第二節:剣、舞う煌めき
朝日が地平を照らし、夜の名残を静かに押しのけていく。
一羽の白い鳥が、光を浴びて羽を広げた。
朝の風に乗り、ひとつ弧を描くように空を舞い、翼を小刻みに打ちながら上昇していく。
風を切りながら羽ばたく鳥の瞳に、下界の都市が映る。
それは、まるで神が地上に描いた光の設計図。
三つの円環が中央で交わり、幾何学的な美しさと精密さを併せ持つ都市。
その名は――ルナセ・イド。
都市は、静謐と秩序の中に、どこか神秘的な気配を漂わせていた。
外周は白石の城壁で囲まれ、その内に円ごとの仕切りが存在する。
城壁には魔法陣が彫り込まれ、淡く輝きを放っている。
三本の塔がそれぞれの円の交点に立ち、都市全体の中心を支える柱のように天へと伸び、都市を守るように、その重心を確かに押さえていた。
足元では、二筋の川が流れ込み、都市の内でひとつに合わさって再び大地を下ってゆく。
白い鳥は、ゆるやかに旋回し風の流れに身を任せながら、翼を広げ、滑るように高度を下げていく。
外殻の南西から巨大な門を抜けると、都市の大通りがその先に広がる。鳥はさらに風を受け、身を軽やかに操りながらまるで風と戯れるように、ひらりひらりと渡ってゆく。
眼下に、円環外殻の影に寄り添うように広がる騎士の訓練場が見えてくる。
すぐに緩やかに風を受けてふわりと旋回する。そして、跳ねるようにして訓練場の木柵を越え、地を蹴る音が響くその場所へと視線を向けた。
パッと、光が煌めいた。
朝日を受けた剣が反射し、一筋の閃光が空へと跳ね返る。
その光に導かれるように、白い鳥が翼を打ち、風を裂いて高く舞い上がる。
羽ばたきが空に溶けていくころ、地を踏みしめる音が再び響いた。
そこには、訓練場で剣を振るう一人の少女がいた――その名は、セラフィーナ。
二振りの剣を手に、まるで舞い踊るような身のこなしで、次の一手へと繋げていく。
背はすらりと高く、鍛え抜かれた脚が大地を力強く蹴り出すたび、しなやかな動きの中に確かな重みが宿る。
その背中には、陽の光を受けてわずかにきらめく青の髪が、流れる水のように軽やか揺れていた。
腰を越えてなお伸びる髪は、跳ね、翻り、時に彼女の動きとともに空を舞う。
引き締まった体が描く軌道と、空を舞う青髪が重なり合い、見る者に「戦い」と「舞」の境界を忘れさせる。
呼吸は静かに、だが確かに熱を帯びていた。
淡い光を背に、滑らかに、鋭く、そしてしなやかに。
剣が風を切る音が、規則的な足音と共に訓練場に響きわたる。
彼女は神に舞いを捧げ、剣を振るう神官――彼女の身に宿る気配は、凛と張り詰めながらもどこか柔らかかった。
……そして、それが今の私――
* * *
薄く息を吐く。剣の感触が、掌から伝わる。
冷えた空気の中で、私の体だけが熱を孕んでいた。
――ヒュッ ヒュッ …… ヒュンッ!
「ほぉ、調子よさそうだな」
「おはようございます、団長!」
一人の偉丈夫が、私の近くへと悠然と歩み寄ってくる。
剣を収め、礼儀正しく挨拶を返した。
この人は、紫色騎士団の団長、ドゥーエル・ガーラン。
齢40を超えてなお、騎士団を率い、都市外部の治安を守るために戦い続けている。
都市の外を守るために日々戦い続ける彼の身体には、数えきれないほどの傷痕が刻まれている。
「随分と熱が入ってるな。何かあったか?……顔が緩んで、アホ面になってるぞ」
「えっ!!?分かりますか!?――あっ!い、いえ、特には……うー……ただ、なんとなく身体を動かしたくなりまして」
瞬間、頬が一気に熱くなり目を見開いて驚いたかと思えば、すぐに戸惑って眉が下がり、思わず手で顔を隠してしまっていた。緑の瞳も、困ったように彼から視線を逸らす。
自分でも分かるくらい、表情がコロコロ変わってしまっている。
この人は観察眼が高いというよりも、今回は、完全に私の方が隠しきれていません。
神官として、神託を受けたのです。
嬉しさが胸がいっぱいで、表情に出てしまうのも仕方がないことです。
――でもアホ面ではありません、にやけているだけです。ただ……
ただ、胸の奥にあるその「神託」を「旅立ち」を、どのように切り出せばよいのか――
「――……そうだな。剣を取れ。久しぶりに軽く揉んでやろう」
「っ、はい。よろしくお願いします」
団長が何かを察したように己の長剣を私に向ける。
――空気が変わる。
その鋭い眼差しに、一瞬で気持ちが引き締まる。
私も、迷いなく双の剣を構える。
表情は、今はもう揺れない。いつだって真剣勝負。
この人は言葉ではなく、剣で語る人。だからこそ、私も剣で応えるのです。
いつもそうだった。この人は剣で語るし、苛烈だ。
* * *
ザシュ―――ッ!!
