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少女と白の心  作者: 連星れん
後編
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大陸暦1977年――04 幸せの在処4


 痛みや苦しみを分かち合い、喜びや幸せを分け与える――。


「……まるで、婚姻の誓いみたいだな」


 深い意味もなく、私はそう口にしていた。

 手から伝わり視えたことが昔、結婚式を行なっている近くを通りがかったときに耳にした句を連想させたからだ。

 そのときは遠い国の呪文のように聞こえて理解も出来なかったが、今ならその意味が分かる気がする。こいつが望んでいるのはまさに、それだったから。

 フラウリアは私が言ったことがすぐに飲み込めなかったのか、きょとんとした顔でこちらを見上げていた。それから何度か瞬きをしたのちに、その顔が赤く染まっていく。その句をこいつが聞き知っていることは、私もその記憶を視たことがあるので知っていた。私と同じく、結婚式を見かけたことがあるのだ。

 その句をフラウリアが今、実際に口にしたわけではないが、その反応からしてそう思っていたことには間違いないのだろう。だから赤い顔で目を泳がせながら、口をあわあわと波打たせている。

 私はその様子を、何とも冷静な気持ちで眺めていた。

 先ほどまで高ぶっていた感情は、いつの間にか何処かに行ってしまっている。それどころか妙に落ち着きを払っている。もしかしたら手から伝わるフラウリアの強く、それでいて穏やかな感情が、私の気持ちを落ち着かせたのかもしれない。とはいえ今は動揺している影響で、その穏やかだった感情は見る影もないぐらいに乱れてはいるが。

 そうしてしばらくフラウリアは一人、慌てていたが、やがて何かに思い至ったかのように赤い顔を引き締めると頷いた。


「そう、ですね。思ったり願ったりするだけでなく、むしろ自分でそうしようとする心意気が大事ですよね」


 そう独り言のように口にすると、改めてこちらを見て言った。


「ですので、そのように受け取っていただいても構いません」


 予想だにもしなかった言葉に、今度は私が目を瞬かせる番だった。


「……マジで言ってるのか……?」

「はい。マジで申し上げています」


 フラウリアは赤い顔のまま、私の言葉を真似てそう言った。

 本当は恥ずかしくて仕方のない癖に、それでも目を逸らさず必死にこちらを見ている。

 これは冗談ではないのだと、自分は本気なのだと、私に伝えようとしている。

 そんなフラウリアを見ていたら、私は次第に笑いが込み上げてきた。

 つい先ほどまで感情的になっていたのが嘘かのように、おかしくなる。

 腹を押さえて笑う私を見て、フラウリアが怒るように眉を寄せた。


「ベリト様、私は真剣に――」


 全てを言い終わる前に、私はフラウリアを抱き寄せていた。

 全身から伝わる感情で、驚いているのが分かる。

 当り前だ。

 私だって驚いている。

 自分がこんな衝動に駆られるなんて。


「……そんなこと、言ってしまってもいいのか?」


 フラウリアの頭がこちらを見るように動いた。


「お前は……幸せにならないといけないのだろう?」


 ――そう、セルナに言われたのだろう。

 私がお前から引き受けた記憶に苛まれないために。

 失った過去を顧みず前を向いて、幸せにならなければならないと、言われたのだろう。

 そればかりは、セルナの言う通りだ。

 それは決して恩に着せるつもりで思っているのではない。

 お前には、それだけの責任があるのだ。

 様々な人間の思いで命を繋げたお前には、幸せにならないといけない義務があるんだ。

 ……だが、それはお前だけでいい。

 私のことまで気にする必要はない。

 お前の心を救ったのが私だからって、私に気を遣うことはないんだ。

 お前が幸せであるだけで、私の中のお前の記憶は――私は、救われるのだから。


「分かっていらっしゃる癖に」


 耳元で温かな声がする。

 ……あぁ、分かってる。

 分かっているさ。

 お前は何も隠さないから。

 全て伝わっている。

 それでも、その口から聞きたいと思ってしまう。

 視れば分かるというのに、お前の声で聞きたいと思ってしまう。

 言葉という力を私は知ってしまったから、直接、聞きたいと思ってしまう。

 背に手が回される。そこに温もりが生まれる。


「私の幸せは、貴女の側にいることだと」


 ……その言葉に、目の奥が熱くなる。

 胸の奥から、知らない感情が込み上げてくる。

 それが全身に広がる中で、ふと脳裏に浮かんだのは一人の子供だった。

 部屋の中で一人で過ごす子供――。

 そう。子供のころの自分。

 独りぼっちの自分。

 物心ついたころにはもう、私は一人だった。

 使用人も、両親ですらも、私を疎ましく思っていた。

 そこで与えられた愛情も、幸せも、全ては紛いものだった。

 生まれ育った場所には、私の居場所はなかった。

 星都せいとに捨てられてからは力を知った上で関わってくれる人間はできたが、それでも孤独なのは変わりなかった。

 普通の人のように触れ合うことのできない私は、結局どこにいても一人で、そしてそのまま死んでいくものだと思っていた。

 自分が幸せになることも、誰かを幸せにすることも、考えたこともなかった。


 だが、こいつは、私の側にいることが幸せだという。

 こんな普通ではない私と共にいることが――幸せだと感じている。


 そんなことは初めてで、がらにもなく……泣きそうになる。

 人の感情ではなく自分の感情のみで、泣きそうになっている。

 こんなことは忘れるぐらいに久しぶりで、そして悲しくもないのにこうなるのは初めてだった。

 ……あぁ、そうか。

 それで気づく。

 この込み上げてくる感情が、幸せというものなのだと。

 私は初めて人の中に、それを見つけたのだと。

 フラウリアと同じく、私もこいつにそれを感じているのだと。

 目の縁から涙が零れる。

 そして人は……幸せでも泣くのだと、私は今、初めて知った。


「……馬鹿だな……お前は」


 私を、選ぶなんて。


「本当に……馬鹿だ」


 優しく笑う気配がする。それだけで心が温かくなる。

 さらにはフラウリアから流れる感情が、私の感情とも混ざり合い、広がっていく。

 死者からしか得られなかった安らぎを――これまで得たことのない安らぎを、私は今、感じていた。


「ベリト様」


 背に回された手に力が込められる。


「私を――私の心を救ってくれてありがとう」


 ……そう、全てはそこからだった。

 それがあったからこそ、今がある。

 ――いや、それだけではない。

 私が壁近へきちかでお節介な子供に助けられていなければ、闇治療士に引き取られていなければ、そしてセルナにここに連れてこられていなければ、今はなかった。

 ここまで私に関わってきた人間が一人でも欠けていたら、私はフラウリアと出会うことすらもできなかった。

 だからそれだけは――それらの出会いだけは、この力が与えてくれた祝福なのかもしれない。

 私の力は、こいつを救うために与えられたのかもしれない。

 だとしても、この力はこれからも、私にとっては呪いであり続けるだろう。

 この力を受け入れてくれる人がいても、気にしない人がいても、それだけはきっと今後も変わることはない。

 それでも、これまでのようにただ、疎ましいものだとは思わない。

 この力を持って生まれたからこそ、私は今、ここにいるのだ。

 この力がなければ、私はこいつと出会うことも、助けることもできなかった。


 この腕の中にある、白く温かい命に触れることが、できなかったのだから――。



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