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少女と白の心  作者: 連星れん
後編

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83/203

大陸暦1975年――03 言葉で伝える意味


 修道院から戻った私は風呂に入り直すと、そのまま寝床へと入った。

 そしていつの間にか眠りに落ち、次に目を覚ました時には朝になっていた。

 そのことに私は少なからず驚いた。

 寝落ちしていたことに対してではない。朝まで寝ていたことに対してだ。

 昔から眠りが浅い私は、長く眠れたとしても三時間が限度だった。

 だからそれを踏まえて普段からも昼過ぎに仮眠を取り、そして日が昇り始めた朝方に睡眠を取るという生活をしていた。これならば夜に動くことが多いセルナの治療士として待機している時間にも大きく穴が空くことはないし、何より夜型の自分にはそれが丁度いい。それでもあいつが休暇の時には夜に寝ることもあるにはあるが、その時には必ず夜中に目を覚ましていた。

 それなのに今日は朝まで寝入っていた。

 こんなことは、いつ振りか分からないぐらいに久しぶりだった。


 私はベッドから降りると、何の躊躇もなく閉めきっていた部屋のカーテンを開けた。

 天気は快晴だった。上空には薄雲一つない青空が広がり、そして、その下には一面の銀世界が広がっている。明け方まで雪が振り続けたのか、路上には足首の上ぐらいにまで雪が積もっている。

 朝食時に読んだ朝刊によれば、星都せいとでここまで雪が積もったのは九年振りだった。それで、そういえばいつぞやも大雪が降ったなと思い出した。

 あの時は闇治療士に休むとだけ伝えて一日中、部屋に閉じこもっていた。雪が溶けるまでもずっと憂鬱な気分で過ごしていた。

 しかし、今朝の私はしばらく窓から外を眺めていた。

 これまでは雪景色を見るどころか、雪が降っているだけでも気分が滅入っていたのに、今日は何も感じなかった。

 思えば雪を見たくなかったのは故郷を思い出して嫌だったからなのではなく、父が来なかったあの日のことを思い出すからだったのかもしれない。

 そして会いに行きたくても行けない、という気持ちと雪が降る状況が結びついて心身的な枷となり、それが原因で外に出たくない――出られなかったのかもしれない。

 それでも昨日、私はあいつに会いに行った。

 自らの意思で雪の日に外に出た。

 もしかしたらそのお陰なのだろうか。雪を見ても気持ちが落ち込まないのは。

 自分から踏み出したことで心的外傷――心の傷が和らいだのだろうか。

 心理学は専門外なのでこういう考えかたが正しいのかどうかは分からないが……。

 そこでふと、そういえば、と思い出す。

 そういえばこちらに移り住んだ頃に一度、セルナに心理士にかかるよう勧められたことがあったなと。

 あの時は誰が精神病者だと突っぱねたが、今思えばあいつの見立ては間違ってなかったのかもしれない。

 そう思うと、何とも慚愧ざんきえない気持ちになった。

 自分だけは何十年も自覚がなく、あいつには――おそらくユイにも――そのように見られていたなんて。


 そうして雪とは全く関係のないことで気分を落ち込ませながらその日を過ごし、そのまま何事もないまま週の終わり、治療学の授業日を迎えた。


 今日までセルナとユイは一度も顔を見せなかった。

 セルナは仕事が立て込んでいたら一週間でも二週間でも来ないことはざらなのでともかくとして、仕事の用事がなくても何かと顔を出してくるユイまで来ないのは予想外だった。

 最近あいつが持ってくることが多い五年生以外の課題にしても、今週は他の修道女が届けてきた。

 だからフラウリアがちゃんと快復したのか、今日本当に来るのかも分からない。

 課題を届けにきた修道女にでも訊けば分かったのかもしれないが、大して知らない奴に訊ねられるほど私は社交的ではない。

 それなら修道院に出向いて直接ユイにでも本人にでも確認すればよかったのだろうが、私がそれぐらい活動的な性格ならば初めから何も苦労はしていない。

 そういうわけでフラウリアのことは気になりつつも、週末まで待つしかなかった。

 その所為で今週はあまり仕事が手に付かなかった。まぁ、セルナに依頼されている解剖記録は急ぎではないし、修道院の課題も毎週、作っているわけではないので別にいいのだが。


