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その大魔法使いは美しい髪を切り落とす  作者: しもたんでんがな
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0、巷で聞いた話をしよう




ある者は、その魔法使いはどんな傷でも治すと言う。


またある者は、その魔法使いはどんな病でも癒すと言う。


白銀の美しい髪は森の精を惑わし、極上の青を模す瞳は海を拐かし、熱い果実のような唇は火山をも黙らせる。



神話になりつつあるそれは身分を問わず、地域を問わず、今もどこかで実しやかに囁かれる。


そしてそれは、伝承となり、物語となり、演舞となり人々の心に深く刻まれ続けた。


まるで自我を持つように。







「{とうちゃーんっ!とうちゃんっ!もうすぐ、バナルの爺さんが薬草持って来てくれるからっ!もうちょっとだっ!ダンジョン産だから絶対とうちゃんの病気だって治るぞっ!!みんな、とうちゃんが元気になるの待ってんだぞ!!今日の粥はとびきり豪勢なんだぜ!!さっき伝説の大魔法使い様だって来てくれるって言ってた!!きっと痛いところもすーぐなくなっちまうぞ!だから、とうちゃんっう、う”わあああんっ死なないでくれっ死ぬなよぉ}」



皆が寝静まりはじめた赤の刻。星も月も分厚い雲に隠れ、気分までをも重くする。家の灯りは消えはじめ、酒場から放たれる目が眩む程の灯りが不自然に夜道を照らした。眼球を刺激する騒がしい酒場の明かりから、逃げるように空を見上げる。そこには、チカチカと乱れた視界を癒すように、星ひとつない灰色の空が広がっていた。


そこに、ひとつ。光が弱々しく灯る。




「{っう·····ぅゔ、うゔっ}」


酒場の屋根裏、その部屋とも呼べぬ小さな空間で、四人の家族がひっそりと深い悲しみに耽っていた。一本の蝋燭のみが辺りを照らす空間。悲しみとは裏腹に埃っぽい部屋の中にはバニラとシナモンの甘く、あたたかい香りが包み込むように漂っている。


「{ネイト、父ちゃんはネイトが息子で本当に幸せだったぞ。母さんとザカリーの事、頼んだからな。みんなで店をしっかり守っていってくれ}」


「{なに、なに言ってんのか分かんねえよっ、俺らを守んのはとうちゃんの仕事だろっ、っう、うう}」


「{ネイト、ごめんな}」


父、カミルが目を細め、小さく蹲った息子、ネイトを見つめる。


「{謝ってんじゃねー!とうちゃんっ!!食いもんで色んな奴、幸せにするって言ってたじゃねぇかっ!!ザカリーと母ちゃんの幸せはっっどっどうなるうんだよっ!!}」


「{ネ、イト·····}」


「{っうゔ、うっ、うゔゔゔ}」


「{·····ネイト。ネイトは父ちゃんの自慢の息子だぞ。だからそんなに泣かないでくれ。父ちゃんも悲しくなっちまう}」


「{だったら早く元気になってくれよぅ、うう、うわわああん}」


「{·····ネイ···ト}」


カミルは喋る声にも握る手にも確実に精気がなくなってきていた。皮膚は浅黒く、全身の骨は浮き出て鶏ガラのようになっている。医者でなくても、とてもじゃないが『大丈夫、絶対に助かる』とはお世辞にも言えない状態だった。


「{う、ううっ爺さん早く来てきてっ!とうちゃんがっ!とうちゃんがっ·····}」


目の前の命は、灯る蝋燭のように刻々とその身を削っていく。


「{ぅゔ、とぉ、うゔ·····}」


俺はどんどん息が浅くなる父ちゃんを前に、手を握ってやる事しかできねぇ、ネイトの声にならない叫びが辺りの空気を揺らす。


部屋の中には嗚咽が混ざった声だけが虚しく響いていた。ささくれまみれの床に、歪な水玉模様が散らばる。


丸一ヶ月かけて取ってきたダンジョン下層の薬草は、父ちゃんの病気にはさっぱり効かなかった。上層の薬草なんて街総出で探しても、俺らみてぇな平民に手なんか届かねぇ。ポーションなんてもとてもじゃねぇが、お目にかかれるもんじゃねぇ。やっとの思いで見つけた頼みの綱のダンジョン中層の薬草も、バナルの爺さんが今、必死に届けてくれてる。でも、もし間に合わなかったから?もしそれも効かなかったら?街のみんなにも、今も住み込みで働いている母ちゃんとザカリーにも申し訳が立たねぇ。


