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少女と白の心  作者: 連星れん
後編

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大陸暦1975年――03 見舞い2


「――別に」


 私は不可解な自分の行動から目を背けるようにフラウリアから視線を外すと。


「暇だったから様子を見に来てやっただけだ」


 自分が口にしても違和感のない、もっともらしい言葉で返した。

 ……分かっている。たとえ自分自身の行動が理解できなくとも、私がこいつに会いに来たことには間違いない。それは、認める。

 しかし、だからといってお前に会いに来たなんて、見舞いのためだけにここに来たなんて、言えるわけがない。そんなことを言う私は、自分でもらしくないと思う。

 だとしても、もう少し言い様があっただろうとは思った。相手は病人なのだから、いつもの冷たい口調――流石に自覚はある――ではなく、柔らかい物言いをしてやれば、努めればよかったと。

 

「ありがとうございます」


 それでもフラウリアは微笑んだ。

 こんな優しさの欠片のない言葉でも嬉しそうに。

 そのことに何故か喉が詰まるのを感じながら、手に持っていたタオルをタライの氷水にひたす。


「気分はどうだ」タオルを絞りながら訊く。

「大分楽になりました。明日は大丈夫です」

「馬鹿を言うな。まだ熱も――」


 フラウリアの額に左手を伸ばそうとして、ふいに脳裏に声がよぎった。


 ――人に触れてはならぬ。


 びくっ、と反射的に手が止まる。

 急激に心拍数が上がり、胸が苦しくなる。


 ……私は今、何をしようとした。


 無意識に、人に触れようとした……?


 ――駄目だ。それは駄目だ。人に触れるのは許されていない。


 いや、違う。あの頃とは違う。もう私は誰かに行動を縛られているわけじゃない。

 それでもだ。それでも、やはり駄目だ。意味なく人に触れるのは。

 治療するという目的があるのならまだしも、ただ体温を確かめるためだけに人に触れてはいけない。

 私なんかが生身の人間に触れたいだなんて思ってはいけない――。


 こめかみから冷たい汗が流れた。

 気づけば空中で静止した手が小刻みに震えている。

 それをフラウリアが上目使いで見ている。


 ――変に思われている。


 私は焦って震える手を引っ込めようとした。だが、その前にその手を上から掴まれる。

 フラウリアだった。

 フラウリアは掴んだ私の手を、そのまま自身の額に乗せた。


「ベリト様の手、冷たくて気持ちいいですね」


 目を閉じて、まるで何事もなかったかのようにそう言うと、心地よさそうに微笑んだ。手のひらからは高めの体温と、記憶と感情が流れ込んでくる。……私はそれに気づかない振りをして言った。


「それはまだ熱があるからだ。ほらもう寝ろ」


 額から左手を離し、右手に持っていたタオルをそこに乗せる。


「……ベリト様」


 フラウリアはまだ私の手を掴んでいた。無理に振り払うこともできず、そのまま答える。


「なんだ」

「寝るまで、手を握っててもいいですか……?」


 掴まれた手からは、我儘を言っている自覚と、そして不安が伝わってきた。

 熱で気持ちが弱くなっているのだろうか。もしくは目が覚めるまで良くない夢を見ていたのかもしれない。だから眠ることに不安を感じている――そんな感じの色に視える。

 そんな人間の手を振り払えるほどの度胸は私には、ない。

 それにこれはフラウリアが望んでいることだ。私から言い出したことではない。だから……許されるはずだ。


「あぁ」


 頷くと、フラウリアは安心するように微笑んだ。

 気づけば掴まれたその手の震えは、いつの間にか止まっていた。





 静かな室内に小さな寝息だけが聞こえる。

 その音を聞きながら、私は先ほどからずっとベットの端を見ていた。

 そこには、手のひらを上にして置かれた自分の手を、上から被せるように握っているフラウリアの手がある。

 控えめに、それでもしっかりと握られたその手を私も……握り返している。

 フラウリアはもうとっくに寝付いていた。それは手から伝わる意識で分かる。

 寝るまでという約束だから、もう手は離してもいい。

 だが、先ほどからそうしようと頭では思っていても、手が意思に逆らうように動こうとしない。


 人に触れたくないはずなのに。

 人に触れてはいけないのに。

 何故、私はこんなことを思ってしまっているのだろうか。

 この手を離したくないと、思ってしまっているのだろうか。


 よく見たら傷だらけの、それでも温かなこの小さな手を、どうして私は――。


 戸惑いを感じながらも、それでも手を離せないでいると、背後から扉の開く音が聞こえた。

 気配で誰か分かった私は肩越しに振り返る。

 ユイだ。彼女は扉を閉めると何も言わず、じっ、とこちらを見た。


「……なんだよ」


 思わずそう口にすると、ユイは真顔で返してきた。


「貴女の真似です」


 それで昼間ユイが言っていた言葉を思い出す。


『無言で迎えられると反応に困ります』


 ……こいつはセルナに比べたら落ち着いているし、年齢以上に老成してはいるのだが、稀にこういうことをしてくることがある。セルナが言うには、これは貴重なユイなりのお茶目らしいが、それならもう少しそれが分かるような、そういう表情をしてほしいものだと思う。……まぁ、表情に関しては人のことを言えた義理ではないが。


「起きましたか?」


 ユイは仕返しができて満足したのか、いつもの調子で訊いてきた。


「一度。タオルはけなおした」

「ありがとうございます」


 こちらに近づいたユイの視線が私の顔から下へと落ちる。何気なしにその視線をたどって、急激に首の後ろが熱くなった。

 ユイは私とフラウリアの繋がれた手を見ていた。

 何故か私は彼女が来た時点で、このことを失念していた。


「これは……!」


 説明しようと思わず声を上げてしまった私を制すように、ユイが自身の口に人差し指を当てた。私は、はっ、としてフラウリアを見る。……大丈夫。起きていない。


「これは、こいつが」声をひそめる。

「分かっていますよ」


 ユイは言葉通り、何でも分かったような微笑みを浮かべた。何だか癇に障る顔だ。


「……セルナには言うなよ」


 そう口止めするも、答えは分かりきっていた。


「お約束はできません」


 ……だろうな、と私はため息をついた。

 セルナが喜びそうなことをこいつが話さないわけがない。しかも悪気があってではなく、良かれと思ってそれをするから余計にたちが悪い。こいつは常識人ではあるのだが、たまに人と感覚がズレているところがある。まぁ、その原因はこいつの記憶を視たことがあるので何となく分かるのだが。

 ……今さらだが、私に近寄ってくる人間はまともな幼少期を過ごした奴がいないなと思った。類が友を呼ぶとはまさにこういうことを言うのだろうか。

 それにしてもフラウリアが寝付いた時点で去っていればこんなことにはならなかったというのに。それなのに、まだ私は後悔するどころか手を離すことに名残惜しさを感じている。……今日の私は本当に、どうしてしまったんだろうか。

 だが、ユイに見られている状況下でこれを続けられるほどの気概は流石にない。

 私はフラウリアを起こさないようにそっと握られた手を剥がすと立ち上がった。


「帰る」

「お気を付けて」


 後日、セルナに弄られることを想像して憂鬱になりながら、扉の取っ手に手をかけると。


「ベリト」


 と呼び止められた。肩越しに振り返る。


「気にかけてくれて、ありがとう」


 ユイはいつもより言葉を崩してそう言うと、微笑みを深めた。

 私はどう答えていいか分からず、何も言わないまま部屋を後にした。



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