 私は換気のために開けていた窓を閉めようと、ソファから立ち上がる。

 週初めに積もった雪はすっかり溶け、窓の外はいつもの風景に戻っていた。空気も幾分か暖かくなっている。

 窓を閉めてから再びソファに身を沈めると、そばの本を手に取った。そしてそれを開くが、正直、本を読みたい気分でもない。

 それでも何もしないで待っていると、まるで来訪を待ち望んでいるみたいで、そう見られてしまうのは誰が相手でも嫌だった。

 そうしてしばらくかたちばかりの読書をしていると、外に気配を感じた。

 思わずソファの背もたれから起き上がり、外に意識を向ける。

 その気配を確認し、私は息を吐いた。と同時に自然と口端が上がっていたことに気づき、そんな自分に驚きながらも慌てて表情を引き締める。

 それから急いでソファの背にもたれかかり足を組んで本を開いた直後、リンリン、と扉上の鈴が鳴った。


「おはようございます。ベリト様」


 何気ない様子で出入口に視線を向ける。

 そこにはいつも通りの顔色に戻ったフラウリアが立っていた。


「あぁ。治ったのか」


 そうでもなければ来ないだろ、と内心、自分に突っ込みを入れる。


「はい。ご心配おかけしました。お見舞いにも来てくださって嬉しかったです」


 フラウリアは言葉通り嬉しそうに微笑んだ。


「――そうか」


 一瞬、口籠もりながらも、私はいつも通りそう答えた。答えてから病から快復した人間に向けるには素っ気ない返しだ、と思った。

 それでもフラウリアは「はい。そうです」とまた嬉しそうに笑った。

 それを見て先日、見舞いの理由を答えた時のように喉が詰まるのを感じながらも、私は言った。


「今日は課題からだ。解いたら呼べ」

「はい」


 フラウリアは明快に返事をすると、私に課題を手渡してから執務机の椅子に座った。そのまま羽ペンにインクをつけ、課題を解き始める。

 その様子を手元の本に顔を向けたまま視線を上げて見ていると、ふいにユイの言葉が脳裏をよぎった。


『貴女はもう少し思ったことを口に出す努力をされたほうがいいですよ』


 余計なお世話だ、と思いながらも耳は痛かった。

 今だって本当は言いたいことがあったのだ。

 あんな素っ気ない返事ではなく、他にもかけたい言葉が。

 それは今だけに限ったことではない。

 これまでも何度かこういうことはあったのだ。

 それなのに私は一度だって自分の気持ちを素直に口に出せたことがない。

 いつだって、どうしても口が悪くなってしまう。

 だけど、それでもこいつは喜んでくれる。

 どんな言いかたをしたって、私の言葉を喜んでくれる。

 先日、見舞いに行った理由を言ったときのように、今のように、素直に表情で言葉で返してくれる。


『私やルナはそれなりに長い付き合いですので貴女の言わんとするところが分かりますが、あの子までそうとは限りませんから』


 ユイが続けて言った言葉に、それは違う、と思った。

 それは違う。

 フラウリアはユイが思っている以上に私のことを理解している。

 誰よりも早く、私がどんな人間かを見抜いている。

 私が言いたいことも、明確ではなくても察している。

 それこそ、心に触れてしまった影響なのかもしれない。

 私があいつの心に触れたことでフラウリアという人間を理解したように、あいつも無意識に自分のことを知ってしまったのかもしれない。

 もしかしたら心に触れるということは、干渉するということは、相手にも己の心に触れさせてしまう行為なのかもしれない。

 どちらにせよ、何が原因でも、フラウリアは私のことが分かっている。

 だからはっきりと口に出さなくても、大体のことは伝わっている。


 ……だが、それでいいのかとも思う。


 こいつには言わなくても分かるからなんて、相手任せな考えかたで。

 本来、人と人との関係とはそういうものではないだろう。

 伝えたいことがあるのなら言葉にするのが普通だろう。

 それぐらい、それをしてこなかった私にだって分かる。

 その必要性をよく理解していない私にだって――。

 それに人の――フラウリアの心を視たことで分かった、分かってもらえた気になるなんて、それはこの力に頼っているのと同じではないか。

 星教せいきょうが祝福と呼んでいる――私にとっては疎ましく、呪いとさえ思っているこの力に――。

 そう考えると、私は何だか腹が立ってきた。


「……おい」

「はい?」フラウリアが机から顔を上げる。


 冗談じゃない。

 こんな力に頼るなんて。

 だから言ってやろうと思った。

 思ったことを口に出してやろうと。

 しかし、そう思ったところで言葉が出てこない。

 言いたいことは決まっているのに、喉まで出かかっているのに、そこで引っかかって素直に出てきてくれない。その所為で口を開いては閉じを繰り返してしまう。

 何故、私はこうも言いたいことがすんなり口に出せないんだ。

 もしかして子供の頃、勝手に喋るなとしつけられた所為だろうか。

 これも心的外傷のようなものなのだろうか。

 だが、それは昔の話だ。

 今はもう私を縛り付けるものは無い。とっくの昔に無いのだ。

 何を言ったって、思ったことを口にしたところで、私を咎めるものは誰もいない。

 フラウリアは不思議そうにこちらを見ているが、それでも微笑んで私の言葉を待っている。

 そのことに気恥ずかしさを感じながらも、私は意を決してそれを口にした。


「元、気になって、よかった」


 押し出してやっと出てきた言葉は、自分でも分かるぐらいにぎこちない声だった。だから余計に恥ずかしくなり、逃げるように顔を逸らしてしまう。

 耳には、パチパチ、と暖炉の薪が火ではじける音だけが入り込んでくる。

 羞恥と緊張からか、その音はやけに大きく聞こえる。

 顔を逸らしたままその音を聞き続けていると、ふと違和感を覚えた。

 フラウリアが何も言ってこない、と。

 普段なら私が何かを言って、ここまであいつが黙っていることはない。

 もしかして、ぎこちないどころか言葉にすらなっていなかったのだろうか。

 もしくは私がらしくないことを言ってしまったので、呆然としているのだろうか。

 不安になってきた私は、逸らした顔のままフラウリアの様子をうかがった。

 あいつは先ほどと変わらずこちらを見ていた。

 だが、その目は瞳が零れ落ちるのではないかというぐらいに見開かれている。

 その表情が初めて見るもので、私はつい普通にフラウリアを見てしまう。

 引き寄せられるように目が合う。


 するとフラウリアは見開いていた目を緩ませて――笑った。


 警戒心の欠片もない、これでもかと無防備な顔で。

 これまでとは比較にならないぐらいに、嬉しそうな顔で。

 それを見て、唐突に理解した。

 人がわざわざ口に出してまで考えを表わす理由を。

 態度や文字だけでなく、直接、想いを言葉にして伝える意味を――。

 身体の奥から何かが込み上げてくる。

 温かなそれは全身へと広がっていく。

 慣れないその感覚に、私は、居心地の悪さを感じた。

 ……だが、不思議と、嫌な感じはしなかった。



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