ネイトの下唇からは鮮やかな赤がじわりと滲んでいた。


「{かみさまっっどうかっ俺なっんでもするから神様っかみっううっう····}」


酒場の賄いでエドヴァルドのおっさんに作ってもらったミルク粥も一口も減らねぇで冷えきっちまった。エーリミ姉から貰った貴重な卵だってもうカチコチだ、ただ笑って欲しいだけなのに、なんでっ本当にそれしか要らないのにっ。


「{ぅゔゔ、爺さ·····んっ、ううっ、早く·······はやっく来てくれえぇぇ}」


今日はもう体力が無いのだろう。カミルの声が再びネイトの耳に届く事は無かった。ネイトは自身の体温を送り込むように冷えたカミルの手をギュッと握った。静寂の中、微かな呼吸音とすすり泣く音だけが小さな空間に響き渡る。


「{·····っ}」


薬草さえあればっポーションさえあればっっエリクサーさえあればっ金さえあればっっ運さえあればっ平民じゃなければっっ神がいればっっっ大魔法使いさえ俺たちを救ってくれれば·······


「{う”っうう··········誰かああ、っう、だい魔法使いさまああぁ}」


ネイトの他力本願の願いが、か細く地を這うように木霊する。するとその瞬間、願いが届いたかのように、小さな手が握り守っていた大きな手が、ピクりと脈打った。ネイトは確かに自身の手の中で生命の躍動を感じた。見てくれは痩せ細り皮と骨になってしまったが、そこにあるのは紛れもなく大好きな父の手だった。


「{·····っ!?}」


ベッドで寝てる父ちゃんが目をでっかくして、俺を見てる。首を動かすのも大変な筈なのに。


ネイトは我慢していた涙を溢れんばかりにこぼす。その涙は間違いなく『喜び』をはらんだ暖色のあたたかいものだった。たちまち薄暗く埃くさい部屋が、神聖な場所に思えてならないネイト。大粒の涙が床の明度を下げ、ぽろぽろと無数の模様をつくる。甘えるかのように久方、生を吹き返したカミルを見ると、微かに耳へと届く呼吸音が、震える吐息と混ざり合う。


まだ大丈夫だっ、ネイトは強く確信し、確かに救われたと安堵した。



『まだ』の残酷さも『大丈夫』が何の因果で叶ったかも考えず。


願ったから救われた、ネイトは強く確信し、当たり前にそれを受け取った。


神か仏か、救ってくれた者は一体何者なのか、何故助けてくれたのかについては一切の疑念を持たず。



「{!?}」


大きさだけが違う海松色の視線が交差する。『喜び』の絶頂にいる筈なのに、何故か拭えない『不安』の中、醜い色を纏った異変がネイトの叫びとなって束の間の平穏を切り裂いた。涙で歪んだ視線の先、確かに痩せ細ったカミルがいる。変わらぬ大好きな父だ。しかし妙な、例えようのない拒否感がゾワゾワと擦り傷だらけの肌を波打った。


なんとも言えない気味の悪い違和感が追撃のように、ネイトの小さな身体へと容赦なく悪寒を刻む。


「{とうちゃんっ!!}」


父ちゃんは俺を見てんじゃねぇっ。何だぁっ!?


ネイトはギュピりと喉を上下に動かし見えぬ気配を必死に探った。





それはまるで、木の葉がふわりと舞い散るように何処からともなくやって来た。





「{そうか、俺は伝説だったか}」


突如、全身の肌が逆立つような低く轟く声が辺りに響く。薄いベニヤの壁がギシギシと震え、圧が掛かったかのように空気が淀んだ。それらのまさに天災のような余波は、何故か返答を待っているかのように妙な間合いを残す。


恐怖に溺れかけたネイト。大きく見開いた海松色の瞳は、自我を宿したように大きく揺れている。


「{っ何だ!!誰だお前っ!!}」


カミルの奇態な異変に気が付いたネイトは、冷や汗混じりに勢い良く振り返った。やっとの思いで振り絞った声は、壊れた鍵盤ハーモニカのように音程をそこらじゅうに散らばせ、喉奥を痛めつける。


