大陸暦1977年――04 幸せの在処3
「……お前は凄いな」
他人のために、そこまで出来てしまうフラウリアに、つい私は本音を零していた。
「私は、視られて困る記憶ばかりだ」
……そう。私の中にあるのは、どうしようもない記憶ばかりだ。
両親を殺され、幼くして過酷な環境に投げ出されてもなお、生きることを諦めなかったお前とは違う。
どんなに人の醜い部分を目の当たりにしても、どれだけ辛い目に合っても、いつだって人のために行動し、ひたむきに前を向いて生きてきたお前とは、違う。
親に捨てられ、たまたま命を拾われ、引き取られた対価として闇治療士を手伝いながらただ慢性に生きてきただけの何一つ、誇れることのない記憶――。
――死に損ないの記憶ばかりだ。
しかも、それだけでなく私は、人を助ける治療士でありながらも多くの命を奪ってきた。
助からない人間はこの力で安楽死させ、そして自分に害を及ぼす人間はこの手にかけてきた。たいして生きる気力もないくせに、いつ死んでもいいと思っていたくせに、それなのに自分の命を守るために多くの人の命を奪ってきたんだ。
……こんな記憶、視せられるわけがない。
お前に視せるには私の記憶は……醜すぎる。
……それでも。
「いつか」
私がそう言えば。
「いつかでいいのです。お話しいただけませんか?」
お前は、そう返してくるだろう。
人に触れられたくない理由を訊いたときのように、解剖を始めた理由を訊いたときのように、私のことを知りたいと、理解したいと、受け入れたいと思うだろう。
「……気分のいい話じゃない」
「構いません」
たとえ私が拒絶を示しても。
「聞いたら後悔する」
「しません」
諦めようとはしない。
「受け入れられずにまた悩むことになる」
「それでもです」
決して引こうとはしない。
「私のことも……きっと、嫌になる」
「なりません」
それどころか。
「私がベリト様を嫌いになることは絶対にありません」
踏み込もうとさえしてくる。
濁りのない澄んだ感情で、私の中に入り込もうとしてくる。
「…………絶対、だと」
その眩しいぐらいの純粋さと、確信めいた言い様に、私は……苛立ちを覚えた。
「どうして、そう言い切れる……?」
真っ直ぐこちらを見据えていたフラウリアの目が、動揺するように揺れた。口調にも感情が表われてしまっていたからだ。そのことは、自分でも気づいていた。
「聞く前からどうしてそう言い切れる……!」
だけど私は感情を抑えるどころか、怒鳴るように声を荒げてしまっていた。
フラウリアは驚くように目を見開いたが、それでもすぐに表情を引き締めると毅然とした態度で答えた。
「貴女のことは知っているからです」
「私の何を知ってるというんだ……!」
「確かに」語気を強めてフラウリアは言った。「私はベリト様がどちらの出身かも、ここに来られるまでどのような人生を歩んでこられたのかも、ほとんど知りません。でも、貴女がどのような人間かは分かっています」
「そんなこと、お前に分かるわけがないだろ! 心も、根源も視られないお前が……!」
「視られなくても知っています……!」一際強く、フラウリアは言い返した。
「だって貴女は私の心に触れてくれたから」
「…………!」
私は、驚いて息を呑んだ。
どうして……それを――。
フラウリアの心に触れたことは誰にも話していない。
セルナにすらも話していないのだ。
だからこいつが、それを知っているはずがない。
たとえ心がそれを覚えていたとしても、それは無意識下に表われるものだ。
最初から無警戒であるとか、変に信頼しているとか、そういう感じで表われるものなのだ。
確かに私は以前、人の心に触れるということは、相手にも自分の心に触れさせることなのかもしれないと考えたことはあるが……もしそれが正しかったとしてもフラウリアにその自覚があるはずがない。
しかしフラウリアは、私の考えを覆すように言った。
「私の心はそれを覚えています。心を救ってくれた貴女のことを。そして心は私にそれを教えてくれていました。目覚めたときからずっと」フラウリアは手を自身の胸に当てた。「それは決して明確なものではなかったけれど、それでも大事なことを忘れていると教えてくれていたのです」
それで、気づいたというのか……。
馬鹿な。そんなことが、ありえるのか……?
