大陸暦1975年――13 私の光2
「ほら、噂をすれば」
ルナ様が修道院の建物へと振り返る。その視線の先に目を向けると、修道院の通路を歩いているベリト様の姿があった。
「ご足労頂きありがとうございます」
中庭まで入ってきたベリト様に、ユイ先生が小さく頭を下げる。
彼女はそれを目で受け止めると、こちらに顔を向けた。
「ったく、昨日の今日でまた壁近ってお前も懲りないな」
吐き捨てるように、いや、もしくは呆れるようにだろうか、ベリト様は言った。
そのいつもの調子に私は何だか嬉しくなって、つい頬が緩みそうになる。
でも、昨日の今日であんまり締まりのない顔をするのはよくないなと思い、控えめな微笑みに留めた。
「この間、治療した女の子の経過が気になるのです。ですからユイ先生にご相談を」
ユイ先生にお願いしていたのはこのことだった。
最初はユイ先生にも『安静の意味を知っていますか』と半眼で言われてしまったけれど、最後には激しく動き回らないのを条件に許してくださった。
「まぁ、あの辺りの小悪党は一掃したし、護衛付きならってね」ルナ様が言った。
そう、そしてその護衛にユイ先生はベリト様を呼んでくださったのだ。
「でもフラウリア」ルナ様はひとさし指を立てる。「今後は何があっても一人では絶対に行っては駄目よ。助けを求められても必ずユイに相談をすること」
「はい。約束いたします」
私が頷き答えると。
「この間もそう言っていたのですけれどね」
と、すかさずユイ先生の鋭い指摘が入った。その言葉が今の私にはあまりにも効き過ぎて、思わず胸を押さえてしまいそうになる。
「あらら、これは当分、根に持つわよ」ルナ様が笑う。
「自業自得だな」ベリト様も容赦ない。
「……本当に反省しています」
今度ばかりは反省しているけれど後悔はない、だなんて言うつもりはない。
何もかも心の底から反省している。
これまで私は誰かが困っていたら、たとえそれが危険だと分かりつつも出来る限り助けようとしてきた。自分のことを二の次にして行動してきた。
そしてそれでもし命を落としたとしても、仕方のないことだと受け入れられるところがあった。
だって、私には何もなかったから。
両親も友人も、私が死んで悲しむ人も、誰もいなかったから。
でも、今はそうではない。
今の私には、自分のために行動してくれる人がいる。
こんな自分勝手な私のために、心配してくれたり怒ってくれる人がいる。
だからもう私は自分を蔑ろになんてできない。
死んでも仕方がないだなんて思うことはできない。
この命は、そんな優しい人達のお陰であるものだから。
今やこの命は、私だけのものではないのだから。
今も人を助けたいと思う気持ちに変わりはないけれど、それでも今後は自分だけの力で解決しようとはせず、言われた通り相談しようと思う。
昔の様に相談したって何も変わらない、助けを求めたって誰も助けてはくれない、だなんて思う必要はもうない。
今の私には話を聞いてくれる人がいる。助けてくれる人がいる。
頼れる人が近くにいるのだから――。
私は反省の気持ちから身を縮めて俯いていた。すると耳に息を吐く音が聞こえた。私は窺い見るように視線を上げる。そこには淡い苦笑を浮かべているユイ先生が見えた。
「今度こそは本当に約束ですからね」
そう言った先生の声音はいつもの柔らかなものだった。私はそれに安堵してつい頬を緩めてしまう。そんな私にユイ先生はきっちりと釘を刺してきた。
「三度目はありませんよ」
「ぅ……はい」
緩んだ頬を引きつらせながら、私は粛々と頷いた。
そんな私を見てルナ様は笑うと、ベリト様を見た。
「というわけで宜しく。護衛さん」
そして片目をつぶる。
ベリト様は眉を寄せてそれに応えると、背を向けた。
「行くぞ」
「はい」
私はルナ様とユイ先生に礼をしてから、すたすたと歩いて行くベリト様の後を追う。
だけど、その途中でふと思い出し踵を返した。
「どうしたの?」
戻ってくる私にルナ様が首を傾げる。
「お伝えし忘れていたことが」
私はお二人の前に立つと、まずはルナ様を見た。
「ルナ様。私を見つけ出してくださったこと、そして私のことを考え救おうとしてくださったことを感謝しています」
次にユイ先生を見る。
「ユイ先生。私が今こうして元の生活に戻れたのは、心身が快復するまで親身に看病して下さったアルバさんやユイ先生のお陰です」
