大陸暦1975年――02 切っ掛け
「これもいらないか」
独りごちながら開いていた本を閉じると、床に積み重なっている本の上に置いた。それからまた違う本を手に取り開く。
ここ数日、私は仕事部屋の掃除を進めていた。
それは別にイルセルナが埃まみれだとフラウリアの体に悪い、と言っていたからではない。……それも少しぐらい理由に無くもないが、それよりも片付け途中になっていた部屋の様子が気になったのだ。
セルナの話が終わったあともフラウリアは掃除、というよりはまず本と書類などをまとめたりと整頓を続けていた。だが、フラウリアが滞在できる数時間で本と紙だらけのこの部屋を片付けられるわけもなく、続きは次回に持ち越しとなった。
そのことに私は何も言わなかった。もう解剖のことは知られてしまったのだから、抵抗しても今さらだ。というか止めたところでフラウリアが素直に聞くとは思わない。あいつは責任感が強いというか、変に頑固な所がある。始めたからには絶対、最後までやり遂げようとするだろう。
それならばもう、好きにさせたほうがいいと思った。
手伝うにしてもフラウリアが来た時にしようと。
そう思い、片付け途中の状態のままここで過ごしていたのだが、一日も経たないうちに違和感を覚えた。今まで定位置にあった物が移動してしまっているからか、もしくは中途半端に散らかっているからなのかは分からないが、ともかくにも景色が見慣れない。
そのことに段々と気持ちが落ち着かなくなってしまった私は、仕方なく一人、掃除を進めることにしたのだった。
そしてするならば要らないものを捨てるか奥に片付けようと、必要な本とそうでない本を分別していたのだが、見てみると存外にいらない本が多い。有益の本を次から次へと買い足しているので、情報の古い本が結構、埋もれている。
そのことに随分とずぼらになったものだと、自分でも呆れた。
この部屋だけを見られれば、私が掃除嫌いだの面倒くさがりやだと思われてしまうだろうが、事実は決してそうではない。自分で言うのもなんだが、私はどちらかというと綺麗好きなほうだ。この家で散らかっていたり埃まみれなのはこの仕事部屋ぐらいだし――他は使用人が掃除しているのもあるが――綺麗なほうが気分も落ち着くに決まっている。
しかし、長いこと壁近に住んでいたのもあって、雑然とした雰囲気にも慣れていた。あそこは中心街と違って整然とした清潔感に溢れた場所ではない。街並みから何から何まで乱雑として薄汚れている。
この部屋はその時の名残みたいなものなのだろうと思う。
片付けをしなかったのも、散らかった部屋に郷愁というものを覚えていたからなのかもしれない。故郷を差し置いて壁近にそれを感じるとは何とも皮肉な話だ。
そんなことを思いながら、本の仕分けを続けていると、フラウリアがやって来た。
「おはようございます。ベリト様」
部屋に入って、いつもの挨拶を口にする。
私もいつも通り「あぁ」と答える。
フラウリアは部屋の入口で室内を見渡すと言った。
「掃除、されていたのですか」
「あぁ」
「お手伝いします」
「いい。お前は気にせず勉強してろ」
「ですが」
フラウリアは口ごもりながら困ったように眉を下げている。自分が始めたことなのに、私の手を煩わせて申し訳なく思っているのだろう。人様の部屋のことだというのに真面目な奴だ。
もうここまできたら後は自分だけで掃除をするつもりだったのだが、この様子ではそう言ったところで納得してくれそうにない。
「今はまだ捨てるものを仕分けてる。それが済んだら……まぁ、手伝ってくれてもいい」
だから私はそう言った。
……分かっている。自覚ぐらいはある。手伝ってもらう側の言いかたではないと。だが仕方がない。自分はこういう言いかたしかできないのだから。
フラウリアは一瞬、目を大きく開いたが最後には微笑んで頷いた。
「分かりました。終わったら教えてください」
そう言うと、手に持っていた教本やら課題を執務机に置いて、作業机の前にいる私の元までやって来た。
「ベリト様。勉強の前に伺いたいことが」
その顔は微笑んでいたが、目は真剣だった。
この展開は以前と似ている。
私が何故、触れられるのが嫌なのか訊かれた時と。
だから自ずと、何を訊かれるのか想像できた。
「なんだ」
「どうして、解剖をなさろうと思ったのですか」
やはりなと思う。
先日、フラウリアが解剖の話を聞いて、それを受け入れきれていないことには気づいていた。解剖対象を憐れむばかりに、私がそれを行なうことを良く思っていないことも。
それは当然だ。フラウリアのような理由は珍しいにしても、大抵の人間は解剖と聞いたら良い印象を抱かない。中には嫌悪感を抱くものもいるだろう。それが普通の人間の感覚というものだろうし、元よりはなから万人に受け入れられる行為だとは思っていない。
それでも私は一向に構わなかった。
これは人に認められたいがために始めたことではない。人に受け入れられるためにしていることではない。それでも国から許可を貰ったのは、セルナがそうしろと煩かったからだ。治療士の全体的な向上のために解剖を学問にしようとしているのも、あいつともう一人の協力者が考えたことだ。私が言い出したことではない。
だからそれが成功しようとも頓挫しようとも正直、興味はなかった。
一生、解剖という行為が認められなくとも、フラウリアが受け入れてくれなくとも、それで構わなかった。
だが、こいつはそうは思わない。
私のすることを理解したいと、受け入れたいと、真面目に考えてしまう。
だから訊いてきたのだ。そして、それが魔法の治療の精度を上げるため、という先日のような答えを望んでいないことも分かっている。
切っ掛けだ。
フラウリアが聞きたいのは、私がそこに行き着いた切っ掛けが知りたいのだ。
「――昔、治療士の助手をしていたことがある」
私は迷うことなく、自然とそれを話し始めていた。
不思議と私の頭の中には、話さないという選択肢はなかった。
フラウリアは驚いているようだった。人に触れたくない私が治療士をしていたとは思いもしなかったのだろう。だが、こいつは知らない。いや、もしかしたら一般的にもあまり知られていないのかもしれない。補助と治療魔法は一度、触れて対象の体内にある粒子を活性化させなければいけないという制約があるが、それは魔法を使う本人でなくともいいことを。
実際、私が魔法を使うときは、師である闇治療士が対象に触れていた。
「ここに来る前のこと、壁近での話だ。それに治療士といっても届けを出していない闇治療士だがな。まぁ、お前もそういうのがいることぐらいは知っているだろう」
壁区にも闇治療士はいただろうから。
フラウリアは小さく頷く。