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少女と白の心  作者: 連星れん
後編
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大陸暦1977年――04 夕方


 目を覚ますと、すでに外は暗くなり始めていた。

 いつもなら明るい内には目を覚ましているのだが、今日は寝たのがいつもより遅かった分、起きるのも少しばかり遅くなってしまったらしい。

 ソファから起き上がり、乱れた髪を結びなおしてから体をほぐす。姿勢も動かせないソファで寝ると、流石に身体のどこかしらが凝り固まっている。それでもベッドで仮眠を取らないのは、寝過ぎないためだ。眠りが浅いのでまずそんなことにはならないとは思うのだが、万が一ということもある。

 そうするのは私が起きてすぐ、食事が摂れない体質だからだった。起きたてに胃に何かを入れてしまうと気分が悪くなる。それなら寝過ごしたときだけ食事を後ろ倒しにすればいいのだが、それだとデボラの帰宅が遅くなってしまう。あいつは住み込みではないし、住み込みでも構わないと言ってきたのを断ったのも私だ。あいつに限って夜遅く帰らせたら危ないとか一ミリも思ってはいないが、自分の所為で帰宅を遅らせるのは流石に気が引ける。

 そこまで気を使うぐらいならいっそ、デボラに起こすように頼めばいい話なのだが、それにはどうも抵抗感がある。

 デボラを信頼していないわけではない。気持ちの問題だ。

 睡眠時の無防備な姿を他人に見せるのが嫌なのだ。

 なので寝ているときも含め、私が部屋にいるときは勝手に中に入るなとデボラには言い付けてある。それについては守っているというのに、何故、気配を消すのだけはめられないんだろうか……。


 私はため息をついて、部屋の壁に目を向けた。

 壁の向こう、隣の部屋には気配が一つ視える。

 フラウリアは自室に戻っているようだ。

 この時間まで尋ねてこなかったところからすると、デボラから私の生活習慣を聞いたのだろう。あいつは余計なことばかり喋るが、そういう気は利く。

 壁掛け時計に目を向ける。現在の時刻は十七時過ぎだ。

 夕食はだいたい十八時前後なので、まだ少し時間がある。

 フラウリアの様子でも見に行くか――。

 そう思い立ち、私は自室を出ると、隣の扉を叩いた。

 はい、と中から声がしたのちに扉が開く。顔を見せたフラウリアが笑顔を浮かべた。


「ベリト様。起きられたのですか」

「あぁ。入っていいか」


 そう口にして不思議な気持ちになった。誰かにこういう許可を貰うのは初めてだ。


「ベリト様のお家ですよ」フラウリアがくすりと笑う。

「ここはもうお前の部屋だろう」

「まだ実感はないですが」


 どうぞ、と中に招き入れられる。

 私は室内に入ると、軽く部屋を見渡した。ベッドに置かれていた荷物がないのと、机に星書せいしょや本が置かれている以外は、仮眠前に見たときと何ら変わりはない。私物が少ない所為か、まだフラウリアの部屋だという感じはしない。

 それでも私はどこに身を置くか迷った。

 たとえまだここがフラウリアの色に染まっていなくとも、ここはもうこいつの領域なのだ。我が物顔で好きなところに座るのは何だか気兼ねしてしまう。

 普通ならこういう場合、部屋の主が椅子かソファを勧めてくれるものなのだが、待っていてもフラウリアがそれをしてくることはないだろう。先ほど実感がないと言っていた通り、こいつ自身もまだここが自分の部屋だという認識がないのだ。だから自分で座る場所を決めなければ、いつまでも立ち往生することになる。

