三人の棺担ぎ 一
夏場になると生き物だけでなく、奇矯な振る舞いをする人や厄介な事件も同時に顔を出すものだろうか。ぼくはふと、そんなことを思った。
長椅子の上に寝そべって煙草を蒸していた平穏な休日、『名無し』は用向きがあって外出しているものだから話す相手もおらず、居間で一人ごろごろと怠惰な時間を過ごすのも悪くないかと思っていたのだが、
「永暁さま、ちょっと助けてもらえますか?」
「……いやだ。お前からぼくに話しかけてくる時は大概厄介ごとだ。今日くらいは平和に寝かせてくれないか?」
「そんなこと言って、永暁さまも最近事件もなくてお暇だったでしょう?一つ話を聞いてくださいよ」
「……面倒だな全く、まあいい、話だけは聞いてやるから話せ」
むくりと起き上がって、彼に目の前の長椅子に座る様に言うが、どう言うつもりか彼はぼくの隣に座り込んで肩を寄せて来た。さては真っ昼間から酔っ払ってるな、と思ったが、面倒だったのでぼくは何も言わずに話し出すのを待った。
「わたしの知り合いに杜元穆という男がいるのですが、最近彼は邯鄲県の知県として赴任をすることになりまして」
「ほう、良いではないか。出世したな、知県とは。それで、その祝いをぼくに手伝えとか、そう言った話か?」
「いえ、そうではなく。その知県として着任して早々、ひどく面倒な事件に見舞われたそうなのです。それで、ぼくを介して永暁さまに、調査の手伝いをお願いしたいと言って来まして」
「その不心得者に伝えろ。ぼくは便利屋じゃないし、第一皇族だぞ。皇族にそんな気安い態度を取るのは何処かのろくでなしの包衣だけだ。何も人の悪いところに倣う必要はあるまいぞ、とな」
ぼくが話を打ち切って部屋から出ようとするのを『名無し』は慌てて引き留め、
「どうか待って下さいよ、永暁さま。話を聞く限り中々骨のありそうな、面白い事件なのです。どうか手伝ってやってはくれませんか?それに、この杜元穆という男は、わたしの恩人でもあるのです。昔西域から京師に登る際、路銀を用立ててくれたのは彼なのですよ」
「お前の恩人か、ならお前自身でどうにかしたらどうだ?恩返しというのは自分自身でやるもので、わざわざ他人を巻き込んでするものではないと思うのだが」
「何ですか今日は全く。虫の居所が悪いんですか、普段は血眼になって面白い事件を探し歩いているってのに」
「失礼だな、全くお前は」
やれやれ、仕方がない。ぼくは根負けしてため息をつくと、再び長椅子に腰を下ろした。そして、捨てられた子犬の様な表情で甘えてくる彼の頭を思い切りひっ叩き、
「それじゃ、話を聞かせてみろ。それが面白ければ力を貸してやってもいい」
「そう来なくっちゃ!」
『名無し』はにぱっと明るい笑顔を浮かべると、邯鄲県で起きたという、厄介な事件について話し始めた。
「事件が起きたのは、今から二週間ほど前のことです。現地の住民に王子毅という男がいるのですが、この男が知県にこんな訴えを起こしたのです。曰く、弟が毒殺されたというのです」
「毒殺か、それはどうも穏やかではないな」
「彼によると、従兄弟筋に王阿雄なる者が居るそうですが、彼の母親が早くに夫を亡くして寡婦になったので、親類の伝手を辿って陳天満という男の元に妾として住み込む様になりました。阿雄はその連れ子として陳家に引き取られたわけですが、そこのおかみさんで呉氏という人が大層嫉妬深く、ついに阿雄を毒殺してしまったというのです。可哀想に、毒のせいで死体の顔は青緑色になり、十本の指もあらぬ方向に曲がってしまったとか」
「ほう、嫉妬からの毒殺か。どこにでも転がっているものだな、そういう話が。で、当然お前の杜知県とやらは、しっかり両者の話を聞いて取り調べをしたのであろう?」
「はい。ただ、いざ聞いてみると、陳家の者どもは皆悉く罪を否認しました。曰く阿雄は二週間前に赤痢を患って死んだのであって、殺したのでは全くない。しかも、嫌疑をかけられた呉氏も同じ様な病のせいですっかり腹が膨れてしまって、側に助けがついていなければ寝床から起き上がることも難しい有様だと聞きました。治療に当たったという医師を呼んで取り調べてみると、全くその通りで怪しいところは少しもありません。ところが、王はあくまでも毒殺したのだと言って譲らないので、やむを得ず阿雄の骸を掘り出して調べることにしたのです」
「すると、どうなったのだ?」
「なんということか、箱の下を掘って出て来た棺の中から、骸が煙の様に消えていたんです。誰に盗まれたのか見当もつかず、事件は拗れる一方。王は陳家が証拠隠滅の為に墓を暴いたのだと捲し立てるし、陳家は認めたくは無いが死体がどこに行ったか分からぬ為疑いも晴れず……知県としては上手く捌きたいが、杜知県は着任したばかりで官吏や民衆達の信頼も無い為、下手な判決は命取りになりかねない、そんなわけで、永暁さまのお力を借りたいのだとか」
「……なんというか、あまり面白い事件でもない様な気がするのだがな」
ぼくは思わず半目になって『名無し』を見つめた。普段のこいつならば、むしろぼくのことを嗜める方に回るだろうに、どうもおかしいのだ。自分から妙な事件を持って来たかと思えば、やたら熱心に調べてみる様に勧めてくる。どうにも怪しい。ぼくは煙管の灰を落として片付けた後、じっと隣に座る彼の顔を見据えて、
「引き受けてやってもいいが、条件がある」
「なんでしょう」
「お前の腹の中を全部ぼくに話せ。一体何を考えている?その気持ち悪いにこにこしたツラの裏側にあるものを全部吐かせてやろうか?」
ぼくはじりじりと距離を詰め、彼を長椅子の際まで追い詰める。やがて彼は背中をぴったりと敷き布につけて、ぼくが押し倒して上に覆い被さる様な格好になる。じっと真上からその瞳を見下ろすと、忙しなく揺れ動いて逃げ場を探した後、観念した様子で告解を呟いた。
「……最近、お仕事が続いている様で、あまり話す機会がありませんでしたから。息抜きも兼ねて、どうかと思いまして」
「……」
頬をかすかに赤く染めて、つんと視線を逸らして言い放ったいじらしい台詞に、ぼくは思わず腹を抱えて笑い出してしまった。まるで少女の様だ、しかも歳の行った男が主人に構ってもらいたくて事件を引っ張ってくるなど、どうにも似合わぬ、なよりとした根性ではないか。
「だがまあいい、せっかくお前が持って来てくれたのだ、引き受けてやろうじゃないか。明日早速休暇の願い出をして、邯鄲に向かうお許しを得ることにしよう。旅の準備を整えておけよ」
「……はい」
ぷく、と頬を膨らませる『名無し』に、ぼくは優しい笑みを向けてやる。いつもこちらがやられてばかりの関係だと思っていたが、意外と面白い一面があるじゃないか。これが見られただけでも、厄介ごとを一つ背負い込むくらいの価値はあるのかも知れないな。ふと、そんなことを思った。