13 昔話
レオは黙ってルースを見つめた。
そんな話は、小さいときエリンから聞いた気がする。でも、もう忘れてしまっていた。
「わたしはある街の、ちょっとしたお金持ちの家の生まれです」
ルースは目を伏せて話した。
「わたしは、生まれたときからずっと、ひとつの部屋に閉じ込められていました。赤ん坊のときに罪を犯したわけではないですし、いじめられていたわけでもないですよ。両親なりに、わたしを大切にしていたんです」
レオは言葉を失った。閉じ込めることが子供を大切にしていることになる状況なんて、レオには思いつかなかった。
「両親は、とても深く、占いを信じる人たちだったんですね。わたしが生まれたばかりのとき、両親は、占い師にわたしのことも占ってもらったそうです。すると占い師が、この子はこの家を守る子だ、できるだけ大切にしなければならない、さもないと災いが起きる、とか言ったらしいのです。だから両親は、わたしをいつもいつも大切にすることを誓いました」
ルースは少しだけ、笑みを浮かべた。
「そしてわたしを、まるで神様みたいに大切にしてくれたんです。家の守り神だと信じているからそうなっても仕方ないかな、とも思うんですが。上等な部屋を用意して、恭しく扱って、名前も呼ばれたことがありませんでした」
「それは、大切にするって、そういうことですか」
レオは思わずつぶやいた。なんだかおかしい気がする。
ルースは首をかしげた。
「そうですね。でもわたしはそんな状態のまま大きくなりました」
やるせない思いで、レオは続きを待つ。
「何というか……わたしの心は空虚でした。大切にはされているけれど、愛してもらったことはなかったので。ずっと閉じ込められていたら、愛されていないとか愛していないとかに気付くこともないと思いますけれど、でも、周りの人たちの様子を見て、気付いてしまったんです。愛してもらいたいと思ってしまったんです。でもかなわなかったので。それで、考えるようになってしまって」
ルースはどこか、遠い目をした。
「どうして生きているのか」
レオははっとしてルースの目を見た。目は合わなかった。伏せられた長い睫毛がその緑色の瞳を隠していた。
「自分など、存在しても意味がないのではないか」
レオはなぜか無意識に、首を振っていた。
「死んだってかまわないのではないか」
ルースは視線をあげてレオを見た。
「わたしはそんなふうに、思ったのです」
ルースの言い方は、わたしの思いを否定するなというようだった。レオは唇をかんだ。
「ずっと、そんな風に考える日が続きました。そしてあるとき、わたしは自分の身体がおかしいことに気が付きました」
ルースは自分の腹部に手を当てた。
「身体が熱い」
どくんと心臓がはねた。
「熱くて、熱くてたまらなかったんです。何かが身体の中で暴れまわっているみたいでした。閉じ込めておけないくらい、暴れていました。だから」
ルースは再び薄い笑みを口元ににじませる。
「開放してしまいました。思い切り叫んだり床を転がりまわったりしたんです」
レオは息を詰めた。
「何かが鈍く光って、つぎの瞬間にはものすごい音を立てて部屋が崩れだしました」
息ができなくなる。
「部屋だけではなくて、家全体が崩れました」
ルースさんは、壊してしまったんだ。
「何が起こったかわかりませんでした。とにかくがれきの下から這い出しました。すると両親も、家のお手伝いさんたちもそこにいて、無事でした。わたしは少しほっとしました。でも両親たちは、無事に出てきたわたしを見ても喜びませんでした。母親は、災いだ、と言いました。みんなわたしを怖がっていました。父親が、『おまえがこの家の災いだった。出ていけ』と言いました。わたしは逃げ出しました。しばらく初めての道を走って、疲れて座り込んで、やっとわかりました。自分は、とんでもないことをしてしまった」
自分が村を壊したと知ったときの、心臓が凍り付くような感覚がよみがえる。
「取り返しのつかないことをしてしまった。わたしは混乱して、でもとにかく自分が悪いということだけははっきりとわかっていて、だから自分を呪いました。自分を責め続けました。するとまた、体が熱くなってきて」
レオは思わずうめいた。
「いやだ」
ルースが口をつぐむ。
「いやだ、やめてくれ」
また壊す。ルースさんはまた壊してしまう。
そのときのルースさんとおれは、似ている。
