第十節:セラフィーナという少女(フェリカ視点)
一瞬の静寂。
視線を感じる。私は顔を上げないまま、こっそり様子を伺った。
「……えらいわね。素直に教えを乞う事は良いことよ」
ぽん、と頭の上に柔らかに手が置かれた。
「まず第一に、“目的を明確にする”こと。何を知りたいかを頭に浮かべて、それに近い言葉を探して」
「目的……」
「そう。たとえば、私が調べた神託といっても、誰に与えられたのか、何を告げたのか、その後どうなったのか……角度を変えれば、見つかる記述も変わるわ」
「なるほど……あ、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
フェリカはいつもの涼しい顔で言いながらも、どこか満足げだった。
そしてまた、自分の読んでいた本へ視線を戻す。
私は新たに本を手に取り、もう一度静かなページの世界に向き直る。
“目的を明確にする”
それはつまり、自分自身が“何を知りたいのか”を問い直すことでもある。
――私は、なぜこの声を受けたのか。
なぜ、有翼光輪が消えたのか。
そして、あの神の声は本当に神だったのか。
ひとつひとつ、ページの中に問いを投げかけていく。
すると、確かに――少しずつ、けれど何かが浮かび上がってくるような気がした。
* * *
セラはやる気を出して、本棚へ向かっていったけど――まぁ、無理でしょうね。
神官という立場のわりに、本を読む習慣があまり無さそうだし。
何より、やる気を出したからって、すぐに結果が出るほど甘くはないわ。
……とはいえ、妙に勘の良い子だし、ひょっとしたら何か面白い本でも見つけてくれるかもしれない。
だから、今は様子見ってところかしら。
私は手元の本をゆっくりと捲りながら、ちらりと彼女の様子をうかがいながら思考の糸を静かに巡らせる
――からかい甲斐のある、実に面白い娘。それが、私から見たセラフィーナの印象だった。
最初に彼女を見かけたのは、昨日の午前。たまたま気まぐれに観賞した神殿での舞のときだった。
踊り手は皆、正式な神官位を持つ者。
その中に、一人だけ――有翼光輪を持たない者がいた。
不思議に思った。有翼光輪を持たずして、神官、そして踊り手として舞台に立てるものなのか?と。
それが、セラフィーナだった。
彼女は、誰よりも美しく、そして力強く舞っていた。
ただの技巧ではない。まるで、内から沸き上がる何かが、身体を突き動かしているかのような踊りだった。
……けれど、踊りが上手いと言うだけで、神の前に立てるだろうか?
興味は尽きなかった。
彼女が特別なのは、有翼光輪がないことや踊りが上手いというだけではない。
もっと根本的に、“何かがおかしい”のだ。
そもそも、舞はただの芸ではない。
それは一種の大規模な神聖魔法。踊り手と観客の魔力を集め、それを神力に変えて神へと捧げる儀式。
他の踊り手たちは皆、魔力を神力へと変換し、都市に流していた。
それが当然の流れ。
――にもかかわらず、彼女だけが、神力をそのまま自らの内に蓄えていた。
「今日の踊り子は、いつもより輝いて見える」――
そんなことを言っていた観客もいたけれど、それも当然よね。
あれだけ神力を取り込んでいれば、輝いて見えるに決まってる。
魔眼持ちの私からすれば、むしろ“眩しすぎる”くらいだった。
あたしは――本当に、運がいいと思う。
旅の目的なんていうの曖昧だ。
面白そうな噂があればふらっと立ち寄る。つまらなければさっさと次の街へ……といった程度のもの。
この街に来たのもそう。
「神殿に破滅思想に取り憑かれた集団がいるらしい」――なんて、
信憑性なんて無い眉唾な噂に誘われて足を運んだ。話の半分どころか一分も信じていなかったけれどね。
旅をしていれば、それなりに色んなものを見るけれど、面白そうな誰かに出会えることは、そうそうあるものじゃない。
あたしにとって、その“誰か”とは、ただ珍しいとか特別とかじゃ足りない。
理屈じゃ測れない、何かを感じさせる存在。
この街について、まだほんの数日。
なのに、もう見つけてしまった。
あたしの勘が、静かに、けれど確実に騒いでいる。
胸が高鳴る。久しぶりの感覚だった。
青くて長い髪、そして二振りの剣。
あれだけ分かりやすい特徴がある彼女の素行を調べるのは、正直たやすいものだった。
神殿の関係者に直接聞いたわけじゃない――
けれど、神殿に出入りする商人や仕立て屋、香の職人たちからは、実に面白い話をいくつも聞けた。
案外、そういう連中の方がよく見てるのよね。
神官たちの人間関係や、日々の些細な変化まで、ね。
この街で神官の家系に生まれ育って、街の外には一度も出たことが無い箱入り娘。まぁ、都市に住む人間にはよくある話ね。
十年以上前から騎士団で剣術を習っているっていうから、さすがに少し驚いた。
それでいて、れっきとした正規の神官でもあるらしい。
……有翼光輪ないのに。
神官としては模範的――とまでは言えないし、俗っぽい素行もちらほら目立つけれど、人当たりは悪くないようで、けっこうと慕われてもいるようだった。
それが彼女の“本当の姿”なのか?
