間に私達は執務室に到着していた。
すでにカルヴァロ様の遺体は運び出され、絨毯には血痕のしみだけが残されている。赤黒いそれを見つめながらエレノーラさんは話しはじめた。
「カルヴァロ様の傷口ですが、少し奇妙なのですよ。斜め上から下方向に剣が刺しこまれたようなのです。体格差を考えた場合、メアリー様がカルヴァロ様を刺すにはものすごく跳び上がるか」
「そんな身体能力はありません……」
「あるいは、お二人の特殊な性的嗜好でカルヴァロ様がひざまづく状況にあったか」
「そんな趣味もありません……」
冗談で尋ねてきている雰囲気はなく、エレノーラさんはいたって真面目な顔で「そうですか」と血痕から視線を逸らした。
それから、壁際に置かれた大きな甲冑人形の前に移動する。その傍らには、あの剣が鞘に収まった状態で立てかけられていた。
彼女は剣を手に取ると、ゆっくりと鞘から抜く。
「これは相当な逸品です。どうやらカルヴァロ様ご自慢の剣だったようですね」
「はい、いつもその甲冑人形の手に持たせて眺めていました。……あの趣味も私には理解できませんでしたけど」
「本当に良い剣なのでお気持ちは分かりますよ。切れ味もかなりのもので、非力な女性でも容易に人を刺し殺すことができます」
そう言いながらエレノーラさんは鋭い眼差しを私に向けてきた。
「……私を信じてくれているんじゃなかったんですか? まるで犯人を見るような鋭い眼差しですよ……」
「目つきは生まれつきで他意はありません。私が言いたかったのは、この剣を扱うのに力は一切必要ないということです」
エレノーラさんは剣を逆さにすると手をパッと離す。
ストッ!
剣の刃は石の床に深く突き刺さった。
……なんて切れ味。カルヴァロ様、こんな危険物をいつも抜き身で放置していたのね。
だけど、いくら何でも剣が勝手に人を殺すわけないわよね?
私の疑問を察したエレノーラさんは甲冑人形の胸部分を指差した。
「ここ、少しへこんでいるんですよ。強い力で何度も叩かれたように。確認なのですが、カルヴァロ様は物にあたる癖がありませんでしたか?」
「さぁ、私の前ではそんな素振りは……。あ、でも、いつもケンカをして私が飛び出した後、部屋から大きな物音がしていた気がします。……そうだ、今日もその物音がしていたわ! 私が部屋を出た後もカルヴァロ様は生きていた! やっぱり殺してなかった!」
一人で騒ぐ私を見て、エレノーラさんは初めてその顔に少しだけ微笑みを浮かべた。
彼女は剣を鞘に戻すと甲冑人形の手に握らせる。
「ですから、私は最初からそう言っているでしょう。では、カルヴァロ様はどうやって死んだのか、私の考えを今から披露したいと思います」
エレノーラさんはもう一度カルヴァロ様が倒れていた、血痕のある辺りに視線をやった。そのまま静かな声で話しはじめる。
「あなた方お二人はとてもよく似ているのですよ。ケンカの後に気分を切り換えるための手段をそれぞれが持っていました。メアリー様は散歩、カルヴァロ様は甲冑人形での発散です。今日もケンカをしてあなたが部屋を出ていった後、彼はこの場所に立ち、」
突然エレノーラさんは拳で、ドンッ! と甲冑人形の胸部を強く叩いた。
すると、その手に握っていた剣が傾き、鞘の方が下になってエレノーラさんの体めがけて落ちていく。
彼女はスッと背後に引いて剣を避けた。
「これまで何度も叩かれたせいでしょう、人形の手の握りが甘くなっていたのです。ついに今日、悲劇が起きてしまった」
「じゃあ、カルヴァロ様を殺したのは甲冑人形……、事故ということですか?」
私の問いにエレノーラさんは頷きを返し、床の上の剣を拾い上げた。
……カルヴァロ様、こんな亡くなり方をするなんて……。
だけど、これは今まで度々ケンカをしてしまった私にも責任がある。殺してはいないけど、もう半分私が殺してしまったようなものだわ……。
……ちょっと待って、半分どころじゃないでしょ。仮に真相がそうだったとしてもそれを証明するものは何もないんじゃない? 私の無実は証明できない!
私は勢いよくエレノーラさんの方に振り返る。
「これは完全に犯罪にしか見えない事故、完全犯罪事故よ! 真相を話しても誰も信じてくれないんじゃないかしら!」
「はい、説明して信じてもらうのは難しいでしょう。このような事案なので、私が派遣されたのです」
「え……、どういうことですか?」
「私ならメアリー様の無実を証明できます。それが可能な魔法がこの身に宿っていますから」
エレノーラさんがそう言った直後に、室内の空間がジジッジジッと揺らめき出した。
何なの! こんなことが現実に起こりうるなんて!