呼吸を忘れさせる『恐怖』身体が跳ね上がる程の『恐怖』頭を真っ白にする『恐怖』沢山の顔を持った『恐怖』がネイトを襲う。


「{····助、けて·····ッ}」


ネイトは願った。助かると信じているから。


毎日やっている様に、数刻前と同じ様に、目をきつく瞑り、手を組み、懸命にただ願った。


「{····助けてくださいッ}」


怖い、助けて、恐い、ネイトがやっとの思いで振り絞ったつぶやきは、誰にも届かない。


血の巡りを拒絶した小さな手は青白く染まり、床に折れた脚は痺れ、感覚を既に手放していた。


「{助かるのはいつだ}」


耳に届いた低い音が、数秒遅れてようやく脳の中で言葉になる。


「{···ッ···今だよっ!!俺らは今助かるんだっ!!}」


「{誰が}」


ネイトに会話をしているという認識はなかった。


「{どうやって}」


「{········だ、れ····ど}」


合わない視線が絡み合う。すると一瞬の晴れた思考がネイトに現実を叩きつけた。


貧乏な四人家族。死にかけた父。兄としての責任。効かない薬草。いつまで経っても来てくれない爺さん。離れ離れになってしまった母と妹。下の階から湧き起こる笑い声。目の前の大きな恐怖から解放されない屈辱。何度睨んでも消え去らない麻袋。


「{····何でッ助けて!助けてくれよっ!!}」


小さな身体の中で、純粋な『恐怖』が理不尽な『激怒』と『憎悪』に化ける。


「{お前、それで良いのか}」


その瞬間、突如としてネイトの狭い視界は、大陸で最も醜い色とされる、くすみきった濃褐色で覆われる。


「{····う”わぁっ死んじゃう色だっ}」


ちゃんとピントを合わせるとただの生地目の荒い麻布でしかないそれは、巷では死と汚物を連想させ忌み嫌われている色を放ち、ネイトの前に立ちはだかる。


醜い麻袋は幼い声に反応したかのように、モゾりと奇怪に動き出し、ネイトを更なる『恐怖』へと誘った。初めて体験する意識を飛ばしかける程の突き抜けた『恐怖』その中の砂粒に等しい好奇心が、導くようにネイトの目線を上へ上へと向かわせる。そして小さな身体は一瞬にしてカチコチに固まった。


「{此処へ来るなどと約束した覚えはないぞ}」


それは、優しくも残酷な嘘。


ネイトが弱るカミルに希望を持たせる為、勢い任せに放った出まかせだった。ネイトの身長を優に越す、小汚い麻袋がくぐもった声だけを発する。その声は相変わらず人間が発するそれだとは思えない程、脳に届きづらい音だった。


ネイトが見上げた先に2つの穴が開いているが、その奥に目玉があるわけではない。視線が合わず静かに安堵するネイト。しかし恐怖はやはり拭えない。予想に反して、そこは反射板のような薄い板で覆われ、虫の目を真似たと思われる仕切りは、何重にも屈折し妙な光沢を放つ。


圧を掛けられたような圧倒的な静寂。しかし、異形を捉えた視界は次第に大きく揺れ始め、そこで初めてネイトは自身が酷く震えている事に気が付いた。


「{なっ、ななな、なっ·····}」


「{だが、結果として現実になった}」


よかったな、麻袋が発した言葉がネイトの肩に重くのしかかる。


取り乱すネイトを置き去りに、麻袋はカミルへと静かに近づく。微塵の足音さえもさせないそれは、もしかすると人間でも、ましてや生物ですらないのかもしれない。静止しようにも、恐怖でしゃくり上がり過呼吸のような状態になってしまったネイトには、静止する事はおろか、声を出す事すら叶わなかった。自身の意思は介入せず、小さな身体はカタカタと震え続ける。たちまち、つぎはぎだらけのズボンの中心は色が変わり、腰も抜けてしまった。あまりの自身の情けなさに、流れる涙は勢いに拍車をかける。いつの間にか消え去ってしまった『喜び』ネイトの頬を伝う涙は『恐怖』と『拒絶』に満ち、寒色に染まっていた。


「{だっだだ···だ、だだ、っだ······}」


「{お前は存在しないものも自分の人生の勘定に入れて生きているのか}」


「{っお”おぉ、ぉお、お”っ、れはっ}」


「{泣きさえすれば手が差し伸べられると本気で思っているのか}」


「{とっと、と”どと、うちゃ、たす}」


「{まだ助けを求めるのか}」


異様な静寂の中、麻袋の背しか見えないネイトには、その先で何が行われているのか分からない。ただただ無音に縋り父の無事だけを願い続けた。そう。願ったのだ。




パチン


死神にも思える白く透き通った指が鳴らされる。囂しい音が建物中に響くと、一瞬にして麻袋は消え、部屋のある物も一つ消えていた。瞬きする間の禍々しい気配に、下の階にある冒険者の溜まり場になっていた酒場は、異質な静寂に包まれる。人々は酔いに呑まれながらも、キョロキョロと音の根源を探したが、幻でも見たかのような感覚に、数刻で何事も無かったかのように元の荒場へと舞い戻る。


