大陸暦1976年――04 取引2
「それはフラウリアには使えないな」
フラウリアは突発的に現れた高素養者だ。
しかも細かい数値だけを見ればユイよりも素養は高い。だから必ず、あいつも同じことを言われるようになる。
その場合、孤児であるフラウリアはユイのような文句を使うことはできないし、たとえ使えたとしてもあいつの性格からして人の善意を――裏にある思惑に気づいていたとしても――無下にあしらうことはできない。だからきっと悩まされることになるだろう。
……いや、そうとも言い切れないかもしれない。
幼くして天涯孤独になったフラウリアは、家族というものに憧れを抱いている。
本人はあまり自覚がないだろうが――もしくは意識的に気づかない振りをしているのだろう――あいつの中には確かにそういう気持ちがある。そんなあいつなら、もしかしたら受け入れる可能性もあるかもしれない。
それが、あいつの選んだ幸せだというのなら別にいい。
だが、断れきれずにということだけはあってほしくはない。
そうならないためにも、ユイにはフラウリアのことで上に釘を刺しといてもらわなければ――そう思いユイを見たら、彼女は愁うように眉を寄せていた。
その顔だけで途端に理解した。
「悪い。考えれば分かることだった」
思慮に欠ける発言だったと、流石に反省する。
治療魔法というものは素養や魔法のランク、そして魔道士自体の腕も関わってくるが、基本的には肉体を再生することができるものだ。
しかし、治療が遅れれば遅れるほど体は治療魔法に反応しなくなり、たとえ肉体が再生されても機能までの回復が難しくなる。
例えば指を切断した場合、高位治療魔法でなら指は完全に再生できるが、治療が遅れた場合は神経などが戻らず元通り動かすことができなくなる。そして更に遅れた場合――もしくは中位から下位治療魔法の場合――は傷口を塞ぐだけで指自体が再生しない。
それは臓器でも同じだ。損傷が大きく時間が経っていれば、たとえ高位治療魔法でも機能は元には戻らない。
そこでふいに記憶が呼び起こされそうになり、私は思わず眉を寄せた。
「ベリト、大丈夫ですか?」
ユイが気づかわしげな目を向けてくる。
私は小さく何度か頷くと、大げさにならない程度に深呼吸をした。
……流石にそちらに気を向けるとあいつの記憶に襲われそうになる。気をつけないと。
「それをあいつは知っているのか」
「目が覚めて心身が落ち着いたころに伝えました。特に衝撃を受けたようには見えませんでした」
「そうか」
まぁ、あいつの性格なら命が残せないことよりも、命があったことに感謝をするだろう。
「全ては視ていないのですね」
フラウリアの記憶を、という意味だ。
「昔、セルナにも言ったことがあるが人の記憶というものは膨大なんだ。何度か触れたぐらいで全てが視えるわけじゃない。特に人が本能的に晒すべきではないと感じている記憶は心の奥底にあるから普通は視えないし、視るつもりもない」
そうは言ってもフラウリアに関しては、心が開かれたあの時に全ての記憶を視てしまっている。だが、目を覚ましてからは故意に視ようとしたことはない。
「人の心は一層ではないと」
「あぁ、よくたとえでも言うだろ。心の壁とか。そういうものがあるんだ」
「そんなもの、神はどうやってお作りになったのでしょうか」
「さあな。というかお前、神、信じてるんだな」
「仮にも修道女にかける言葉ではないと思いますが」
「いや、解剖も普通に見せてくれって言ってきたし」
私は今でも定期的に犯罪者の遺体を解剖している。
それは壁近にいたころのように意味なく――自分の欲求のためだけにやっているわけではない。人体にも個体差というものがあり、その記録を取るためだ。
そして解剖する時は星教会にある聖域――と星教は呼んでいる――場所を借りるのだが、まれに見学者が来ることがある。それが死検士やその見習いであることもあれば、面倒な手続きを踏んで許可を取った治療士の場合もある。
だが、星教の癒し手は一度も来たことがない。そう、ユイ以外は。
「勉強になりますので。実際、よい経験になったと実感しています」
「教えに従順な奴はそう思っても実行しようとは思わないんだよ」
たとえ認可されていたとしても、星教の教えでは星還葬を遅らせる行為は冒涜だ。
その行為を自ら進んで見たがるような癒し手がいるとしたら、教義に従順でない奴か、もしくは神を信じていない奴だけだ。
「なるほど。それは盲点でした」
ユイは小さく笑みを漏した。
「正直、言いますと、教義に関しては私も多々、思うところがあります。ですが、だからといって神の存在までもを疑ったことはありませんよ」
「教義自体は人が作り出したものだから神とは関係ない、という意味か」
「その通りです」
それは私の考えに近い。そしてセルナの考えにも。
まぁ、でないと解剖なんかしていた私や、不良見習い修道女であったセルナなんかと付き合えはしないか。
ユイは手に持っていたティーセットを応接机に置くと言った。
「それでベリト。フラウリアのことで相談したいことがあるのですが」
相談?