私の腕が、血飛沫を撒き散らしながら空へと舞った――。
数合、打ち合う。いや――打ち合わせて“もらっていた”だけかもしれない。
私の双剣は、団長の長剣に弾かれ、流され、追い詰められる。
そして、一瞬の隙。
「しまっ――」
刹那、視界の端で何かが飛んだ。
それが自分の腕だと理解したのは、痛みが脳を突き刺してからだった。
骨ごと断たれた衝撃が遅れて押し寄せ、鋭く焼けるような痛みが全身を駆け抜ける。
膝が崩れ、私は地面についた。
「い”~~~~―――っっ!!」
「――こんなものか」
長剣を肩に乗せた団長が、あくまで軽く、終わりを告げる。
叫びそうになる喉を、歯を食いしばって押し殺す。
人の腕を切っておいて、こんなものかはありません!
苛烈、そう苛烈すぎます!
この人は、いつも、そう、いつも容赦が無い!
もっと手加減しろ!できるでしょう!!
「ほら、さっさとくっ付けろ」
ぽんっと、団長は地に落ちた私の腕を、まるでボールでも投げるかのように軽く投げてよこす。
痛みで顔をしかめながらも、私は残った片手でそれを受け取った。
眉間にしわを寄せ、団長を睨みつける。
「―――っ、
清らの息吹よ、穢れを祓い――
痛みも、涙も、すべて忘れさせよ。
聖なる御手よ、今こそ届け。命の奥底へ――
安らぎを、与えたまえっ」
痛みを我慢しながら切断された腕を傷口に添え詠唱する。
唱えると同時に、じわりと聖なる光が傷口を包み込む。
ちくちくとした違和感と、筋肉が再びつながるような鈍い痛み。
けれど、肉も骨も、きちんと元通りに戻っていく。
流れ出た血は戻らないけれど、それさえも清められていく。
服についた血も、まるで最初から無かったかのように
ゆっくりと、団長が膝をついたままの私の前に立つ。
どさっと、そのまま地面に胡坐をかいて座る。その眼差しは、真っ直ぐに私を見据えていた。
「剣がすぐ上手くなるわけないな。お前さんには剣の才能が無いのは、よくよく伝えてはいるし」
「……はい」
無いのは分かってますけど……いえ、無いからこそ手加減ぐらいして下さい。
「ま、剣に真摯に向き合っている。そこは俺も買っている。今のお前は……そうだな、剣よりも神殿で何かあったな?」
「……神託を。そう、神託を受けました。旅立て、と」
その言葉を聞いた瞬間、団長の目が大きく見開かれる。
瞳には驚きと戸惑い、そして何か言い知れぬ感情が宿っていた。
「神託……っ、そ、そうか。そうだな、セラは神官だから……そういうことも、あるのか……」
「俺はてっきり、お前に……いや、なんでもない。……ふーん、神託ねえ……」
途端に口ごもり、天を見上げてぶつぶつと呟き始める。
その顔はどこか複雑で、驚きと、妙な納得と、ちょっとだけ……落胆?
いや、違う。驚きすぎて整理が追いついてない顔だ。
何だろう、いや、何か引っかかる。
もしかして私のこと――とても失礼な事を思っていませんか?
「なるほど、それはアホ面……喜色を浮かべるわけだな。良かったじゃないか」
がしがしと、乱雑に私の頭を撫でる手。
痛い。けど、温かい。
まるで父親のようで、でも、それよりもっと不器用でぶっきらぼうで。
「だからアホ面では……まぁ、そうですが」
思わず口元が緩む。認めたくないけど、たぶん今の私、ほんとうに嬉しそうな顔をしているのだろう。
だって――あの瞬間、本当に、神様が私を見てくれていると思えたから。
「旅か。ここも少し静かになるな。すぐに出るのだろう?」
「……そうですね。皆に挨拶を終えたら、すぐにでも出発することになると思います」
そう答えながら、自分の声が少し震えていることに気づいた。
紫色騎士団――都市の外縁を戦場とし魔物を狩るための精鋭。
命のやりとりが日常であり、その訓練は自然と熾烈なものになる。
仲間や街を守り、魔を討伐する。そのためだけに、刃を握り、心を鍛える。
その在り方故、死と隣り合わせであり、もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。
そう思うと、胸の奥が、きゅっと締めつけられるようだった。
「街から一歩も出たことのないお前に、旅を御達しするとはな……まあ、俺らが鍛えたんだ。そう易々とくたばることは無いだろう」
団長はそう言い豪快に笑う。それにつられて、私も笑ってしまった。
――……そうですね。団長は簡単にくたばるような人じゃありません。
その団長に鍛えられた私だって、剣を振るい、斬られる痛みに耐え、自らを癒すことで、神聖魔法も磨かれていったのです。
私は、並の団員くらいには頑張れるようになった……筈。そう思いたい。
だから、大丈夫です。
旅路の先に何があろうとも、私なら乗り越えてみせましょう。
そう――神様が望むなら、そして、私自身がそれを選んだのなら。
「……ありがとうございます。団長」
「――……あぁ、がんばれよ」
私は立ち上がり、深く、深く頭を下げた。
団長の声が返ってくるまでの、数秒が、少し長く感じられた。