三人の棺担ぎ 五
翌日。改めて白洲に引き出して王子毅を尋問したところ、彼はあっさりと自らの訴訟が王爵亭に唆されたものであることを認めた。拷問の脅しがよほど効いたのであろう、彼はしきりに謝罪の言葉を述べながら供述書を書いていた。そうなると当然、この第二の王は一体どの様な人物かが問題となってくる。
「知県殿の調べたところでは、この男はいわゆる公事師というやつです。言い換えれば二束三文で当人の代わりに訴訟を引き受ける事件屋で、何でもかんでも大事にして、和解の名目で金銭をせしめようとする悪党同然の男ですよ」
「公事師か。どうにも厄介だな」
あまり大きな声では言えないが、ぼくはこの手の輩にはあまり嫌悪感を持ってはいなかった。無論国の法で禁止されているのだから悪いことに変わりはないのだが、時にこういう連中が力無き人々を泣き寝入りから救うのも確かだ。尤も、実際のところこの手の輩の大部分は他人の不幸や揉め事に乗じて利鞘を稼ごうとする小悪党であり、その跋扈を許しておいては却って民草の暮らしを悪くすることになる。
「どうしますか、永巡検」
「すぐに知県殿に掛け合って、この男を引っ括ってもらうことにしよう」
果たして二刻後、杜知県が派遣した刑吏によって公事師の王爵亭が郊外の宿屋で拘束され、白洲に引っ立てられて来た。彼はこの辺りでは名うての公事師として知られた男であり、王子毅の保証人として訴訟提起の補助をしたことは認めたものの、それが自身の悪企みであることは絶対に認めようとしなかった。
「わたしはあくまでも、彼が涙を流して頼むその真情に心打たれて諸々の仕事を引き受けたのでございます」
流石に公事師として針に通せるほどの細い糸の上を歩いて来た男である。簡単な尋問くらいではびくともしない。
だが、証言を書き取らせた供述書と、原告当人が書いたという訴状の筆跡が一致することを追及し、必要があれば焼鏝をその慇懃な禿頭に押し付けてくれるぞと脅し付けると、渋々話し始めた。
それによると、この計画を練ったのは王子毅でも王爵亭でもなく、陳偉度というこの辺りの公事師の取締役であるという。彼らは王阿雄が亡くなった後、近辺の宿屋に泊まって計画を語り合い、遂に骸を盗み出して何処かへと隠し去った後、偽りの訴えを起こしたのだという。
「陳は王子毅の従弟である王阿雄が亡くなったことを知って、これで簡単に大金をせしめることができるぞとわたし達に語らって、訴訟や死体盗みの手筈諸々を取り仕切ったのです。手始めに彼は墓地からわたし達に死体を掘り出させると、それを隣県の鄂山村へと運んで埋めたと言っていました。しかし、そのことは全て彼が仕切って来たのでわたし達は詳しい場所は知りません」
さて、こうして事件はいよいよ佳境に向かう。陳偉度なる男の行方を杜知県が調べると、昨日京師に向かって県城を出たとの知らせがあったので、すぐさま早馬を出して後を追わせ、県境の関所を抜ける直前で捕縛に成功した。翌日の朝、彼は関係者一同が揃った政庁に連れて来られ、知県立会いの下尋問にかけられる。尋問を担当するのは新人の永巡検─つまりぼくだ。ぼくはあらかじめ調べておいた事実を元に、この海千山千の男への尋問を試みる。
「陳偉度。お前はそこに縛られている二人の男と語らって、陳天満の家に対して偽りの訴訟を提起し、以て金銭をせしめようとしたな?」
「滅相もございませんお役人様。どうしてわたくしめがその様な恥知らずなことに手を染めましょうか。もとよりわたくしと陳天満の家は祖先を同じくする親戚同士でございます。そこに居る連中はいざ知らず、わたくしはその恩愛の何たるかをよく知っております。然るに、王子毅と王爵亭などというごろつきどもがわたくしにかけようとしている疑いは全くの濡れ衣でございます。賢明なる知県様、並びに巡検様のお取調べにより万事真相が明らかになりましたからには、すぐにこの連中に厳罰を加え、哀れな我が同胞の陳天満を釈放して頂きたく存じます」