「{·········ッ}」


取り残されたネイト。やっとの思いで視界に捉えたカミルは、静かに涙を流していた。しかし、そこに絶望の色はない。むしろネイトの目には、穏やかな眠りについているよう見えた。不思議な事に、痩せた頬も、目の隈も確実に薄くなっている。その様子にネイトはへたりと床へと崩れ落ち、はくはくと新鮮な空気を求め、自らの意思で呼吸を始めた。


無理もない。短い人生で初めて、生きた心地がしない感覚を体感したのだから。


そして、幼い思考は息を吹き返したかのようにギュルギュルと急速に回り出し、麻袋が発した音がようやく言葉としてネイトの心に届いた。


俺は何もっ·····なにも出来なかった。しなかった。


「{とうちゃん}」


言われるまで今この瞬間まで、気付きもしなかった。なんとかなると心の底から思い込んでた。


「{とうちゃん!?}」


願えば救われる。そうみんな言ってたから。何でそう思っていたのかさえよく分かんねぇ。


「{みんなって誰??}」


今だってっ誰かすげぇ奴が来て、どうにかしてくれると思い込んで疑わなかった。


「{誰って誰?!??}」


絵でしか見た事ない、神や大魔法使いに願えばぜってぇ助けてくれると思って疑わなかった。思い返せば、本当にそんなすげぇ存在がいんのかも考えた事はなかった。もし本当はいなかったら?そんなものは、ただの迷信だったら?それに縋ってただ願ってただけの俺はっ?


お、オレはっ俺は、父ちゃんを想いながら、とっとうちゃんを殺そうとしてたんじゃねぇのか!?俺はっ俺はっ俺はっ俺はっおれはっおれはっっ。


「{ゔわぁぁぁあああ”あ”あ”ん!!}」


『恐怖』はネイトに更なる大きな『恐怖』を残し、人知れず去って行った。









「ベクシュッ」


ネズミのような生物が残飯を漁り、ボコボコとした地面が足元を掬おうと狙っている。酒場の換気扇からは古い油と安い酒の臭いが絶えず垂れ流され、どんよりと空気を淀ませた。細い光が差し込む、ある暗がりの路地裏。一人の男が独り言とは思えないほどの勢いで独り言を始めるも、その言葉は誰にも分からない。


「はあああ”あ”あ”、とんだ災難だった。何がっ "そうか、俺は伝説だったか" だよっ!たまたま偶然、買い出しに来ただけだっつうのっ!!」


男の手には先程まで無かった一本の棒が握られている。それは荒目の麻袋に、幸福を散りばめるように容易く甘い香りを移した。


サクッサクリッ


男が金色の衣を一口含めば、そこには溢れんばかりの満面の笑みが浮かんだ。その笑顔は分厚い雲をも押し除け、月にその身を照らさせる程に幸せそうな顔だった。


「はぁぁあああ”あ”あ”、うんまぁぁ。危うくこの世界唯一の俺の楽しみが無くなるところだったぜー」


そう、この男。世間が伝説の大魔法使いと称え英雄とも呼ばれるこの男は、一本のシナモンチュロスを欲しいが為に、嘘偽りなくただそれだけの為に、店主である病を宿したカミルを文字通りサクッと助けた。


男がカミルに飲ませたのは、それが数滴あれば城をも建てられるとも囁かれる神話級の高濃度ポーション。半強制的に一瓶丸々惜し気もなく飲ませたカミルは、数刻で元気を取り戻し、恐らく数週間は絶倫無双マムシ状態が続くだろう。


そうして何とも不純な理由でそれは即刻、結果となり本来であれば不幸を辿る筈だった喜憂な家族が今し方、願い通り救われたのである。


「何であのガキに幻術効かなかったんだろ」


そして同時に、男の自身への戒めとして放たれた言葉は、本来であればチュロス店の跡取り料理人になる筈だった一人の小さな少年の運命をも変える事となった。


「まぁ良っか」





しかし、それは男も含めまだ誰も知らない。






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