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芦原天皇

 芦原金次郎は武士の家系である絵師の家に生まれた。時は黒船来航の少し前である。

 彼の少年時代に大政奉還が行われ。その後旧幕府軍と明治政府軍との間で戊辰戦争が勃発。彼の人生に大きな影響を与えた。

 芦原もまた少年の身で会津での戦争に参加し、その残酷な惨状を目の当たりにする。旧幕府軍の人間は当時賊軍ということで明治政府の意向で戦死した者は放置され、東京招魂社(現在の靖国神社)に祀られることもなかった。

 戦後は櫛職人として働くも、チョンマゲからザンギリ頭への変換とともに櫛の需要も激減し、生活は苦しかった。

 明治維新による急激な社会の変貌で価値観を揺るがされ、芦原は次第に精神を病んでいく。彼のような人間は決して少なくなく、誰が作ったものやら、徳川将軍の時代に戻してくれ、という意味の歌が流行する。そんな思いが影響していたのだろうか、いつしか芦原は自分が征夷大将軍であると名乗るようになった。そして幾度となく役所へ行って無茶苦茶なクレームを入れては叩き出されるということを繰り返す。しかし当時は自由民権運動が盛んであったため、このような行動もその一環としてマスコミは彼を面白がって名物のように取り上げていた。

 あるとき、明治天皇の巡幸時に芦原はタメ口で呼びかけて直訴しようとし、それを期に彼は精神病院に入院することになる。この当時の精神病院は現在よりもずっと患者への対応が酷く、芦原は何度も脱走したが、やがて院長が変わって病院内の環境を改善することで芦原も落ち着く。院長には、精神病院の悪いイメージを払拭するために芦原を広告塔にしようという目論見もあったようだ。とは言え、環境が改善されたことは事実であり、芦原も嬉しかったのか「私は将軍をやめて天皇となる。そして院長を征夷大将軍に任命する」と”勅語”を発した。

 入院中も芦原は日本や世界の時事への関心を忘れることはなく、権威ある者のような態度でそれらに意見を述べていた。それをマスコミが面白がって拾い、新聞・雑誌のネタとし、当時の日本人には芦原を知らぬ者は無いくらいだった。その影響は大きく、マスコミの人間以外でも多くの著名な文筆家や軍人・政治家までもが彼に面会に行って言葉を交わしている。その堂々たる態度と、精神障碍者ゆえに忌憚ない発言ができることにある種の憧憬を抱いていたのかもしれない。

 昭和12年に、芦原は息を引き取り、50年以上の入院生活を終える。彼は敬意を込めて「狂聖」と(おくりな)された。それからしばらく経っても文筆家の手によって芦原将軍の伝説は語り継がれることになった。

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