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好色にはご用心

注釈

1…江蘇省の地名

2…紅楼夢より。西施は春秋戦国時代の美女。伝説では病で顔を顰める様も大層美しかったとされ、その為醜女が真似をして自分を美しくしようとして失敗した、という故事から『顰に倣う(やたらに人の真似をすること)』の由来となった。比干は殷代の聖人で、暴君紂王を諌めたところ「聖人の心臓には穴が二つあるという」と言われて胸を切り開かれ殺された。

 「親王殿下、殿下は様々に怪しいものを見聞きしたことがあるとのことでございますが、何か一つお話願えませんでしょうか?」


 さる京師の大官の宴に招かれた時、こんなことを言われた。普段ぼくは昔話などしない質なのだが、この時はちょうど良く酒の酔いが回っていたので、丁度その大官が美しい妓女を身請けしたというので、それに絡む話をしてやることにした。


「少し昔のことで、わたしがまだ十五歳くらいの頃でございましょうか、ちょっと用事があって蘇州の方まで旅をする機会があったのでございます。蘇州の方と言いますと江水の河口に程近い場所、なので行くには当然船を使うということになります。そうしてしばらく旅をして、鎮江(注1)のあたりに差し掛かったところ─」


 夜半、ぼくと『名無し』の乗った船が船頭の休憩のため船着場に泊り、さあ間も無く出発だと言う時、二人ばかり乗せてくれと頼む者があった。聞けば一人は金陵の商人で今から商売があって蘇州まで行くところ、今一人は素性の知れぬ若者であったが、太湖の辺りに家があるので途中までで良いからどうか乗せていってくれという。


 ぼくは一応それなりの銀を払って船を貸切にしていたので渋ったが、船頭曰くこの時間に蘇州へ行く乗合船はもう無いといわれたことと、『名無し』に少しばかり面白い供連れがいた方が、旅の無聊も慰められようと言われたことが決め手になって、二人を乗せてやることにした。


「一人目の商人というのは如何にも今波によって商売が盛んといった風情の人で、でっぷりと太ったら体つきに福々しい顔をしていました。ちょうどそこに祀られている大黒天さながらといったところ。一方若者の方はこれは面白いもので、男だというのに骨格はなよりとした女のようで、顔にも髭ひとつないのです。つるんとした丸顔の上に艶やかな髪の毛が乗っかっていて、結んで垂らした姿には思わず唾を飲み込むほどでした」


「『西施よりも病は三分、比干よりも心は一穴多く』(注2)と言ったところですかな?」


「前者はともかく後者の程は如何でしょうね」


 掛け声と共に船が岸辺を離れて夜の運河に漕ぎ出すと、やることが無くなってぼくらは自然と客室で顔を合わせることになる。借りた船は金持ちや貴人が使う様な良いものであったから、客室も広ければ乗組の訓練もよく行き届いており、ぼくらが集まって座り込むや、すぐに酒や簡単な肴の用意をして持って来てくれる。ぼくは一人ではあまり酒を飲まないので、良い機会と思い彼らに一献勧めてみることにした。


「一つどうだろう、折角こうして旅を共にすることになったのだから、酒など一緒に」


「はは、ありがたいことでございます」


「頂きます」


 二人は早速酒を盃に注いで飲み始めた。ぼくは『名無し』と共に簡単な自己紹介をして、


「わたしは瀏親王永暁、字を紫雲という。さる用向きのために京師から蘇州へ行くところだ。お前達のこともよければ聞かせてくれまいか」


「はっ、親王殿下。わたくしは金陵にて米屋を営んでおります元某というもの、今から蘇州に商品の買い付けをするために向かうのでございます。実は手違いで船を一つ逃してしまって困り果てておりましたところ、殿下にお許しを頂くことができました。御厚恩に感謝申し上げます」


「貴君はどうだ?」


「……わたくしは身分卑しき者ですから、名乗るに値する名前はございません。太湖の辺りに小さな家を構え、細々と山野の木々や湖の魚を獲って暮らしております」


 若者は物腰柔らかにそう言って、ぼくの盃に酒を注いで来た。その何気ない仕草さえ色っぽく感じられ、心がざわついた。


「『名無し』、あれは一体なんだと思う、妖怪変化の類か?」


「さて、わたしには分かりかねますねえ」


「……わたし達はその後、二人と談笑しつつ時間を過ごしておりましたが、酒が回るに連れて元某はその若者に馴れ馴れしい態度を取る様になっていきました。酒をこぼしたふりをして戯れかかったり、耳元で卑猥なことを囁いたり。挙げ句の果てには今夜同じ床で寝ないかと言い募る始末。ところがこの若者は断る素振りも見せないので、そのまま二人は同じ部屋へと消えていったのです」


 やれやれ、仕方のない男もあったものだ、とぼくが呟きながら寝床に入ると、彼らが寝ているはずの隣の部屋から、何やら地の底から響き渡る様な恐ろしい音が聞こえてきた。一体なんだと思ってよく耳を澄ましてみると、どうやらそれは鼾の様である。それもただの鼾ではなく、ごろごろと雷鳴のように響き渡るものだから堪らず、ぼくは殆ど一睡もできぬまま翌朝を迎えることになった。



「さて、このまま酷い旅を続けるのかと気分が滅入っていた時のこと、後一日で蘇州にも着くと言ったところで、船が止まってしまったのです。一体どうして止めるのだと問うと、ここから先に水賊の輩が現れて悪さを働いており、航路の安全が戻るまで船は進められないとの答え。至極尤もではあるものの、その止まったところが不味いもので辺りに街もなく、小さな宿場の明かり一つない不気味なところでした」


