岡田貞子
今上陛下は若い頃から合気道に興味があり、ときどきお忍びで、各地の合気道の道場を訪問されていた。もっとも、ホントにホントのお忍びではないので訪問時には道場のお偉いさんがそろってお出迎えしている。
昭和62年、浩宮殿下(当時)は、養神館合気道の道場を訪問し、演武を観覧したり達人・塩田剛三から簡単な技を教えてもらったりと楽しい時間を過ごされた。その後、養神館の理事たちと会議室で簡素な酒とつまみで談笑されていたのだが、この理事たちというのが、警察庁長官や大学の総長・学長、大企業の会長・社長を勤めた経験のあるそうそうたる面々だった。その時の様子は動画や写真に残されているがまだインターネットが普及していなかったその頃、会議室の様子を写した写真を使ってよからぬことを企む者がいた。
その者の名は岡田貞子。学習塾を経営していた人物だが、上記の写真をどこかから入手すると、これは日銀の地下室で行われた極秘の会議の様子であると吹聴した。かつて昭和天皇は敗戦後、連合国に対して日本国民を助けるために気の遠くなるような金額を渡したのだという。それが今、返還され極秘に第一勧銀にプールされているという。それらをどのような用途で使っていこうかを話し合っている様子だというのだ。そして彼女は自分は早世した昭和天皇の第二皇女久宮の双子の妹だったが、ひっそりと里子に出されたご落胤であると言い、昭和天皇の話に信憑性を持たせようとしていた。
しかし彼女は平成元年に東京銀行で450万円の小切手を、また平成8年にシンガポールの銀行で1兆円の小切手を差し出すと、昭和天皇から譲られたという財産を引き出そうとしたが偽物の小切手であるとバレてどちらも換金はできなかった。彼女はシンガポールの刑務所で服役中、病気で死亡した。




