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羅刹の鳥 六

 ささやかな─いや、少し長くなる後日談。事件からしばらくして、懸命な治療によって夫婦は何とか一命を取り留めた。一ヶ月を過ぎる頃には峠も越えて、寝台から降りて歩く練習も出来るようになった。今では元の屋敷に帰り、生活を営んでいるという。


 事件の話が表沙汰になった時、世の中の人々は皆口々に言った。比目の魚がどちらも盲いてしまったのは、何とも悲しいことではあるまいかと。


 ところが、共に盲目となってしまったにも関わらず、夫婦の絆は変わることなく、今日まで仲睦まじく暮らしているという。少し前、ぼくが見舞いに屋敷を訪ねた時、白い布の覆いで目元を隠しながらも夫はにこやかに笑って言っていた。


「確かに、ぼくらには目がありません。けれども、お互いを思う相手の姿は『視える』のです。たとえ目が無くとも相手の『眼差し』を感じ、声を聞き、触れることで、相手の愛を知ることが出来るのです。何も失ったものなど、ありはしませんよ」


 この言葉を聞いて、ぼくは胸が詰まる思いだった。夫婦の素晴らしい絆に感銘を受けたというだけではない。目玉を奪ってしまえば、誰かが自分に振り向いてくれるだろうと思っていた羅刹鳥に対する哀れみの気持ちが、より強い波となって心の中に打ち寄せて来たのだ。たとえ見た目には見えずとも、人はあらゆるところから愛情と幸せを『視て』、この世界を生きていく。


「奴のやったことは、全くの無駄だったのか」


「どうしたんですか、急に」


 見舞いから帰った後、ぼくはいつも通り居間で煙管を咥え、『名無し』と話していた。暑さのせいで食欲が落ちたぼくのために、小魚の酢味噌和えを持ってきてくれた彼が、ぼくの呟きを拾って問い返してくれる。


「羅刹鳥のことだ。結局、奴は何を成したのだろうな。奴に目を奪われても、あの夫婦の幸せは少しも損なわれることは無かったわけで。そうなると、奴が生まれた意味とは何だったのかと少し気になってしまってな」


「お優しいのですね、永暁さまは。ただ、全てのものに意味や理由を求めたがるのは、少し悪い癖かも知れません」


「まあ、確かにそうだな。実際にあるものは、ただそこにあるものだけで、理由だの意味だのは後から付いてくるものに過ぎないのかも知れん……で、安侍郎の邸宅の方はどうなった?」


「地下を掘って、遺骨や墓石を回収して、改めて弔うそうです。これで祟りもなくなるだろう、と」


「そうか。それは何よりだ」


 薄い煙を吐き出して、その中に曖昧な未来の姿を描き出す。あの夫婦が前に進む様に、ぼくらもまた前に進んでいくのだろう。しかしそれは、必ずしも自分の意思で歩むわけではなく、後ろから突き飛ばされて、激しい渦を巻く海の中に、身を躍らせる様なものなのかも知れない。


「なあ、『名無し』」


「はい」


「正直に答えてくれ。ぼくが結婚式の真似事をやろうと言った時、お前はどう思った?」


「……」


 正直なところを言えば、結婚式の真似事をぼくがやろうと提案したのには、それなりの理由がある。事前の打ち合わせの為、ぼくらは何度か白雲観へ足を運び、羅刹鳥を誘き出す計略を相談したのだが、その時赫老師はこんなことを言っていた。


「もし偽の結婚式をなさるのであれば、赤の他人を仕立てるのではいけません。羅刹鳥は嘘を見抜きます。それこそ、お互い本当に結婚しても良いと思うくらいの、強い結び目が必要なのです」


「(成功したということは、彼はぼくのことを憎からず思っているのだと信じたい)」


 だがそれは、きっと彼にとっては異質なものであるはずだ。今からの目の前にいるぼくはあくまでも男であって、彼の主人に他ならない。二重の壁が─というより、越えることが不可能な谷が広がっているも同然なのだ。


「(ぼくは僕の悩みを正当なものと思えるかも知れないが、彼はどうなのだろうか)」


 怖くて仕方がなかった。彼に正体を見抜かれることが怖いのではない。彼が、自分のことを異常だと思ってしまうことが、彼がぼくのために悩み苦しむことが恐ろしかったのだ。


「……無礼を承知で申し上げますが」


「うん」


「……わたし自身はその、悪くないかも知れないと、そう思いましたよ。勿論、永暁さまが、顔が綺麗でも男であるということは、飲み込んでいますけれど。それでも……あぁもう!聞かないでください!帰ります!」


 足音荒く部屋を飛び出そうとする彼の手を取って、強引に引き留める。大体、結婚式云々の説明をされて、首を縦に振った時点で察して欲しいものですよ……などとぶつくさ呟いていた。


「失望しましたよね、こんなその……壊れた男で。恐ろしくはありませんか?」


「……いいや」


 ぼくは首を横に振って、


「お前の言葉を借りるならそうだな……ぼくも、『悪くない』と。そう思っているよ、『名無し』」


 引き留めた手のひらを重ねると、少し躊躇うような震えが走り、やがて確かな力で握り返される。後ろを向いていても、彼がどんな『眼差し』でぼくを見ているのか分かる。ほんの僅かな触れ合いだけで、彼が何を感じているのか、ぼくが彼から何を感じているのかが分かる。


「(不安と優しさと、揶揄いと。そしてほんのちょっぴりの─)」


「どうかしましたか?」


「なあ、『名無し』。少し目を瞑ってこちらを振り向いてくれないか?」


「え、なんか怖いんですけど」


「いいから。目を瞑っていろよ。それから、手は繋いだままだ」


 訝りながらも彼はぼくの言ったことに従って、無防備な顔をこちらに向ける。ぼくは分からないようにやりと微笑んで、ほんの少し背伸びをして、自分の温度を彼の頬に押し付けた。


「もういいぞ」


「……永暁さま。一体何をなさったんですか?」


「分からんのならそれでもいい。だが、分かったとしても、口には出すなよ」


 きっと、今ぼくがどんな顔をしているかも、彼にはすっかりバレてしまっているのだろうな。あるいは、隠しておくべき正体のことを考えれば、なんて無謀な行動だったことか。だが、きっともう、それでも良いのかも知れない。


「とにかく夕飯にしよう。今日は何がいいかな、暑くとも口に入るものがいいが……」



 ─程なくして、あの夫妻の話が帝の叡聞に達し、世の規範たる良き夫婦の姿として賞銀と、お褒めの言葉を賜ったことを付け加えて、この話はこれまで。

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