01 ぼく
何かがおかしかった。
開け放たれた木戸から差し込む朝の光が、寝台の上を静かに照らし出している。
黄ばんだシーツと、ごわごわした毛布。
その中に、華奢な身体を横たえているクレア。
なぜか口元に添えられた、か細い左手。
柔らかく巻いた飴色の長い髪。
その中にふわりと包まれたクレアの顔は、いつもよりひどく、青ざめていた。
目は固く閉ざされ、こんなにそばにいるのに開くことがない。
いつも水くみから帰ると、クレアは寝台の上で身を起こしていて、おかえりと微笑むのに。
だらりと垂れて床に届いた右手のそばには、白い可憐な花が落ちていた。
庭に咲いていた花だった。
手を伸ばし、そっと青白い頬に触れる。
指先が震えて、その温度も感触もわからなかった。
クレアは、目覚めない。
頭が冷たくなる。
どうして。
クレアの、笑みに緩まない頬から指が滑る。
死んでいる。
毒だ。花の、毒。
風が吹き込み、純白の花弁が床を這う。
どうして。
鳥が朗らかにさえずっているのが、遠くで聞こえる。
クレアの顔は朝日の中で、絵のように彫刻のように美しい。
どうしてって。
天井を仰ぐ。
唇の端が歪む。
わけなんて、決まっているじゃないか。そう。決まっている。
足が床に吸い付いて離れなくて、そこから地の底へ引きずり込まれていくような気がした。それでいて足の裏が、地面を猛烈に拒否しているような気もした。自分が、立っているのかどうかさえ、よくわからなかった。ざわざわ、ざわざわと、腹の底から何かが湧いてくるような感覚を覚える。熱を持った、大量の、うじ虫のような何かが吐き気のように。
そのとき唐突に、小さいころ父から聞いた話を思い出す。
人の中にはときどき、強い、強い力が生まれるときがあるんだよ。父は穏やかな声でそう言った。寝台の上で、分厚い毛布としっかりした父の腕に包まれ、とても暖かかった。暖炉では、見守るように火が燃えていた。クレアも、隣でつぶらな瞳を見開いて聞いていた。強い強い力ってなんなの、父さんより強くなれるの、とたずねると、父は微笑んでこたえた。
『その力は、生まれないほうがいいんだよ。もし生まれて出てきたら、たくさんのものを壊してしまうんだ』
そのとき、父が何を言っているのかよくわからなかった。でも、たくさんのものを壊すなんていけない、と思って言った。
『じゃあその力が生まれないようにしないといけないね』
するとクレアが神妙な面持ちでうなずいた。
『もし生まれちゃって出てきそうになったら、こうやって止めなきゃ』
クレアは小さな両手で口を押え、真剣な瞳で父を見上げた。
父は優しくクレアの頭を撫でた。
クレアのあまりに真摯な様子に、少し心細くなって父に聞いたのだ。
『いつ、そういう力は生まれてくるの』
父は申し訳なさそうに眉を下げてこたえた。
『それは父さん、忘れてしまったんだ。父さんは、父さんの母さんからこの話を聞いたんだけど、小さいころだったからね』
それじゃあ、気を付けることもできなくて、できることは本当に口をふさぐだけになってしまうのか。心配になって思わず目を伏せると、父はぽんぽんと頭を撫でてくれた。
『だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。これは昔話なんだ。本当の話じゃないよ』
胸に、喉に、止めようもないそれが湧き上がってくる。だめだ。いけない。止めなければ。両手で口をふさぐ。喉をのけぞらせ、ぎゅっと目を閉じる。涙がにじんで、零れ落ちる。飲み込むのだ。押さえつけるのだ。出してはいけない。これは、出してはいけないものなのだ。自分の頬に爪を立てる。熱い。無数のそれが絡まり合ってうごめき続ける。だめだ。嫌だ。
ああ、でも。クレアは。
クレアが死んだのは。クレアを、殺した、のは。