慌てふためく私を落ち着かせるように彼女は肩に手を乗せてきた。
「すでに魔法を発動させました。私の魔法とは、その場で起きたことを時間を遡って見にいく、〈空間再現〉です。発動には条件がありまして、それは私の想像が事実とかなりの部分で一致していること。つまり、発動が成功しているこの時点で先ほどの推理は正しかったということになります」
「すごい魔法ですね、〈空間再現〉……。……ということは、今からカルヴァロ様の死の現場を見にいくのですか!」
反射的に私は執務室の扉に向かって駆け出していた。ドアノブに手をかけてちらりと振り返ると、エレノーラさんは少し申し訳なさそうな表情を見せる。
「配慮が足りませんでした。婚約者の死の瞬間なんて耐えられませんよね」
「それもありますが……、きっと、カルヴァロ様は最期に私のことを罵っていたと思うんです。……そんな姿は見たくありません。ケンカばかりでしたが、私はあの方を愛していましたから」
これを聞いたエレノーラさんは執務机の方に歩いていく。机の上に置かれていた一冊の本を手に取った。
「あなた方はとてもよく似ていると言ったでしょう。これはカルヴァロ様の日記です。事前に調査官の権限で拝見させていただきました。メアリー様もご覧になれば、私がそう言った理由が分かりますよ」
日記を受け取った私はおそるおそるその中を覗いた。
書き連ねられていたのは私に対する罵詈雑言、ではなく、ひたすら後悔と反省の言葉だった。
カルヴァロ様も、最近は会えばいつもケンカになることを悔やんでいて、現状を何とか変えたいと願っていたのが伝わってくる。日記の最後はこう締めくくられていた。
『次こそ普通に話をしよう。俺はメアリーが怒りっぽいだけの女性じゃないと知っている。今のこの時期を乗り越えれば、きっとあの明るくて楽しい性格が戻ってくるはずだ。メアリーの方も何とかしようと努力しているのは分かるから、俺も頑張らないと。俺の結婚相手は彼女以外にありえないのだから』
……一緒だった。カルヴァロ様も私と同じように頑張ってくれていた……。
私は涙を拭ってエレノーラさんの方に向き直る。
「私にも見せてください……! どんなに辛くても、私はあの方の最期が見たいです!」
「分かりました。では、この部屋の時間を巻き戻します」
エレノーラさんの言葉を合図に空間の揺らめきが強くなる。
――――。
気付けば目の前には、私とまだ存命のカルヴァロ様が立っていた。二人で激しく言い争っている。
「君とはもう婚約破棄だ!」
「望むところです、こっちから婚約破棄してあげますよ!」
そう吐き捨てて数時間前の私が執務室から出ていく。
残されたカルヴァロ様は、抜き身の剣を持った甲冑人形の前へと足を進めた。
「どうしてまたこうなってしまうんだ!」
怒りと共に振り上げた手で人形の胸部を……。
ダメ! それを叩いたらあなたは!
過去の出来事と分かっていても私はそう叫びたくてたまらなかった。その瞬間を私は直視できずに思わず目を逸らす。
次に見た時には、カルヴァロ様の胸に深く剣が刺さっていた。
「……ぐ、……そんな、嘘だろ……。……こんなことが。……いや、それより……、これはまずい……。もし、このまま死んだら……、確実に、疑いがメアリーに行く……!」
カルヴァロ様は刺さった剣はそのままに、ゆっくりと執務机に向かって歩いていく。
「何か、書き残して……、事実を伝えないと……!」
しかし、彼は力が抜けてしまったように途中で床に崩れる。赤黒いしみができていたあの場所で、仰向けになって倒れた。
「……まだ、死ねない……。……メアリーを助けないと……。……無理、なのか……。……だ、誰か……、誰でもいい……、……メアリーを、救ってくれ……」
一つ呼吸をしたのち、カルヴァロ様は薄っすらと目を開けて天井を見上げる。
「……メアリー、……やっぱり、君との婚約を破棄する……。どうか、幸せに……」
そう呟いたのを最後に、彼の瞳から光が消えた。
――――。
時間が元に戻った執務室で、私はカルヴァロ様がいた場所で両膝をついていた。拭っても拭っても止めどなく涙が溢れてくる。
エレノーラさんはそのまま静かに部屋を出ていって私を一人にしてくれた。
どれくらい時間が経ったかも分からないほど泣き続け、いつの間にか疲れて眠ってしまったらしい。目が覚めると私は公爵家の自室のベッドで寝かされていた。
その後、エレノーラさんが真相を報告してくれたようで、カルヴァロ様の死は不幸な事故だと公表され、私は罪に問われずに済んだ。
――だけど、どれだけ時が流れてもカルヴァロ様以外の男性と恋愛する気になれず、長男である弟と一緒に公爵家を継ぐことになる。
仕事が一段落するとふと思うことがあった。
やはりエレノーラさんは、カルヴァロ様が私を助けるために遣わしてくれたのだろうか、と。
いずれにしてもエレノーラさんには感謝してもしきれない。
彼女の魔法のおかげで、私が愛した人は最期のその瞬間まで私のことを想ってくれていたのだと分かったんだもの。
だから、私は彼との婚約は破棄しない。
結婚式を挙げるのは、きっと私が……。