果たして★1評価に対してブチ切れる人とひどく落ち込む作家は本質的な部分では変わらないのだろうか?
「★1にひどく落ち込む作家さんも、本質的な部分ではブチ切れる人と変わらないように思う」と書いているエッセイがありました。
私は、この見解に納得が出来ません。強い憤りすら感じています。これは、その思いの丈をエッセイとして述べるものです。
予め、申し上げておきますと、そのエッセイの主題は上記の部分ではありません。
『小説家になろう』の★システムは加点式なのだから、自分は★1もマイナス査定ではないと考えている。その認識が広く広がって欲しい。というのが、そのエッセイの主題だと思います。少なくとも私はそう読みました。
その主題に対して文句を言うつもりはありません。ですが、そのような主題を論ずる中で述べられた上記の見解について、どうしても引っかかってしまったので、この点について反論させていただきます。
まず、そのエッセイの作者さんは、★1に対してひどく落ち込むということについて、以下のような考えをお持ちでした。
「これぞ我が渾身の作という自負が昂じて、無意識的に〝だから傑作に違いない〟みたいな自己暗示にかかっちゃってる感じ。
なればこそ、そのセルフイメージとは矛盾する現実に直面したときのショックが余計にでかいわけ」
全くその通りだと思います。
あえて言えば、無意識的ではなく意識的に「傑作に違いない」と思っている作者も少なからずいるのではないか、という事くらいしか、付け加える事はありません。
ただ、これっておかしなことなのでしょうか?
私にはごく普通の事のように思えます。
自分の作品を、自分としては傑作だと思って世に公表する。しかし現実は厳しく望んだとおりの反応は得られない。悲しい、落ちこんでしまう。
これは、よくある普通の事ではないでしょうか?
これに対して、“ブチ切れる”のは到底普通の事とは思えません。
それは要するに、自分のセルフイメージと相反する反応を突き付けられたときに、その原因を他者にあると考えて、他者に対して怒りを抱くわけですから。
これは、有体にいって理不尽な八つ当たりです。異常な責任転嫁、自分が持つこの作品は傑作だというセルフイメージを、他者に押し付ける異常行動といっても良いのでしょう。
その上、その怒りを形にして表現してしまうのはもっと大きな問題です。理不尽な八つ当たりで相手を不快にさせてしまうのですから。明らかに間違った行動だと思います。
要するに私は、自分のセルフイメージと相反する現実に直面した時に、悲しみ落ち込むのは普通の事であり、ブチ切れるのは異常行動だと思っているわけです。
正直、この二つを本質的な部分で変わらない。などと言われてはたまったものではないと思います。
更に言うと、私がどうしても納得できないと思うのは、その作者さんが、ひどく落ち込むのとブチ切れることが、本質部分で変わらないと言っている、その“本質”とは、“作者が自分の作品を傑作に違いないと思っていること”だ、と言っているようにしか見えない点です。
何しろ「★1に憤慨する人も、悲嘆にくれる人も、あらぬプライドをこじらせてる点では同じってこと」ともおっしゃっていますので。
これでは、作者が自分の作品に対して、傑作に違いないというセルフイメージを抱くこと自体が問題だ。と、そう言ってるようにしか思えません。
だからこそ、そのイメージと相反する現実を突きつかられた時に、憤慨するのも悲嘆にくれるのも本質的には同じことなのだ。と。
ですが、果たしてそうでしょうか?
作者が自分の作品に対して傑作だというセルフイメージを持つ事は、普通の事なのではないでしょうか?
だって、自分自身が苦労して書いた作品ですよ。
世の作者さんたちは、多かれ少なかれ作品を作る事を楽しんでいると思います。苦痛しかないならさすがに書き続けられないと思うので。
ですが、当然楽しいことばかりでもありません。
先の展開が思い浮かばす何日も悩むこともあるでしょうし、自分の表現に自分で納得できず、何回も書き直すこともあるでしょう。
反面、筆が乗っているときには、心から楽しみながらスイスイ書けることもあると思います。
少なくとも、私はありました。
そういった苦楽の果てに完成した作品です。その作品に作者が、自身のセルフイメージとして傑作に間違いない、と思うのはむしろ当然ではないでしょうか?