やはり取締役と称されるだけあって一味違う。その弁舌は遜っては居るが堂々たるもので、その場にいる人間を取り込む様な深い度量を感じさせる。一瞬ぼくもそれに引き込まれ、この男は無実だと知県に告げそうになってしまった。だが、やはりその双眸に宿る光は尋常のものではなく、常に利を求めて忙しなく動いている。
「そうか、ならばお前のことを告発したこの二人は嘘偽りを述べたということになる。そうなれば当然偽証として罰しなくてはならぬ。誰か、そこの二人を板で百回打つ様に知県殿に申し上げよ」
「永巡検の具申する通りにせよ」
直ちに刑吏が馬鹿でかい板を持ってやって来ると、二人は顔を真っ青にして、
「やい陳、お前は此の期に及んで自分だけでも罪を逃れるつもりだな、だがそうはさせねえぞ。俺たち三人密かに宿屋で語らい計画を練ったことを忘れたわけじゃあるめえ、いいや忘れたとは言わさねえぞ。林家荘の二階の小部屋でお前は確かこう言ったな、今回の計画は五つの点で上手くいくだろう、一つは死体を隠して仕舞えば検視の時に何事もなかったことがばれず、二つは隣の県に送って仕舞えば管轄の違いで捜索される心配もなく、第三は被告が証拠隠滅のために墓を暴いたおいえば、いかにもありそうなことに聞こえて連中が拷問されることになる。無論連中は何も知らないから自白なんざできるはずがねえ、肌が裂けて血が流れようとも罪には問えん。当惑する役人どもと苦しむ陳家の演者の姿を楽しんだならば和解を勧め、それでひと財産作ろう。最後五つ目に死体を隠したことを他言しなければ、阿雄のそれが出てこねえ限り誰も俺たちを疑うことはしねえ。こりゃいい計画だうまいもんだと思ったが、ここにいらっしゃる知県様、そして俺たちの尋問をした巡検様は何もかもお見通しだ。差し詰め知県様は狄国老、巡検様は包青天(注1)の生まれ変わりだ。こうなったらもう覚悟を決めてさっさと泥を吐いちまうことだ」
あれらは嘘偽りを述べております、拷問が恐ろしいのです、と陳偉度はなおも抗弁したが、ぼくは昨日のうちに調べておいた事実を述べてさらに追及する。
「いいか、陳偉度。我々がお前を捕えるまでの間手を拱いていたわけは無い、昨日のうちに県城でお前が泊まっていた林家荘に人をやって宿帳を調べさせた。すると、お前たち三人は同じ部屋で三日間もの間過ごしているではないか。親戚を罪に落とそうとする仇とここまでも仲良く睦み合う理由が他にあるのか?それともお前達は何かそれ以外にのっぴきならぬ関係でもあるというのか?」
「それは、そのう、この様な悪行はやめる様にと説き伏せるつもりで─」
「更に、だ。これも昨晩のうちに知れたことだが、隣の県の鄂山村の方にも人をやって確認したところ、宿帳にお前の名前があったばかりではない、その翌日にはそこの抜け作二人も合流して派手に飲み明かしたそうではないか。悪行を止める様説き伏せた人間と何故、わざわざ隣の県で飲み明かすことがあろう。和解の記念に旅行にでも出かけたのか、温泉もないあんな山深い村へ。こうなったからにはお前が首謀者であることはすっかり明白だ、こうなったからには慈悲深い知県殿ももう容赦なさらんぞ、朝な夕なに拷問にかけ、頭から足の先まで焼鏝の痕をつけてくれるがどうだ、まだしらを切る気か!」
これが決め手になった。陳偉度はがっくりと項垂れると、渋々事件の全貌を語り始める。それはこの様なものであった。
まず、今回の事件の発端は陳偉度と陳天満が共同で所有していた家屋の売却について、両家の間で揉め事があったことだった。家屋は県城から少し離れた山の中にあり、昔彼らの祖先が金を出し合って建て、その出資の比率に応じて所有の権利を持ち合っていたのである。この時陳天満は権利の六割を持っていたので、当然売却した金もそれに従って按分されるべきだと主張したのに対し、陳偉度は長いこと家屋を管理し、草刈りや壊れたところの補修をしていたのはうちの家系であるから、同じ五割ずつ取るのが適当であると主張して譲らなかった。