「なんだ」
「彼女の配属先についてです」
そうか。もうそういうのを決める時期にもなるのか。
「上層部はフラウリアを中央教会へ配属させるようにと言ってきているのですが」
貴重な高位治療士なのだからそう考えるのは当然だろう。
「反対なのか?」
「そういうわけではありません。中央区は星堂騎士団と城下守備隊による警備も厳重ですし、星都で最も犯罪発生率が低い場所です。それだけでなく、私が上に掛け合えば専属の護衛を付けることも可能でしょう」
フラウリアの身の安全を守るには最も適しているとユイは言っている。
それでも相談してきたということは何か問題があるということだろう。まぁ、この場合に考えられる問題は一つしかないが。
「あいつが嫌がってるんだな」
「その通りです。フラウリアは修道院の近くがいいと、控えめですが希望しています。この辺りも治安は悪くありませんが、しかし壁際に近いこともあって一歩外れてしまうと危険ではあります。それは貴女もご存じだと思いますが」
「あぁ」
「それで貴女の意見を伺いたいと思いまして。どう思われますか?」
「どうって」
「迷っているのです。見習いの希望は極力、聞き入れてはいるのですが、フラウリアの場合は以前、貴女が話していた体質のこともありますし、どうするべきかと」
あぁ、それでか――私は納得する。
基本的に人間は正反対のものに惹かれる性質がある。
そして、そこに抱く感情は様々だ。
憧れを感じることもあれば、自分に無いものを疎ましく感じることもある。
どちらの感情でも理性がある人間ならば問題ないが、理性など構いもしない奴らだと、反対の性質に攻撃的になってしまう。
フラウリアの場合もそうだ。
あいつはその白すぎる心――根源色により、根源色が黒または黒に近い奴らを惹きつけてしまう気質がある。
去年、残党共がまたフラウリアを狙ったのも、その影響によるものが強い。
根源色が黒であったあいつらは、知らずうちに魅入られていたのだ。フラウリアの穢れのない白さに。
そして穢そうとした。自分の色に染めようと。
そんなフラウリアが孤児時代に何度も危険な目に合っても生き残れたのは、あいつを庇護していた奴がいたからだ。
裏社会の人間だったそいつは、フラウリアを気に入りながらも囲うようなことはしなかった。あいつの奇異性を見いだし、白く保たせることに意義を感じているような変わり者だった。
それでも助けられた際には対価を支払わされていたが、相手の立場から考えるとそれはかなり良心的な内容であったと言える。だとしてもあいつは今でもそれを『後悔はしていなくとも生きるためにしてきた良くないこと』だと思っている。
ともかくにも、これから先、また同じことが起こらないとは限らない。
流石にもう一人で無茶をすることは無いとは思うが、それでもいつ何時、事件に巻き込まれるか分からない。
そうならないためには、どうするのが最善なのかは分かりきっている。