すべての作者がそうは思ってはいないかも知れませんが、そう思う作者がいても、全くおかしくはないと思います。
もちろん、それは作者のセルフイメージに過ぎません。それを他者に押し付け、高評価をしない相手を非難するのは問題外の行為です。しかし、自分自身で傑作だと思う事それ自体は問題ではないでしょう。
少なくとも私は、自分の作品は自分にとっては傑作だと思っています。正にセルフイメージとしては傑作に違いないと思っているわけです。
まあ、同時に一般受けする作品ではないことも理解しているつもりです。一般受けどころか、倫理的に大変問題がある内容の作品も多々ありますので、良識的な人は不快感を持つだろうという事も自覚しています。
しかし、それでも、そういう作品も自分自身にとっては傑作だと思っています。万人受けはしなくても、少数の方には刺さることもあるのではないだろうか。と、そう期待して公表しています。
その結果、幸いなことに私自身はひどく落ち込んだ事はありません。
ありがたいことに、好意的な感想を書いてくれる方や、高い評価を付けてくれる方、ブックマークを付けてくれる方、いいねを押してくれる方などがいてくれるからです。
もちろん、ランキングに載っている作品に比べてしまえばその数は少ないです。正直に言えば、もっとたくさん高評価が欲しいという欲もあります。
ですが、現時点でも良い反応を返してくれる方は確かにいらっしゃるので、おかげさまで、ひどく落ち込んだりはしていません。
しかし、もしもそのような方々がいなかったなら、例えば、評価がすべて★1だったなら、さすがに酷く落ち込んだだろうと思います。
実際、ある作品において、唯一の評価が★1のみで、他の反応は一切ない。という状況だったことがありました。その時は、かなりへこみました。
その作品も私にとっては傑作だったからです。
幸いなことに、その作品にも多少は完結ブーストがかかって、高い評価も得られたのですが、★1のまま埋もれていったなら、相当ひどく落ち込んだと思います。
私は他のエッセイで、同じ★1を付ける人の中にもいろいろな考えの方がいる。純然たる善意で★1を付ける人もいるのだから、★1を受けても闇雲に落ち込まないようにするべきだ。と書きました。私自身もそのつもりでいます。
ですが、理屈でそう考えても、中々簡単に割り切って開き直ることが出来るわけではありません。
実際、純然たる善意であり、プラス評価として★1を付けていても、それはプラス評価の中の最低点です。私が対象としているエッセイの作者さんも、★1を「どちらかというと好き」という点数だとしていました。当然の事でしょう。同じプラス評価の中でも5段階あるのですから。
であるからには、評価が★1ばかりだったならば、やはりセルフイメージとの相違は生じてしまいます。
自分自身では傑作だと思う。自分と同じように傑作だと思ってくれる人も、少しはいてくれると思う。というようなセルフイメージを持っていたのに、実際の評価は「どちらかというと好き」だけ。という事になってしまうからです。
★5や★4もある中での★1ならともかく、もしも、★1ばかりとなってしまったら、自分の作品は自分の中では傑作だと思っている作者にとっては、相当ショックなはずです。
落ち込むべきではないと自分に言い聞かせても、それでもやはり落ち込んでしまうのもやむを得ないと思います。
自分のセルフイメージが打ち砕かれてしまったのですから。
ですが、繰り返しになりますが、これはよくある普通の事だと思うのです。
更に付け加えるならば、その状況を真摯に受け止め、奮起して次回作はもっと高い評価がもらえるように頑張ろうと思えたなら、向上心を持って取り組めるという事で、これほど良いことはないと思います。
むしろ、これは良い効果といえるでしょう。
そう考えれば、ショックを受け落ち込むことは、次へ向かって進むための一過程にもなると思います。
そして、これまた繰り返しになりますが、同じように自分のセルフイメージと相反する反応が返ってきたときに、その反応に対して憤慨するのは筋違いの異常行動だと思います。
結果を他者のせいにしているようでは、次回作へプラスの効果得ることもできないでしょう。
この点でも、ひどく落ち込むこととブチ切れることは全く異なると思います。
やはり、どう考えても、ブチ切れることと、落ち込むということを、一緒にして欲しくはありません。
まとめると、私の考えは以下の通りです。
作者が自分の作品に「傑作に間違いない」というセルフイメージを持つのは普通の事である。
けれどそれは、セルフイメージに過ぎないから、公表した結果そのセルフイメージと違う反応が返ってきてしまう事も、当然あり得る。
その時に、その反応に対してブチ切れるのは八つ当たり。自分のセルフイメージを他者に押し付けようとする異常行動。
しかし、その結果を受けてひどく落ち込んでしまうのは普通の心情。
だから、★1評価に対してブチ切れるのと、落ち込むことは本質的に違っている。一緒にしないで欲しい。
元のエッセイの作者さんにとっては、主題と違う部分にケチを付けられた感じで不愉快かもしれませんが、以上が私の偽らざる気持ちになります。
大分感情的になってしまい、同じような内容を繰り返す文章になってしまっていて恐縮です。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。