 私は逡巡した挙句、本棚近くの椅子に座ることにした。フラウリアは机前の椅子をこちらに向けて座る。


「何してた」

「本を読んでいました。あ、お借りしてます」


 フラウリアが机の上に置いていた分厚い本を手に持って見せてきた。その表紙には見覚えがある。この部屋の本棚に収められていた本だ。


「そこにあるのは古いだろ」


 この部屋にある本は、大抵が五百年以上前の代物になる。それを私が知っているのは全て読んだからだ。


「はい。凄い年代物ですね。ベリト様が集められたのですか?」

「いや。前の家主のものらしい」

「そうなのですか。様々な分野の本があるところを見ると、きっと本がお好きなかただったのでしょうね」

「まぁ、でないとこんな古いものばかり集めないだろうな」


 しかも古書はこの部屋だけではない。どの部屋にも置かれているし、書庫にも山ほど所蔵されている。お陰でここに住み始めたころは退屈せずに済んだものだ。


「書庫は案内してもらったか?」

「はい」

「最近の本が読みたい場合は、書庫に少しと私の自室と仕事部屋にある。家中の本は好き勝手に読んでくれて構わないが、仕事部屋の本を持って行く場合は一言、言ってくれ」

「分かりました。ありがとうございます」


 微笑んでフラウリアが頷く。

 そして、そこで会話が途切れた。

 椅子に座って向かい合った状態のまま、部屋に沈黙が流れる。

 耳には階下から届く微かに生活音と、開いた窓から入り込んでいるのだろう小鳥の鳴き声だけが聞こえてくる。


 ……何だか、気まずい。


 こいつと二人でいることにはもう慣れたはずなのに、今は何故か気持ちが落ち着かない。それはフラウリアも同じなのか、視線が落とされた目はいつもより瞬きが早くなっている。

 私はそれを少し顔を背けたまま、ちらちら、とうかがうように見てしまう。

 見ながら、何だこの状況は、と思った。


 何だこの状況は。


 初対面の口下手同士でもあるまいし……いや、私は口下手と言えるがフラウリアはそうではない。こいつは私と違って思ったことや感じたことを素直に口にするし、私が何も話さないときには進んで話題だって振ってくる。だというのに、今はこいつまでもが私と似たような反応をしている。

 だからこうなるのも当然だった。

 私はこの気まずい空気に耐えながら、どうするべきかと考える。

 話題を、何か話を振るか。

 だが、そう思ったところで都合よく適当な話題が浮かんでくるわけもなく。

 そもそも話題というものは、わざわざひねり出すものなのだろうか。

 話すことがなければ、無理に話す必要はないのではないか。

 それ以前に、話すことがないのなら退室すればいいのでは――。

 ――そうだ。その通りだ。

 ただ様子を見に来ただけなのだから、部屋を出ればいい。

 そう結論を出したとき、息を吸う音が耳に届いた。


「ベリト様」

「なんだ」


 呼ばれて私は反射的に返事をしていた。

 それから自然と大きく息を吸い込む。どうやら沈黙の気まずさからか、無意識に呼吸が浅くなっていたらしい。何度か深い呼吸を繰り返す。

 フラウリアは私の返事が早かったことに驚いたのか、目を見開いてこちらを見ていた。だが、やがて表情を和らげると、笑みを漏らした。


「いえ、何でもないです」


 そう言ったフラウリアはどこか楽しそうだった。

 ……用がないのに呼ぶなんて。


「変な奴だな」


 そう口にすると、フラウリアは「そうですね」とまた楽しそうに笑った。

 それで場の空気が緩和されたのか、フラウリアは卒院式の話をし始めた。

 式の流れに始まり、祝福の言葉と正式な修道服を授けられたこと。式が終わったあとにささやかな祝賀会が開かれたこと。先生たちと卒院生で写真を撮ったこと。その写真が出来上がるのをとても楽しみにしていること。

 それらを楽しげに話すフラウリアに、私は時折、相づちを打ちながら聞いていた。

 その話が終わったころ、機を見計らったかのように部屋の扉が叩かれた。

 フラウリアが少し驚いたように扉を見る。


「ご夕食の準備が整いました」


 デボラだ。相変わらず気配を消してやがる。

 それはいつものことにしても、こう二人でいるときにそれをされると、何だか盗み聞きをされているような気持ちになる。デボラは前職が諜報員だったのもあり、余計にそう感じてしまうのかもしれない。まぁ、流石にそんなことをする奴ではないだろうし、する意味もないだろうが……。だとしても一応はもう少しキツく言っておくかと思った。せめて呼びに来る前に気配を消すのを止めろと。……いや、別にフラウリアと聞かれて困るような話をするつもりはないが。

 フラウリアが「はい」と返事をして椅子から立ち上がると、こちらを見た。


「行きましょう。ベリト様」

「あぁ」


 私も立ち上がり、フラウリアに続いて部屋を出た。



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