 ざわざわと不吉な風があたりを吹き渡り、真っ黒な山々がじっとこちらを見ている様な河岸、その時若者がこう言い出した。


「では、わたくしの家に皆さんをお泊めすることに致しましょう。ちょうどこの辺り、少し道を行った先にございますから」


 その申し出がなんとも怪しく感じられて、ぼくと『名無し』は断ろうとしたのであるが、すっかりこの若者に熱を上げてしまった商人が熱心に頷くもので、ついぼくらも押し切られて同道することになってしまった。


「どうかわたくしから離れないでください。夜道に迷うと獣に襲われてしまうかも知れませんから」


 ところがこの若者は、その手に提灯一つ持つことなく、夜目を効かせてずんずんと獣道を進んでいくのである。ぎらぎらと煌めく様な目を四方にぐるぐると回して大股で歩いていく様は、とても尋常の人には見えぬ。


「おっと、止まって下さい、少し危ないですよ」


 道すがら、若者がぼくらの前に手をやって留めた。何かあったのかと思い前の方を覗こうとすると、やにわに彼は地面に這いつくばって道をべろりと長い舌で舐め、


「ふむ、この辺りはタチの悪い獣がいる様です。少しばかり道を迂回して参りましょう」


 いよいよぼくと『名無し』はその不気味さが恐ろしくなり、今からでも船に戻ろうかと考え始めていた。しかし、すでに船からは随分と遠く離れてしまっていて、地理不案内なぼくらがこの暗闇の中を迷わずに戻っていけるとはとても思えなかった。


「何かあったら真っ先に逃げろよ」


「永暁さまこそ」


 ぼくらは逸れることが無い様お互いの手をしっかりと繋ぎ、一歩一歩慎重に二人の後をついていく様にした。


「さあ、つきました。ここがわたくしの家です。粗末なものですが、どうぞお上がり下さい」


「……その若者の家は小さな沢が裏手に流れる竹藪の中にあり、辺りを蛍が明るく飛び交っておりました。それに照らされてみるところ、門の構えや庭の様子も品がよく、如何にも清談を好んだ昔の竹林の人々の棲家といった風情、そう思うともしかしたらこの人は意外と品の良いところの人かもしれないと思いましたが、それでもやはり恐ろしいものは恐ろしいので、ぼくらは一番最後にその家に入ることにしたのです」


 家の中もこざっぱりと片付いていて、贅沢なところこそないが過ごし易く整えられていた。やがてぼくらは広い客間に案内され、食事をお出しするのでしばしお待ちを、という声に従って席につく。さあ果たして何が出てくるだろうか、と気を揉みながら待っていると、お待たせしました、と言って若者が料理の乗った膳を運んでくる。そこには、


「ご気分を悪くされたら申し訳ありません。わたし達に出されたのは、真っ黒なくちなわを丸々煮込んだものと、ひっくり返ったカエルの吸い物でした」


 ひいっ、という声が聴衆から上がる。それもそうか、ここにいる人間の中で蛇や蛙、虫を口にする機会のある人間など、よほどの物好きの他におるまい。


 流石にぼくのみならず、商人までもこればかりには顔を真っ青にしていた。ぼくらの食が進まないのを見た若者はにっこりと笑い、


「では、お食事の間余興でもお見せいたしましょう」


 そう言って二本の剣を取り出して、真ん中で剣の舞を始めた。その舞の様子は大層華やかで、目の前に出された下手物のことも忘れて見入ってしまうほどであったが、ふとその剣が商人のすぐ近くを通り過ぎて、長い顎鬚をさっと切り落としたのを見て、ぼくらは更に肝を冷やした。まずい、このまま続けばそのうち首を切り落とされかねないぞ。ぼくは『名無し』に目配せをして、食いにくくともさっさと食ってしまえと伝え、不器用に箸で蛇を捌きながら食べ切ることに成功した。


「お食事をお楽しみ頂けた様で何よりでございます。では、寝床をご用意致しますので……」


「……その若者は、舞で使った二本の剣を釣り針か何かのようにめりめりと曲げて畳み、懐にしまい込んでしまいました。そうして、わたしは寝間に案内され、何かあればすぐに呼んで頂きたいと言われたのです。正直なところ震えが止まりませんでしたから、ここに居る彼と交代で睡眠をとり、有事に備えようと思っていたのですが─」


 丑三つ時の頃だろうか、そろそろ交代の時間と思ってぼくが目を開けた瞬間、隣の部屋から恐ろしい断末魔の悲鳴と、めりめりと何かを砕く様な音が聞こえてきたので、ぼくらは慌ててそこを覗き込んだ。真っ暗な部屋の中では何もよくわからない、『名無し』が一本残しておいた蝋燭を持って中を照らすと、


「……その部屋の真ん中では、あの商人が死んでおりました。全身の骨を砕かれ、締め上げられていたのです。身体中にはまるで、大蛇が絡み付いたかの様な痕が生々しく残っていました」


「そ、それからどうなさったのです?」


「わたしたちは慌てて屋敷から逃げ出しました。奴が追ってくるかと思いましたが、幸い誰も追ってくることはなく、煌々と照る月明かりだけを頼りに、船のところまで戻ることができたのです。その後、帰り道にふと気になって、太湖の辺りで洗濯物を洗っていたお婆さんに聞いてみたところ、『今も昔も、あの竹藪に人が住んでいたことなど聞いたことがない』と、そう言っておりました……」


 下手に色気心を出すと碌なことにはならない、皆様ゆめゆめお忘れなき様に。そう言ってぼくは話を締め括った。そういえば彼が身請けした妓女は、客を縄で縛り上げるのを得意としていたと記憶しているが、果たして今頃無事でいるだろうか。そんなことを思い出しながら、今日の話はこれまで。



参考資料: 王椷『秋燈叢話』



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