それとも見事に猫を被っているだけなのか?
噂に聞いたカルト集団に属している様子は無さそうだけれど、隠している可能性がないわけじゃない。
そもそも、神官が剣術を習うって時点で、ちょっと変わってる。
本人は“剣舞のため”って周囲には言ってるみたいだけど、神殿でそれを舞う機会なんてない。
だいたい、剣舞っていうのは、別の民族の伝統じゃなかったっけ?
どこでそんな文化に触れたのか――不思議よね。
……もし仮に、強固な仮面をかぶって神殿をうまく騙してるんだとしたら、たいしたものよ。
かなりの演技派か、あるいはよっぽど天然か。
十分聞けたし、接触してみることにしましょう。
まあ、別にあたしは正義の味方じゃないし。
カルト集団に属してようが、面白いものを見せてくれるなら、それでよし。
――剣を向けてきたら、その時は、そうね。
ちょっと痛い目見せて、きっちり捕まえさせてもらうわ。お小遣い稼ぎにはなるでしょ?
そう思い、「セラが公園で踊りの練習をしている」って話を聞いて、直接見に行ってみた。
夕刻過ぎの彼女しかいない、暗く小さな公園。
あたしは、出会って早々またも目を奪われた。
剣を手にした舞。
ドキリと、胸の奥が跳ねたのがわかった。
神殿の舞よりも――躍動的で、優雅で、そして、何より美しかった。
魔力と神力が、まるで呼吸を合わせた恋人同士のように、なめらかに織り交ざっていく。
そんな舞、見たことなかったわ。
光が集まり、風が揺れて、彼女の髪がひときわ煌めいた瞬間――思わず息を呑んだ。
型に嵌まった舞いじゃない。
けれど、荒削りでもなく、むしろ、練り上げられた感情そのものが踊ってるようだった。
なんて言うか……身体じゃなくて、魂が舞ってるみたいだったのよね。
どうやったら、あんな風に舞えるの?
あんな風に、神様に届くような舞を、誰かができるなんて。
剣舞を扱う一族に出会ったことがあるけど、あれとも違う。
もっと――眩しくて、心を掴んで離さない。
あれは、彼女だけの舞だった。
……ま、そのあと軽く煽ったら、見事に激昂してくれたのはご愛敬ね。
いや、ちょっと暴言が過ぎたかもだけど――仮面を被ってたとしたら、感情を揺さぶるのは悪手じゃない。むしろ定石。
でも、あれは仮面じゃなかった。あの子は、恐らく本当に善良なんだと思う。
悪意に触れて歪む人なんて、いくらでも見てきたけど、
それでもなお、正しくあろうとする姿勢が揺らいでないって、ちょっとすごいこと。
神の加護だけじゃなくて、自分の意志でもそうしてる――そんな風に見えた。
……まあ、だからこそ煽りたくなったってのも、あるんだけど。
それにしても――あたしが“拘束してる”のを見ると、なんかこう……ね。
心が、くすぐられるっていうか……いや、うん、多分気のせい。
警戒されてるのは、まぁ……仕方ないわね。
あれだけ派手に煽っておいて、仲良くしようは虫がよすぎるわ。
それにしても、やはり腑に落ちないのは――
どうしてあの子が神聖魔法を使えるのか。
本来、神聖魔法は“有翼光輪”――神との接続器を通して発現するもの。
それがないセラフィーナが、あれほど自然に、行使してみせるなんて。
となると……彼女は――
まさか、神様そのもの?
……いやいや。いくらなんでも、それは飛躍しすぎよね。うん。
でも、そのうち何かは見えてくるはず。
セラが旅立つのなら一緒についていくことにしよう。
お姉さんとして、あれこれ教えてあげるのも――ちょっと楽しそう。
何より、近くで見ていたいのよ。あの不可解で、美しくて、眩しい存在を。
そう思いながら、頁を一枚めくる。
ぺらり、と乾いた音。
ん?……ふぅん。あ、そういうこと。
四百年前。魔法王国の最後は死の都……か。
カルト集団、もし彼らが実在するとしたら、厄介なことになりそうね。
でも、居るか?居ないのか?どっちなのかしらね。
さて――セラは、面白い本に出会えたかしら?