こうなったらお白洲に出て決着をつけよう、と考えた両者であったが、この時運悪く前の知県が贈収賄の容疑で京師に召喚された為裁判が行えず、そのどさくさに紛れて陳天満がすっかり売却の交渉をまとめてしまったのである。
無論陳天満は四割分の代金を陳偉度に対して支払ったのだが、面目を潰された彼は収まらず、たびたび復讐の機会を狙っていたところ、この度その養い子である王阿雄が亡くなったので、親戚筋の王子毅や同じ公事師の王爵亭らを巻き込んで計画を練ったのだった。
「おお、陳偉度。兄弟も同然の付き合いをしていた我らが、何故その様なくだらぬことで争わねばならなかったのか、わしはいっそお前の方が不憫でならぬぞえ」
詳しい事情が明らかになった後、陳天満はその様に嘆いた。凡そ争い事というのはどちらか一方にのみ理があるということはほとんどなく、大体は双方にある程度責任があるものだ。これについて言えば、陳天満がある程度陳偉度の事情を汲んで利益を手放していればよかったものを、一割の金を惜しんだが為に大変な苦労を味わう羽目になったのである。
「(尤も、確かに権利は権利であって、無理やりそれを捨てろとぼくが言う資格はどこにもない。それに、悪いのは紛れもなく陳偉度の方であって、今回に限って言えば被告は単なる冤罪の被害者なのだ)」
その後、陳偉度によって告白された場所を捜索したところ、村から少し離れた洞穴の奥で菰包みが発見され、中を開くと王阿雄の骸が収められていた。改めて検視したところやはり死因は単なる病気であり、殺人の余地は一切無かった。
結審の後、杜知県によって関係者達が集められ、以下の如く諸々の判決が言い渡された。
・王子毅によって提起された訴訟はこれを棄却し、被告陳天満一家は構い無し
・王子毅、王爵亭は墓荒らしの犯人として処罰する。本来は棒叩き百回の上重追放とされるべきだが、今回は従犯であることに鑑み、棒叩き三十回の上首枷付きで三日の間城門の前に晒すことにする
・陳偉度は此度の主犯である。本来墓荒らしの罪は重罪であり、死体をあらわした場合には絞首刑となる決まりだが、元々陳天満の過失より生じた事件であるので特に減刑し、棒叩き五十回の上邯鄲県からの追放に処する
この裁きによって杜知県は一躍県内に名声を博し、大いに称えられることとなった。恰も狄仁傑、包青天の生まれ変わりの如し、という瓦版があちこちで出回り、英雄さながらの扱いである。他方ぼくらの活躍は当然ながら表に出ることは無く、偶々滞在していた親王殿下はこのことにいたく感銘を受けられた、とのみ報じられた。まあ、それでもよかろう。
帰り道でのこと。馬車の中で事件のことをのんびりと振り返りながら、今日の宿に向けて夜道を急いでいると、窓から隣を馬で行く『名無し』の姿が見えた。見ると眠いのだろうか、うつらうつらと船を漕ぎながら、
危なっかしい姿勢で馬を前へと進めている。ぼくは馭者に車を止める様に命じると、そのまま勝手に行ってしまいそうな彼の馬を強引に停止させた。当人を鞍の上から引き摺り下ろし、馬車の中へと連れ込む。隣に無理やり座らせ、久方ぶりにお説教をする。
「こら、居眠りしながら馬に乗るんじゃない、危なっかしいだろうが」
「あっ、す、すみません」
「まったく、仕方ない今日はこのままここにいろ。一人ではだだっ広すぎるからな」
「ええ、いや、そんな訳には」
「黙れ。さあ、出発だ!」
再び走り出した馬車の中で、彼は不満げにむくれていたが、だんだんと揺れが眠気を誘って来たのか、再びうつらうつらと船を漕ぎ始め、遂にぼくの肩にもたれかかって眠り込んでしまった。
「……本当、やれやれだな、このばかめ」
ぼくはその横顔に手を回し、こちらへと引き寄せてやった。もう少しだけ、宿に着くまでの間無礼を見逃してやる。少しずつ瞼が下がり、意識が溶けていく様な感覚がする。だんだんと鼓動が緩くなっていく彼の身体は、ひどく温かく感じた。
「……ありがとう、か」
最後にそう呟いた。
参考資料:藍鼎元『鹿洲公案』
・注釈
1…狄国老は唐の時代に実在した狄仁傑、包青天は宋の時代に実在した包青を示す。いずれも名判事として著名。




