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少女と白の心  作者: 連星れん
後編

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大陸暦1975年――03 冬


 暦は一年で最後の月、光の月に入った。

 季節は冬期の真っ只中。仕事部屋の暖炉にも先週から火を入れ、室内には薪がはじける、パチパチ、とした音が鳴っている。

 毎年、この季節になると暖炉近くの本やら書類などを移動させなければならないのだが、今年はその必要がなかった。部屋が数年ぶりに片付いたからだ。

 先月、フラウリアにも掃除を手伝ってもらい、仕事部屋は見違えるように綺麗になった。今この部屋で乱雑しているのは作業机ぐらいだ。これは仕事で使うものなので許容範囲だろう。

 掃除が完了した際、フラウリアは何とも満足そうな顔をしていた。どうやらあいつは掃除が好きらしい。まぁ、あいつの生まれた壁区へきくはお世辞にも綺麗な場所ではないし――壁近へきちかよりも――孤児だと掃除なんてする機会もなかっただろうから、その反動みたいなものがあるのかもしれない。


 暖炉近くのソファで本を読んでいた私はふと、視線を上げて壁掛け時計を見た。

 時刻は午前九時前。

 もうこんな時間か、とソファから立ち上がって窓辺に向かう。

 開け放たれた窓辺に近づくと、そこから入り込んだ空気が肌を撫でてきた。刺すような冷気に少し鳥肌が立つ。雪国生まれで寒さに耐性があるといっても、流石に真冬で寒くないわけがない。窓を開けているのは暑いからではなく換気のためだ。

 それでも暖炉の近くにいれば窓を開けていても気にならないのだが、もうすぐフラウリアが来る。寒い中やって来るのだから、部屋を暖めておいてやったほうがいいだろう。

 外に身を乗り出して、開け放たれている左右の窓枠に手をかける。と、その際、視界の隅に空が入り込んだ。

 見上げれば空は一面、灰色に覆われている。


 ……嫌な色だ。肌に刺すような冷気といい、今日は降るかもしれない。


 そのことに憂鬱な気分になりながら窓を閉めると、執務椅子に座った。

 フラウリアが帰ったらカーテンを閉めよう――そう思い、執務机上の紙を手に取る。

 これは今日、フラウリアにやらせる課題だ。内容は見習い修道女の五年生に合わせて作っている。そろそろあいつの魔法学の勉強も五年生の終わりが見えてきた。つまりは同学年と同じ所まで勉強が追いついたということになる。


 正直、この半年でそこまで追いつくとは思いもしなかった。


 修道院の自由時間も勉強に割いてはいるようだが、それでも一年二年は基礎的な内容が多いとはいえ、五年分を半年で覚えるなど普通は出来ることではない。

 世の中には異常なまでの記憶力を持った人間が存在してはいるが――たとえば竜王国の王立図書館にいる瞬間記憶能力という異能を生まれ持った司書長のように――フラウリアはその部類ではない。記憶力や理解力は人並み以上にあるとは思うが、それでも特別というほどのものではない。それは、あいつの全てを視ているから知っている。

 それなのに初めて教えたことでも、フラウリアはすぐに理解を表わすことが多かった。

 暗記にしてもそうだ。常用語とは全く異なる言語であり、暗記するのに苦労する魔法の発現に必要な古代言語スピラナス――紋語の羅列も、あいつは一度で難なく覚えきった。一字一句、間違えることなく暗唱した。まるで初めから全てを知っていたかのように。

 確かにフラウリアは以前いた修道院で、教師であったユイから魔法学の全てを学んでいる。そう、言葉通りまさに全てをだ。一対一の授業であったことと、勉強熱心であったフラウリアに、ユイはすでに治療士として一人前と言えるまでの知識を授けていた。


 けれども、その勉強した記憶は全て私が引き受けてしまった。


 もちろんできることなら残してやりたかった。だが、できなかったのだ。

 フラウリアの近年の記憶は心を壊した原因――あの出来事の記憶によって穢されていた。

 それなら原因の記憶さえ取ってしまえばいいように思うかもしれないが、実際はそう簡単にはいかない。


 それは例えるなら卵だ。


 卵に一箇所、衝撃を与えるとする。するとそこを中心として殻に亀裂が入る。

 衝撃が強いほど亀裂の範囲は広がるし、何度も同じ箇所に衝撃を与えると当然これも広がる。そうなってしまうと衝撃の箇所を取り除いたところで、殻に入ってしまった亀裂が自然と直るわけではない。衝撃が与えられたこと自体を無かったことにするには、亀裂が入っている場所ごと取り除かなければならない。

 そういうことがフラウリアの中でも起こっていた。

 衝撃は原因の記憶であり、亀裂は穢された他の記憶だ。

 そして、あいつの場合は受けた衝撃があまりにも、強すぎた。

 亀裂が広がりすぎたのだ。


 だから五年だった。それが必要最低限だった。


 あいつを目覚めさせるためには、心を救うには原因の記憶と共に、穢された五年分の記憶を奪うしかなかった。


 そうしてフラウリアは勉強した記憶を失ったわけだが、それでも、と思う。

 そういう知識は記憶以外にも残っている場所が――あるいは心に残っているのではないかと。

 あいつがまるで知っていたかのように理解を表わすのは、そのためではないかと。

 ……とまぁ、そんなことを推測したところで、それが正解だと分かる人間はいない。

 たとえ記憶を、感情を、心を視ることができる力を持っていても、人の心の仕組みを全て理解しているわけではない。そして全てを理解できることも一生ないだろう。それこそ分かる奴がいるとしたら、お隠れになった創造神ぐらいか。

 ともかくにもそういうことで、来年からは修道院で授業を受けられるようになるだろうとフラウリアには言ったのだが、それを聞いた時のあいつは嬉しそうな困ったような、なんとも複雑な顔をしていた。

 心情を想像するに、回りに追いつけたことは嬉しいが、他の連中と一緒に授業を受けることに不安を感じている、といったところだろうか。あいつは適応力が高いし、人見知りもしないので、そんな心配をすることはないと思うのだが……。

 そこで外に人の気配を感じた。

 来たか、と思ってすぐに違和感を覚えた。フラウリアの気配ではない。


 これは――それが誰だか気づいて、私は思わず眉を寄せた。



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