ポップコーンとお酒
「どちら様もお忘れ物のございませんよう今一度お確かめ下さい。お気をつけてお帰り下さいませ。
本日のご来場、誠にありがとうございました。」
映画のエンドロールが終わり、終了の挨拶が流れる。
会場内は明るくなり観客は皆、帰り支度をする。
(やっと俺もこれで帰れるな。)
明人はふうっとため息を吐きながら思った。
本日最後の公演が終わり、たくさんの人達が名残惜しそうに会場内の写真を撮ったり談笑している。
スタッフ達が申し訳ございませんが…と声を掛けて、退出を促す。
ここ連日大忙しである。明人だけではなくスタッフ全員がそうだが、休憩も満足に取れていない。
なかなか帰らない客に内心イライラしつつも掃除を始める。
ホウキで床をはわきながらゴミを袋に入れていく。
奥の方に取りかかると床にポップコーンがたくさん散らばっているのに気付いた。
「う~わ、マジかよ…。」
明人はうんざりしながら片付ける。すると一番奥の席に女性が顔をひざにうずめるようにして座っていることに気付いた。
(くそ、お客は全員出したと思ったのに…)
明人は女性に近づいて声を掛けた。
「お客さん、もう終わりましたよ。」
反応は無い。
寝てるのかと思い、仕方なく肩に手をかけて揺さぶりながら大きな声で言った。
「お客さん!終わりましたよ!」
「知ってますよ!!」
更に大きな声で言い返されたので明人は驚く。
しかもこの女性、なんだか酒くさい。
「映画は終わったし…もう…この映画館が終わってしまうことも…ずずっ…知ってますよ…。」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で女性はつぶやいた。
(あ~あ、めんどくさい…。)
明人は女性スタッフを何人か呼んで、なんとか会場から連れ出してもらった。
***************
薄暗い1階の喫茶室。
女性は泣きはらした顔であたたかい紅茶をゆっくり飲んでいる。
その向かいに明人と一緒に、背が低く体のふくよかな初老の男性が座っている。髭をたくわえていて目元は優しそうだ。
テーブルの小さく灯ったライトが3人の顔を照らす。
「落ち着きましたか?」と初老の男性が女性にたずねると、
「はい…。すみません。」と答えた。
「支配人、じゃあ私たちはお先に帰らせて頂きます。」
帰り支度をした他のスタッフ達が初老の男性に声を掛けた。
「ああ、気をつけて。明日もよろしくね。」
お疲れ様ですと帰っていく中に明人も混じりたそうにしたが、初老の男性は明人の腕をつかみにっこりと笑って、
「戸締まりがあるから明人は居残りね。」と言った。
「いや、じいちゃん一人でやれんじゃん。」
明人が言い返すと、
「ここでは支配人と呼べと言ってるだろう。他のスタッフがいなくてもそうしろ。
あと敬語な。」
笑顔と圧でさらに言い返される。
「あの…ご親族なんですか…?」
女性は珍しそうに二人にたずねた。
「ええ、私はこの映画館の支配人をしております橋元一郎と申します。こっちは孫の明人でアルバイトで入ってます。
あなたもご存じの通り、本館は創業78年の歴史に幕を閉じ明日で閉館します。
ありがたいことに連日盛況で人手が足りなく、大学が春休みの明人が臨時で手伝いに来てます。」
「そうなんですね…。」
女性は先程の姿からは想像もできない大人しい態度である。
めがねをかけ、髪を後ろに束ねて真面目そうだ。先程の方が普段とかけ離れていたのだろう。
明人は、言わないといけないと思ったことは言う主義である。合理的でありたいと思っている。
「…あの…言いにくいんですけど、館内で酒飲むのはやめて下さい、おばさ…。」
おばさんと言い掛けて、祖父からのすばやいビンタが明人の頭に飛んだ。
「いってえ!!」
「バカもんが。レディに向かって失礼な。
すみませんね、こいつは本当にいつも誰にでもえらそうなんですよ。」
「いえ、お酒を飲んでいたのは本当なので…。」
「…そうだよ、本当のこと言って何が悪いんだよ…。」
明人はすねたように小さくごちた。
恥ずかしそうにしている女性を見て、祖父はたずねた。
「よろしければ、お名前をうかがってもよろしいですかな?」
「あ、はい、近藤雪乃と申します。」
「近藤さん、お酒はね、うちじゃ映画を見ながら飲んでも大丈夫ですよ。」
「えっそうなんですか?」
「昔はワインとチーズを持ち込んでもいいぐらいでした。」
「ええっ!?ゆるいですね!?」
「ええ~~?酔っぱらって暴れたりしたらどうするんすか?!」
「酒を本当に飲みたい人は酒場へ行く。
映画を見ながら酒を飲みたい人は映画に集中するさ。映画が主役で、酒はあくまで脇役だ。
それに飲みすぎると手洗いに頻繁に行きたくなるだろう。
目当ての映画を見たいんなら、少量にしなければもったいない。
チケット代は安くないからな。」
「…まあ確かにそうっすね。
でもすげぇな。今のコンプラ時代から考えると超ルーズだな。」
「すいません…。
仕事疲れで思ったよりお酒が回ってしまって…。
見たのも映画館が舞台の映画だったから、感情が高ぶってしまって…。
この映画館と重ね合わせてすごい涙が出て…。
ポップコーンをぶちまけてたのも気付かなくて…本当に申し訳ございませんでした。失礼いたしました。」
ペコリと雪乃は頭を下げた。
少し間があってから祖父は言った。
「近藤さん、アイスクリーム召し上がりませんか?」
「えっ?…そんな…よろしいんですか?
あっお金払います。紅茶代も…。」
かばんから財布を出そうとする雪乃に向かって祖父は手で制した。
「いえ、いいんですよ。気にしないで。
私が食べたくなったので付き合って下さい。
明人、お前も食べるだろう?」
「うん…頂きます。」
祖父は喫茶室のオープンキッチンで冷蔵庫からアイスクリームを出し、皿に盛る。
テーブルで二人きりになって気まずいのか、明人が雪乃に話しかける。
「あの、俺いっつも思うんすけど、ポップコーンって噛むと結構ボリボリうるさいから映画館に不向きなお菓子だなあ~って。思いません?
俺だけ?」
「ああ…言われてみるとそうですね。
自然とタイミング見て食べてますね。」
「ですよね~。気にせずに静かなシーンで音立てて食べる人いるとイラッてするんすよね~。」
「でも、映画館で売ってるの見ると食べたくなりません?」
「そうそう、だから汚い話しですけど口の中に入れてしばらく置いてから咀嚼します。
ポップコーンの歯応えのポテンシャル殺しまくって食ってます。」
「えっ、歯応えが売りのポップコーンを?」
「そう、歯応えが売りのポップコーンを。」
はははと笑いながら祖父がアイスクリームをお盆にのせて戻ってきた。
「昔は煎餅も売ってましたが、食べる音がうるさいと不評でやめましたな。
あとはあんパンや甘納豆、キャラメルでしたな。」
「めっちゃ甘いもんばっかすね。
でもそういう音が出ないのが一番だよな。
なんで映画といえばポップコーンなんだろ、アメリカとか海外からそうっすよね。」
「コストが安いに尽きるな。
乾燥したトウモロコシと少しの調味料、熱源さえあれば作れる。実にシンプルだ。
映画館でも複雑な設備が必要無く、利益が取れる。
味もバリエーションが豊富でうまいし楽しいだろう。」
「なるほどですね。」
「結局、映画館側の思惑か。なるほどな。」
「さあ、召し上がれ。」