03 群青
レオはその人を見つめ返した。
群青色の軍服は、レオの村が属するカエルレウム領の領主直属の軍団が身に着けるものだ。この人はルプスだ。ルプスは、軍団の中でもこの村と、周辺の村を担当地区としている三人組の小隊だ。今まではそんなことなかったけれど、村の有事には一番に駆け付けて守ってくれる。村の様子がおかしいことに気づいて、来てくれたのだろう。
それがわかったとき、レオは唐突に、しっかりしなければと思った。
こんなんじゃだめだ。おれはどのくらいここでじっとしていたんだろう。ルプスの人が心配してくれている。ちゃんと、だいじょうぶだって言わないと。
「……来てくださって、ありがとうございます」
レオは目の前の人をまっすぐ見て言った。
「おれはだいじょうぶです」
青空のような目が痛ましげに細められる。でもすぐに表情を引き締めて、その人は言った。
「原因は不明だが、未曽有の事態が起きている。すぐにここを離れたほうがいい」
レオはうなずいた。
「わたしはルプスのジュード・ベイリーだ。ルプスがきみを保護する」
「ありがとうございます。おれは、レオといいます。よろしくお願いします」
ジュードはうなずき、淡々と言う。
「その子は、今はおいていくことになる」
レオは腕の中のアシュリンを見た。
「あとで必ず迎えに来る。だから今は、こらえてくれ」
表情を変えず静かな声でジュードは言ったが、両手はきつく握りしめられていた。
「わかりました」
レオはアシュリンをそっと地面に横たえた。倒れた木を乗り越えて、ジュードの前に立つ。
「けがはありませんか」
横から声をかけられて顔を向けると、ルプスの軍服を着た小柄な人がたっていた。緑色の瞳が少し下からいたわるように見上げてくる。ひとつに丸めてまとめた銀の髪と涼やかな声からして、少女であるようだった。
「だいじょうぶです」
レオはこたえた。腕にかすり傷があるだけで、それも大したことはなかった。
少女は少しだけ表情を緩めて言う。
「一緒に馬に乗って、村を出ます。まずルプスの詰所へ行きましょう」
「こいつだよ、レオ」
別の声に振り返ると、馬を引いた軍服姿の男の人がレオを見ていた。ギルと同じくらいの年に見える。濃い茶色のひげを生やし、優しそうな深い目をしていた。
「おれはファーガスだ。この馬はアドルファス。偉そうだろ」
男の人は馬の背をぽんとたたく。たしかに、王さまみたいな名前だ。
アドルファスについた馬具も、軍服と同じ群青色にそろえられていた。少女に促されてアドルファスの方へ歩いていく。村で畑仕事を手伝っている馬や牛に比べて、大きくて立派な体つきをしている。さすがアドルファスと名前がついているだけある。こんな馬に乗ったことはなかった。
少女が先にひらりとまたがり、レオを引っ張り上げてくれた。レオは少女の前に乗せられた。アドルファスの背から見える景色は思ったより高くて、なんだか不思議だ。
「ルース」
ファーガスが少女を呼び、マントを脱いで彼女に渡す。ルースと呼ばれた少女はマントを受け取り、ぐっと何かを飲み下すようにうなずいた。
「わかりました」
レオがその様子をぼんやりと見守っていると、ルースは突然、失礼しますと言ってマントをレオに頭からかぶせた。
「わっ?」
視界が真っ暗になって思わず声をあげると、ルースが言う。
「急にごめんなさい。でもルプスの詰所まで行くには、人目に触れることもあるので」
レオはマントの中で目をしばたいた。ルプスの人たちは、わけのわからない何かに巻き込まれて保護されるレオが、人々の視線にさらされないように気をつかってくれているらしい。
「わたしはルースです。すぐにつきますから、楽にしていてください」
ルースは言ってくれた。三人がすぐに名乗ってくれたのも、きっとレオを不安にさせないためだ。レオはかぶせてもらったマントをきゅっと握った。ファーガスのマントは大きくて体がすっぽり覆われるけれど、軽かった。
「ありがとうございます、ルースさん」
レオはマントの中から言った。ルースはこたえなかった。代わりにジュードとファーガスに向かって声をかける。
「では、また戻ってきます。ふたりともお気をつけて」
「ああ、ルースもな」
ファーガスが言った。
「はい」
ルースがこたえた。
「ファーガスさんと、ジュードさんは?」
レオはマントをかぶったままルースを振り返った。ふたりは馬がないのだろうか。
「おれたちのことを気にしてくれてるのか?」
ファーガスが言う。なぜか少し、苦しそうな声に聞こえた。
「心配いらないよ。ほかの隊も来てるから、合流してもう少し村の様子を見て回るんだ」
ファーガスはそう教えてくれた。ほかの隊というのは、ほかの村を管轄地区としている隊のことだろう。ジュードは黙っていた。
「そうですか」
レオはおとなしく前に向き直る。
「じゃあ、行きますね」
ルースがアドルファスの腹を蹴る。アドルファスが進みだした。視界が真っ暗のまま運ばれるのは、なんだか妙な気持ちだ。
「マント、かぶっておいてくださいね」
ルースが後ろからつぶやく。
「はい」
レオは素直にうなずいた。厚意を無下にする気はなかった。
それきりルースは黙った。レオも何も言わなかった。アドルファスもひたすら駆け足で走っていた。
かぶせられたマントは、なんだかいい匂いがした。それはほっとするような、包み込まれているような、よく知っているものだった。
おひさまの匂いだった。
よく晴れた日に干した洗濯物の匂い。
レオはマントにくるまって、しばらくアドルファスの背で揺られた。とても静かだった。アドルファスの蹄の音が、規則正しく響いているだけだった。
ふと、やさしい香りの中に何か別のものが混じった気がした。少しだけ気になったけれど、別に確かめようとは思わなかった。
そのとき、びゅうと風が吹いた。
マントが少しめくれる。急いで掴もうとした手から、マントがすり抜ける。髪の毛を撫でながら、マントはレオの頭から落ちていく。闇に守られていた視界が、明るく開ける。
後ろでルースが息をのむのが聞こえた。
一瞬まぶしさに細めた目を、レオはゆっくりと開いた。