そして私はお二人を見る。
「お二人とベリト様、そして色んな方々のおかげで今の私があると思っております」
口にして本当にそうだと思った。
いなくなった私をただの失踪としてかたづけず捜索依頼を出してくれた、おそらく前の修道院の人達。
私を探して助け出してくださったルナ様とお仲間。
怪我を治療してくださった治療士様。
私の心を救ってくださったベリト様。
心と体の快復の手助けをしてくださったアルバさんとユイ先生。
そしてお見舞いにきて元気をくださったロネさんや、親切にしてくださるリリーさん。
おそらく誰一人が欠けても、私は今ここにいなかった。
沢山の想いが繋がったからこそ、今私は元気にここにいる。
それはもう奇跡みたいなものだった。
奇跡は神様が起こすものだけれど、でも、私は思う。
人にだって奇跡は起こせるのだと。
多くの人の想いが繋がれば、それは奇跡にもなり得るのだと。
「本当にありがとうございました」
感謝の気持ちを込めて、私は深く頭を下げた。
それを、お二人は微笑んで受け止めてくれた。
「それでは行って参ります!」
私は笑顔で踵を返した。
激しく動き回ってはいけないと言われているので、それを守りながら早歩きで中庭を後にする。
ベリト様は中庭に面した修道院の通路で待っていてくださった。
「お待たせしました」
「あぁ」
私が来たのを確認してから、ベリト様が歩き出す。私も彼女の隣に並ぶ。
裏門から修道院を出て、商店街へと続く大通りに向かう。
ベリト様は修道院を出る前も、出てからもずっと黙っていた。
それは彼女だけではなく、私も同じだ。別に話したいことがなかったわけではない。むしろ言いたいことや訊きたいことは沢山ある。それでも今は不思議とこうしていたい気分だった。
私達はそのまま大通りへと入る。今日の大通りは普段、ベリト様のお宅に行く時よりも人通りが少なかった。朝というには遅く、お昼というには早すぎるからだろう。
これなら人にぶつかる心配もないので、ベリト様も気を張る必要はない。
そのことを安心しながら、私は少ない人の流れを見ながら歩く。
相変わらず私達の間には沈黙が流れている。
長いこと沈黙が続くと、普通は気持ちが落ち着かないものだ。家族や何十年来の友人とかならともかく、長い付き合いではない人と一緒にいたら何か話したほうがいいだろうか、話題を振ったほうがいいだろうか、という気持ちになってしまうのが普通だと思う。
でも、今は全くそんなことはなかった。
これが自然な状態なのだと思えるぐらいに心は穏やかでいる。
おそらく、ううん、きっとベリト様もそう思ってくれているはずだ。
だって今日、彼女から感じる雰囲気は今までで一番柔らかなものに感じるから。
そうしてしばらく私達は何も言葉を交わすことなく歩いていたけれど、ふと私は何気なしに横にいるベリト様を見上げた。
彼女の頭の奥には丁度、午前の太陽が輝いている。
だから私はそれが眩しくて目を細めた。
「あ」
「なんだ」
思わず声を上げてしまった私をベリト様が見る。
「いえ。何だか、以前いつかどこかで、こうしてベリト様と歩いた気がして」
自分でも変なことを言っている自覚はあった。
ベリト様と一緒に並んで歩いたのは夜市の時しかない。
でも、夜市のことではないし、それにあの時にはこんな感覚には襲われなかった。
ベリト様は前に向き直る。彼女のことだから不可解そうに『意味が分からん』とでも言うのだろうなあと私が温かく思ってると、意外にも彼女は「そうか」とただ一言だけ呟いた。
そして、それから空を見上げた。何だかそんなベリト様が珍しく感じたので、私も空を見上げる彼女を見上げる。太陽が眩しいけれど我慢して見続ける。
やがてベリト様は空から視線を下ろすと、こちらに顔を向けた。
「お前がそう思うのなら、そうなんだろう」
逆光を背にするベリト様の顔は――笑っていた。
それはどこかぎこちなくて、本当にわずかなものだけれど、確かに微笑んでいた。
それを見て目の奥が熱くなる。
胸に――心にじんわりと温かいものが広がる。
……あぁ、そうか。
私の心は覚えていたのだ。
たとえ記憶がなくても、心だけは覚えていてくれたのだ。
私を救ってくれた彼女のことを。
そしてずっと、私に訴えていたのだ。
彼女こそが。
私の、光なのだと――。




