07 異常
向かってくるのは、何か大きな塊だった。
熊か。
違う。
手足も、顔もない。
ごつごつとした表面が、見える。
岩?
そう思った瞬間、塊は爆発するようにはじけて四散した。
目の前が暗くなり、身体が宙に浮く。
「ここにいろ」
声がして見上げると、ジュードの横顔がすぐそばにあった。ジュードがレオを抱えて塊の破片をよけ、木の陰まで運んでくれたのだ。ジュードはレオを下ろすと、飛び出していった。
「ジュードさんっ」
鋭く頭に響く音が連続して聞こえる。
レオは木の陰から顔を出した。
「……え」
大量の石が、宙を舞っている。まるで意志があるかのように、三人を襲っている。三人は剣を振り、石の攻撃を跳ね返していた。剣に当たった石は次々と地面に転がって動かなくなるが、それでも石の数が多すぎる。それに動きが俊敏で、当たれば大けがをするだろう。
なんだ、これは。
どうして石が勝手に飛んで、人を襲っているんだ。
でも、あれ……。
一瞬目を細めたレオは愕然とした。
石、ではない。
ただの石ではない。
あれは、家だ。
この村の家を形作っていた石だ。
見慣れた色と、四角く切り出された形をしている。
つまり三人を攻撃しているのは、この村のがれきだ。
そのとき、ひときわ高い音が響き、ルースの剣が弾き飛ばされた。
勢いで倒れこんだルースを、無数の石が狙う。気づいたファーガスが、自分の剣をルースに向かって投げた。丸腰になったファーガスを、石が襲う。
それを見た瞬間、熱を持った何かが、レオの心臓を掴む。
ねじ切ろうとする。
また、何もできない。
また、守られるだけで。
おれは、何も。
だったらどうして。
身体の中が燃え上がった。
レオは地面を蹴った。
レオの身体はその一蹴りで空気を切り裂き、戦う三人のもとへ届く。
レオはルースと彼女を襲う石との間にいた。
なんだか、時間がひどくゆっくり進んでいるような気がした。
レオは手を伸ばし、ファーガスが投げた剣の柄をとらえる。
剣を持ったのは初めてだった。
でも、重さは感じない。
無数の石に向かい、剣を斜めに振り下ろす。石は粉々に砕け散る。
身体をひねる。
ファーガスを飲み込もうとしている石たちを、下からすくい上げるようにはじく。
石はすべて、霧散する。
次は。
ジュードを助ける。
ジュードに向かっていた石の波が一瞬動きを止めた。
レオに向かってくる。
レオは空中で剣を持ち直し、両手で構えた。
大量の石が大蛇のようにうねりながらやってくる。
でも、遅い。
遅いんだよ。
レオはとんと地面を蹴り、飛んだ。
迫るがれき。
剣を水平に構えたまま、がれきの大蛇とすれ違う。
耳を貫くような音が響く。
すとんと着地し、振り返る。
がれきは木端微塵になって地面に落ちていた。
もう動かない。
それを確認すると、レオはそばにいたジュードに駆け寄った。
「だいじょうぶですか!」
ジュードは目を見張ったままうなずいた。どうやら無事なようだ。
「よかった!」
あとのふたりを振り返る。微妙に腰を落とした姿勢のままかたまっているファーガスと、しりもちをついたまま唖然としているルースに駆け寄る。
「おふたりは! だいじょうぶですか!」
「ああ……」
ファーガスが目をしばたかせながらこたえる。ルースもこくこくとうなずいた。
「わたしが失敗しました。すみません」
ルースが頭を下げる。
「そんなことないですよ。よかった、間に合って!」
レオはほっとして笑いながらファーガスに剣を渡した。
「すみません、勝手に使っちゃって」
ファーガスはやっと普通の姿勢に戻り、剣を受け取る。
「いや、そんなことは構わないんだ。助けてくれてありがとう」
「いえいえ、そんな」
「なあ、レオ」
ファーガスが剣をおさめてからレオを見る。
「レオは、剣の心得があるのか?」
「……へ?」
間抜けな声が出る。そんなもの、あるわけがない。それじゃあどうして。
「えええっ!」
レオは口を押えて飛び上がった。
どうして、さっきみたいな動きができたのだろう。
怖い。
いやいや、怖い怖い怖い。
今の動きは、自分ではなかった。
「いや、ないです! 剣なんて触ったことなかったです! えええええなんで?」
レオは叫んだ。
「えええないのか?」
ファーガスが目をむいて大声をあげる。
レオはぶんぶんとちぎれそうなほどうなずいた。
ファーガスはこめかみを押さえている。
「でも」
ルースが立ち上がりながら言った。
「さっきの動き、軍の手練れにも匹敵するようなものでした。それを超えているかもしれない。剣の心得があるくらいでは到底できません。善良な市民が身に着けている技とは思えないんですが」
「いいえおれは善良な市民です!」
「……魚を二枚におろすみたいに切った……」
ジュードが若干うらやましそうにつぶやいた。
「火事場の馬鹿力か?」
ファーガスが首をひねる。レオは賛同した。
「そうですね、それですね!」
ルースは眉間にしわを寄せている。
「でも……」
「とにかくありがとう。助かった」
ファーガスが笑顔で肩をたたいてくれる。
「よかったです」
よく、いや全く何事かわからないが、三人を助けられたならよかった。レオは安堵していた。なんだか動き出す前に、何かが身体の中で燃えた気はしたけれど、なんだったのだろう。
「それにしてもこれはなんだ」
ふと、ジュードが言った。
みんなジュードを見る。ジュードはしゃがみ込み、指先で崩れた石をいじっていた。
ファーガスとルースとレオは顔を見合わせた。
そうだった。
レオの異常な動きのことで忘れられていたが、襲ってきたのは、人間でも獣でもなく、がれきだったのだ。
「超常現象ですね」
ルースがぽつりと言う。
「そうだな」
ファーガスが気の抜けた相槌を打った。
「見たところただの石だが」
ジュードがつぶやく。
「家の材料です」
レオは言った。
「だから、崩れた家のがれき、だと思います」
それを聞いたルースが少し考えてから、レオをまっすぐに見た。
「レオさん、聞きたいのですが」
「ルース、待て、まだ」
ファーガスが遮ろうとする。
「ファーガスさん」
ジュードがしゃがんだまま言った。
「今回の事件の原因を探るためには、できるだけ早く聞いた方がいいかと」
凛とした声音に、レオの背筋も伸びる。なんだかよくわからないが、村がひどい目に遭った原因に迫るためにレオに聞きたいことがあるらしい。レオは口を開いた。
「だいじょうぶなので、聞いてください」
ファーガスが心配そうに見ている。ジュードが静かに立ち上がった。
ルースはレオから目をそらさず、言った。
「軍に昨日のこと、教えていただけますか。見たもの、聞いたもの、できるだけ詳細に」
ファーガスは、レオの心を心配してくれていたのだと、わかった。惨劇を思い出して口に出さなければならないから。