……いや、ないとも言いきれない。この能力は、持っている当人である私ですらもまだ分からない部分が多いのだ。それも当然だろう。こんな能力を持った人間が存在していた記録など、何を捜しても残っていなかったのだから。この能力が何なのかも、私が勝手に気づきを得て知ったものだ。誰かに教えてもらったからではない。
これまで前例がなく、自分でも能力を把握しきれていない以上、何が起こったとしても不思議なことではない。ありえないと片付けるには情報がなさすぎる。
それに、フラウリア自身がそう感じているのだ。それが私を懐柔させるための嘘ではないことは、この手から伝わる感情が何よりも物語っている。
「だから私は知りたいのです。貴女が私にしてくださったように、私の痛みや苦しみを引き受けてくださったように、私も貴女の抱えるものを知って、受け止めたい」
握られた手に力が込められる。フラウリアがこちらを見つめてくる。
私は……その眼差しから逃げるように顔を逸らした。
「そうすることに……何の意味がある」
そんなことを知って、いったい何になる。
他人の記憶など、痛みや苦しみなど、自分には関係のないことだろ。
そんなこと、知らないほうが幸せだろ。
それなのに何故、わざわざそれを知りたがる。知って受け止めたがる。
お前までそれをする必要はないのに、何故――。
「私がベリト様のことを知れば、貴女は私を受け入れられるようになります」
断言するようにフラウリアはそう言った。
私は思わず目を見開いた。そしてフラウリアを見る。
その言葉がフラウリアの口から出たことに、驚きを覚えずにはいられなかった。
そして、確信する。
こいつは、本当に私がどういう人間かを理解している。
無意識ではなく、確かなものとして認識している。
私がフラウリアという人間を視たことである程度の思考が読めるようになったように、フラウリアも私が考えそうなことを分かっている。
私には――フラウリアを受け入れる資格がないと。
たとえ拒絶する理由がなくとも、心がそれを許していても、フラウリアのように全てを曝け出してない私が、こいつを受け入れる資格があるわけがないと思っていることに……気づかれている。
「このような烏滸がましいことを、本当は口に出すべきではないのは分かっています。でも」
フラウリアは握っていた手を持ち上げると、両手で挟むように包んだ。
「それでも私はベリト様に受け入れてもらいたい、触れてもらいたいと思うのです。能力のことなど気にせず、こうして触れ合いたいのです。そして私が感じている温もりを、こうして貴女に触れることで得られるものを、少しでも貴女にも知って――感じてほしい」
濃い緑色の瞳を細めて、フラウリアが微笑む。
包まれた手からは人の体温と、感情が流れ込んでくる。
記憶になるほどの強い、想いが視える。
そこには受けた恩を返すという気持ちは一切ない。
ただひたすらに、私が記憶を引き受けたように、私の痛みや苦しみを受け止めたいと――分かち合いたいと思っている。
それはフラウリアの純粋な欲求でもあり、私のことを想ってのことでもある。
そうすれば私はフラウリアを受け入れることができるから。
子供のころに課せられた――自らも課せ続けていた、人に触れてはいけないという枷を、私を心から受け入れてくれるこいつにだけは、外すことができるから。
そしてその上で人が触れ合うことで得られるものを、私にも知ってほしいと考えている。
フラウリアが私に触れることにより、喜びや安らぎを――幸せを感じているように、私にも普通の人のように誰かからそれを得られるようになってほしいと願っている。
さらには出来ることならば、私にそれを与えられる人間が自分であればいいなと……謙虚に思って、くれている。




