大陸暦1975年――03 雪降る夜の影1
浴場から外に出たアルバは、ぶるり、と体を震わせた。
普段は火照った体に心地良く感じる夜の空気も、今日は刺すように冷たい。その原因を確認するように、アルバは通路から外に目を向けた。闇夜からは真っ白な雪が次々と落ちてきている。
初雪だ。昼前に降りだした雪は今は大分、本降りとなっている。この調子で降り続ければ明日には結構、積もっているかもしれない。
星都で積もるぐらいに雪が降るのは年に一度、あるかないかぐらいに珍しいことだった。しかも今日の雪は、天気予報でも予測されていない。それでも雪が降りそうな兆候は昨日からあった。昨夜から急激に気温が下がったのだ。
その寒暖差の所為か、もしくは新しい生活で疲れが溜まっていたのか、今朝、同室のフラウリアが熱を出してしまった。
院長のユイを呼んで診てもらったところ、結果は熱風邪だった。
暖かくして寝ていれば熱も下がるだろうとのことだったが、それを言われた時のフラウリアは、熱で真っ赤になった顔で力なく微笑みながらも浮かない顔をしていた。
その理由をアルバは分かっていた。
今日は治療学の授業がある日だ。
それはつまり、フラウリアがベリトの元へと行く日ということになる。
フラウリアは週に二回のその日を凄く楽しみにしていた。本人がそう言っていたわけではないが、それは見ていれば分かる。彼女は本当に顔に出やすいのだ。
不思議なのは、フラウリアが最初からそうであったことだ。
今思えばロネの代わりに課題を届けに行ったあの日から、彼女はベリトを慕っていたような、いや、それどころか心までも開いていたかのように感じる。初対面のはずなのに、まるで以前から知っていたかのような……。もちろんフラウリアの反応からするとそんなことは無いはずなのだが、それも確実とは言えない。
彼女は記憶を失っている。十歳でホルスト修道院に入ってからここ、ルコラ修道院に移ってくるまでの約五年間の記憶がないのだ。だから本人が忘れてしまっているだけで、前の修道院にいたときにベリトと関わり合いがあった可能性もある。もしくは怪我を負ってここに来るまでの間に、何かしらの接点があったのか。
それを裏付けられるかもしれない要素は幾つかあるのだが――と、そこまで考えてアルバは思考を止めた。
いくら考えたところでそれは勝手な憶測だ。答えが出るわけでもない。それでも心当たりの人物に訊けば事実が分かるかもしれないが、元よりアルバはそれをするつもりはない。
興味がないわけではない。フラウリアに自身のことを大して話してもいないのに、彼女の立ち入ったことを人に聞くのは何だか気が引けるからだ。ただでさえ以前、人から彼女の秘密を聞き出してしまったことがあるというのに……。
そのこともあり、これ以上は本人の知らないところで詮索をするような真似はしたくはなかった。
それに興味があるといっても、どうしても知りたいわけでもない。
以前に二人がどのような繋がりがあろうとも、どのような理由で今のような関係になったとしても、フラウリアがベリトと関わることを楽しく感じているのなら、それでいい。
そこでアルバは思わず苦笑した。
いったい誰目線なのかと、自分で思ったことが可笑しくなったのだ。
これではまるで親とまでは言わなくとも、妹を気づかう姉みたいだ。明らかに出会って半年そこらの人間に対して思うことではない。いや、付き合いが長い友人相手でも、ここまで思うことはそうないだろう。
それでも、それをアルバは不思議とは感じなかった。
そう思ってしまう理由が分かっていたからだ。
フラウリアがここに来てからというもの、アルバは常に彼女の側にいた。
だから知っている。ここに来たばかりの弱りきった痛々しい姿の彼女のことも、精神的に不安定だった彼女のことも。今ではもう想像がつかないくらいに笑顔がなかった彼女のことも、よく不安で夜中に目が覚めて子供のように泣いていた彼女のことも。
フラウリアのことはユイと一緒に看病してきたが、それでも、この半年で誰よりも側にいて、誰よりも彼女を見てきたのは、同室で世話役である自分だった。
だからこそ思ってしまうのだろう。
もう元気のないフラウリアは見たくはないと。
フラウリアには笑っていてほしいと。
あの全身に刻まれた傷跡の意味を知っているから尚更に――……。
――それにしても。
それにしても最近、ベリトのことで楽しそうにしているフラウリアを見ていると、どうも自分と重なることがある。もしかしたら彼女がベリトに抱いている感情は、自分がユイに抱いているものと近いのかもしれない。
もちろんそれは自分が勝手にそう感じているだけで、確実にそうだとは言い切れないが……。それでも、もしそうなのだとしたら応援してやりたいと思う。たとえ相手があのベリトとはいえ、それでもフラウリアにはまだ可能性が残っているだろうから。
そんなことを思いながらゆったりと歩いていたらまた体が震えた。このままでは湯冷めしてしまうとアルバは足を速める。
その途中、中庭でロネとリリーの姿を見つけた。ロネは空から落ちてくる雪を掴もうとしていて、リリーはその様子を側で見守っている。
リリーはアルバの存在に気がつくと苦笑を浮かべた。ロネはこちらに気づいていない。彼女は今年初の雪で気分が高揚しているのか、夕食後からずっとこの調子だ。だからまだ風呂にも入っていない。もちろん付き合わされるリリーもだ。
あいつも大変だな――そう思いながら苦笑で返すと、二人の様子を眺めながら中庭を通り過ぎて階段で二階へと上がった。それから通路に出て自室へと足を向ける。
と、その時だった。
……あれ?
ここでは見慣れない人影が目に入った。
髪だけでなく身に付けているものまで何もかも黒い、まさに影と表現するに相応しいその人は、アルバの自室の前に立っていた。いや、立ち尽くしていると言ったほうが正しいかもしれない。
その人影は遅れてこちらの存在に気づくと、アルバを見てから眉を寄せた。