自分の手で、破壊してしまった。
ルースは首を振った。
「わたしはもう、壊さずに済みました」
ルースは、切なげに目を細めていた。
「ある人が、声をかけてくれたからです」
レオはじっとルースの目を見つめた。ルースもレオの目を見てくれた。
「その人はわたしにやさしく声をかけてくれました。半狂乱になっていた子供の話を辛抱強く聞いて、家に帰れないとわかると自分の家に連れて行ってくれました。そこはとても暖かくて、優しい場所でした」
ゆっくりと、身体の力が抜けていく。
「でも、わたしはしばらくのあいだずっと、自分を責めていました。でもそのたびに、その女性はわたしを抱きしめて、教えてくれたんです。人の身体の中には、ときとして強い、強い力が生まれることがある。その力は生まれて解放されると、たくさんのものを壊してしまうほど強い。でも、その力はおさめることができるから、だいじょうぶ。わたしはそれを聞いて、なんだか安心していました。そんな日が続いて、わたしの中で暴れていた熱い何かは、いつの間にかなくなっていました」
ルースがにこりと微笑む。
「おしまいです」
レオは大きく息を吸ってはいた。
ルースも、得体のしれない力を持っていたときがあったのだ。
それは自分のものと同じなのか、レオにはわからない。
「ちょっといやな話でしたね」
ルースがそっと覗き込んでくる。
「でも、もしかしたら、と思っていたんです」
ルースはとてもやさしい目をしていた。かなしくなってしまうほど柔らかい光をたたえた目だった。
「あなたは、あなた自身も驚いていたけれど、すごく強かったでしょう。だからあなたにも、この話と同じようなところがあるんじゃないかと」
レオはルースから目をそらした。
「わたしを助けてくれた人が教えてくれたのは、昔話だったんです。自分を厭い続けた人の話」
ルースは続ける。
「自分を心から嫌だと思い続けていると、その人の中に強い力が生まれてしまって、いろいろなものを壊してしまって、最後には」
ルースは口をつぐみ、言い直した。
「でもこの昔話は、本当の話だったのかもしれません。わたしも似たようなことを経験しましたし、それに」
そんなわけのわからないこと。昔話と現実は違う。レオは黙っていた。
「何かが嫌いだ、憎らしい、と思っても、それは外に向いた気持ちです。でも自分を責めたり嫌ったりする気持ちは、全部内側に向きます」
ルースは静かに言った。
「そして、身体の中にたまっていきます。身体の中というか、心の中に。そして限界が来て、爆発してしまう」
レオはのたうち回る熱い感覚を思い出していた。
「もしそうなら、あなたも自分のこと、責めているのだとしたら」
ルースの声が小さくなる。
「わたしはあなたに、そうしてほしくありません」
そんなことを言われても。そんなの無理だった。
こんな、ひとりだけ生き残って村を破壊したようなやつ、存在していいわけがなかった。
レオはすぐにこたえられなかった。
「わたしの勝手な気持ちですが。あなたに、そうしてほしくないんです」
「ありがとうございます」
レオはルースを見ないままつぶやいた。
「でもおれはだいじょうぶです」
自分でも驚くほど感情のこもっていない声が出た。
ルースが黙る。
「自分のこと責めてなんか、ないです」
ルースが自分のことを話してくれたのに。きっと、あまり話したくないことだっただろうに。
「ルースさんが覚えていないだけで、地震でも起きたんじゃないですか。家が壊れたのはルースさんのせいじゃないですよ、たぶん」
「そうですね」
ルースがこたえた。
「でも、あなたが自分を呪っているのはよくわかります」
ルースの声は落ち着いていて、今まで聞いていたものと変わらなかった。
「あなたの心の中に土足で踏み入っていると自覚しています。こんなこと許されないと思います。すみません」
レオはぎゅっと目を閉じた。謝る必要なんてない。わざわざこんな話をしてくれるルースはまっすぐに、レオのことを案じてくれているのだ。それはたぶん、ジュードもファーガスも同じだ。きっと、もういない家族や村の人たちさえも。でも、受け入れられない。自分がどうして、という気持ちがなくならない。
何かあったらまた呼んでくださいね、と言いおいて、ルースは部屋を出ていった。
レオは戸の方を振り返った。
おれ、いいのかな。
心のうちでぽつりとつぶやいた。