羅刹の鳥 四
陽が傾いて、空が茜色に染まった頃。戸部で一通りの調査を終えて屋敷に戻ってみると、すでに『名無し』も用事を終えて戻っていた様で、居間にはよく冷えた茶と甘瓜の実が用意されていた。まとわりつく様な暑さにうんざりしていたぼくは、堪らずそれらにむしゃぶりつき、黙々と食べ続けた。
「お疲れ様です、永暁さま」
「うまい、うまい……外は暑くてジメジメするし本当に辛かった」
「挙句書庫ですからね。さぞお辛かったでしょう」
「お前は平穏そうで結構だな。それ相応の成果はあったのだろう?」
「勿論ですよ」
煙草に火をつけながら問うと、彼は不敵な笑みを浮かべた。どうやら、生意気な態度を取るだけのことはあるらしい。
「白雲観の赫真人のご意見によれば、この黒い羽は『羅刹鳥』と呼ばれる妖魔のものだそうです」
腰に括り付けた巾着袋から二枚の黒い羽と、鳥の絵が描かれた書き付けを取り出し、ぼくの前に置く。羽を明るいところでよく観察してみると、鴉の濡れ羽色というよりは、黒鷺の様な煤けた色に見えた。描かれた鳥の姿もそれにそっくり。
「羅刹鳥、聞いたことがない妖魔の名前だ」
「曰く、荒れ果てた墓地に溜まった陰の気や、死人の怨念から生じる化け物で、黒鷺の様な長い嘴を持っている鳥だそうです。様々なものに化けて祟りを成し、特に若い夫婦の目玉を狙うことが多いとか。ある時は妻に化けて夫を狙い、その逆も然り……幸福を妬んでのことかも知れない、と老師は仰っていました」
陰の気を凝集して生まれる化け物。他人の幸福を妬み、目玉を主食とするもの。一体何故、それに執着するのだろう。そして、その化け物はいったいどこから現れて、哀れな夫婦を襲ったのだろう。
「……なるほど、そういうことか。ようやく繋がったな」
ぼくは煙管に溜まった灰を叩き落とすと、『名無し』を隣に招き寄せた。懐から京師の地図を取り出して、朱色の筆で丸を書き込む。
「安侍郎の邸宅の前歴を戸部の資料で調べて来たのだが、どうやら、邸宅になる前は亡くなった旗人を葬る小さな墓があったらしい。ところが、今から二十年前の時点では既に管理者がいなくなり、荒廃して売りに出されていたのを、安侍郎が買い取って屋敷にした。この時墓を他所に移す儀式を忘れて、そのまま埋めてしまったと」
「あ、それ老師も言ってました。安侍郎の邸宅は元々墓地だったはずだが、と。それにしても、墓地を潰してそのまま屋敷を建てるって……本当の話ですか?」
「当人に聞いた。ちょうど出仕していたのでな。それにしては、どうして祟りが無いのかと不思議に思っていたが、何のことはない、最近細君を亡くしたばかりだった。目玉を抜き取られていた訳ではないから、そう噂にもならなかったが」
「何ともまあ、嫌な因果のまわり方ですねえ」
「老師方は何と?」
「長い間顧みられることが無かった墓地の気が、遂に羅刹鳥となって姿を現し、初めて人の目玉を食ろうたので力を増して、遂には飛び回れる様になってしまったのではないか、と仰っていました」
「つまり、二組の夫婦を殺した羅刹鳥というのは、同じ鳥だと?」
「そう考えるのが妥当ではないかと。そもそも、あれだけの力を持つ妖魔はそうそう生まれることはない、精々数十年に一匹出るか出ないか。それも、天下がよく治っている太平の御代には、人々の幸福で陽の気が充満しているので、現れてもそう強くはならないと老師は……」
「しっ、滅多なことを言うな『名無し』。これ以上は天朝への批判と取られる。立場上、ぼくはお前を罰さなくてはならなくなるぞ」
ぼくは慌てて彼の口を塞いだ。何事もうまく治っていたと言われる先帝の御代、しかしその終わりから既に天朝の威光には翳りが見え始めていた。当代の帝はそれを必死で取り戻そうとしているのだ。
「とりあえず、ぼくらが考えるべきはどうやってその羅刹鳥を退治するかだ。無論、その方法も聞いてきたのであろう?」
「はい」
彼は懐から白絹に包まれた木製の短剣を取り出し、ぼくに手渡した。
「桃の木で出来た短剣です。隙をついてやつの土手っ腹に突き刺せば、どれだけ巧妙な変化で身を隠していても、すぐに露見すると」
「流石は老師方だ、良いものを持っている。ではそうだな、ここは一つしっかりと作戦を立てて事にあたろうではないか」
「はい」
短剣を懐中に仕舞い込むと、ぼくは居間の外で控えていた召使を呼び出し、
「悪いが準備を頼めるか?」
「何のでしょう」
「無論、結婚式だ。こいつのな」
「えっ!?」
指を指された時の『名無し』の顔。恐らくそれを、ぼくは一生忘れないだろう。酷く間抜けな顔で立ち尽くす彼の手を握り、ぼくはもう一度、噛んで含める様に繰り返した。
「お前の結婚式を挙げる。さっさと準備をするんだ、麗しい花婿よ」