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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1975年――13 私の光1


 空が、青かった。

 視界には、朝方まで雨が降り続けていたのが嘘かのような薄雲一つない青空が広がっている。

 そんな青だけを湛える空を、私は中庭のベンチに座って眺めていた。

 耳に届くのは噴水が奏でる心地良い水音と、わずかな生活音のみ。いつもは人のざわめきと、多くの気配が感じられる修道院も今日は静かだ。

 それは今日、修道院には見習い全員がいないからだった。

 彼女達は朝から修道女様に連れられて、中央教会の見学と礼拝に参加している。これは以前から決まっていたことで、私も星都せいとで一番大きい中央教会を間近で見られるのを楽しみにしていた。

 けれども私は昨日、負った怪我のこともありお留守番となってしまった。

 そのことはとても残念ではあったけれど、こうなってしまったのはまさに自分の所為なので何も申し分ない。

 それならばせめて勉強でもしようと思ったら、今日はなるべく頭を使うことはせず安静にしているようにとユイ先生に言われてしまった。もちろん本を読むのも、掃除など体を動かすことも駄目だ。

 そうなると、私にはもう何もすることがなかった。

 本当は大人しく寝て過ごすのが一番なのだろうけれど、そこまで安静にするほど体調は悪くない。治療の時に体力を使ったのだろう、ほんの少しだけ倦怠感があるぐらいだ。

 それで寝ているわけにもいかず、起きててもなにもできず、何をするか迷った挙句、行き着いてしまったのが空を見上げることだった。


 ぼんやりと空を見上げるのは、残った記憶を遡れば壁区へきくにいたとき以来だ。

 あの頃はよく、こうして空を見ていることが多かった。

 それはただ単にやることがなかったからなのだけれど、その行為自体は嫌いではなかったように思う。だけど、壁区へきくから見える空は何だか窮屈で、そして今のように晴れ渡っていてもこんなにも青く感じることはなかった。

 そのように感じられるようになったのはきっと、心の変化の賜なのだと思う。

 心に余裕ができたからこそ、本当の空が見えるようになったのだと。

 そう考えると、たまにはこうしてのんびりと空を眺めるのも悪くないなと思った。

 でも、そう思えたのも小一時間ぐらいだった。

 これが自由時間とかならまだしも、今日は私以外の見習い全員が社会見学をしている。それは修道女としての学びの一環であり、決して遊びに行っているわけではない。そんな中で自分だけが何もせずにいる状況には流石に申し訳なさを感じてしまう。私も何かしなければという気持ちになってしまう。

 だから、先ほどここに残っているユイ先生に一つお願いをしてきた。今はその返事待ちをしている。


「フラウリア」


 そうしていると、名前を呼ばれた。

 私はベンチから立ち上がりながら、声がした方向へと顔を向ける。


「ユイ先生」


 中庭の出入口には、こちらに歩いてくるユイ先生の姿が見えた。そのすぐ後ろにはルナ様の姿もある。


「ルナ様、おはようございます」

「おはよう、フラウリア。もう頭は大丈夫?」

「はい。お二人にはご迷惑をおかけしました」


 私は頭を下げる。

 昨日、私はベリト様を抱きしめたまま、いつの間にか意識を失っていた。

 それから意識が戻ったのは半日後、すっかり夜が更けた深夜前のことだった。

 修道院の個室で目覚めた私は、側に付いてくださっていたユイ先生にここに至るまでのことを教えてもらった。

 ルナ様がお仲間と駆けつけてくださってあの場を制圧したこと。

 そして、最悪を想定してユイ先生を呼んでいてくださっていたことを。

 その判断は正しかったとユイ先生は言った。私の頭の損傷は深く、少し危険な状態だったらしいから。そしてベリト様も、とても魔法を使える精神状態ではなかったらしいから。

 それからユイ先生には静かに叱られた。……叱られて、そのあときつく抱きしめてくれた。

 それだけで自分の浅慮な行動が、先生にどれだけの心配をかけてしまったのか伝わってきた。


「うん。無事で良かったわ」


 ルナ様は目を細めて微笑んだ。

 心から安堵してくれているのが分かる優しい微笑み――私はその顔に見覚えがあった。

 初めてルナ様とお会いした時、一緒に図書館を出たときのことだ。

 体調について聞かれ元気だと答えたら、彼女は今と同じ顔で微笑んだ。

 あの時は初対面の自分にどうしてそんな顔をしてくれるのか不思議だったけれど、今ならそれも分かる。


「ルナ様には以前も助けていただいたんですよね」


 私の言葉に、ルナ様だけではなくユイ先生も驚いたようだった。


「どうしてそう思うの?」


 うかがうような探るような口調でルナ様が訊いてくる。


「彼等がそのようなことを言っていましたから」

「他にも?」


 聞いてしまったのか、とでも言うように、ルナ様は困ったような微笑みを浮かべた。

 彼等が言っていたことは断片だ。詳細な内容ではない。

 でも、それだけでも、もう分かる。

 前回も似たようなことがあったことも、私が彼等に何をされたのかも。

 私が頷くと、ルナ様は「そう」とかすかに痛ましい顔を見せた。けれどすぐにその顔を微笑みに変える。


「私たちは貴女を探し出しただけ。本当に貴女を救ったのはベリトよ」

「記憶を、引き受けてですか」


 ルナ様は目を見開いた。


「ベリトが話したの?」


 私は頭を振る。


「いえ。でも、そうなのではないかと」

「そう」ルナ様は苦笑する。「そこまで気づいたのならもう、隠す必要もないわね」


 そこでルナ様は一呼吸すると、話を続けた。


「ベリトの能力が、人の記憶と感情を視ることは聞いたのよね」

「はい」

「それは言わば副産物なの。彼女の本当の能力はね、人の根源色こんげんしょくを見ること」

「根源、色?」

「そう。根源。その人を成り立たせるもの、それこそ心とか魂とでも言うのかしら。そういうのを色で視ることができるらしいわ。そして、その能力の副産物が感情と記憶を視ることと」


 そして、とルナ様は言った。


「人の心を壊し、人の記憶を引き受けること」


 ……やはり、間違いではなかった。

 ベリト様は本当に記憶を引き受けることが出来るのだ。


「その中でも心を壊す力は、人を死に至らしめることができる。でも彼女が言うには、壊し方によっては苦しませずに人を死なせることもできるらしいの。だから、私はベリトにお願いしたの」


 ルナ様は一度、目を伏せてから、私を見据えた。


「貴女を、安らかに死なせてあげて欲しいって」


 それはまるで、罪を告白するかのような口調だった。


「私には、貴女を救うことができなかったから」


 ルナ様の言葉が意味することは何となく分かった。

 目覚めた時、私の体は治っていた。

 衰弱はしていたけれど、体の機能自体に問題はなかった。

 それでもルナ様があのように言うのは、体以外に問題があったからだろう。

 体でないのなら、それは心なのだと思う。

 やはり私は心が壊れていたのだ。

 だから目を覚まさなかった。

 もしくは目を覚ましても廃人のようになっていたのかもしれない。

 心のない人形のように。


「でも、ベリトは貴女を救うことを選んだ。彼女が二度と使わないとまで言っていた力を使ってまで」


 そうして私は目覚めることができた。

 その原因をベリト様が引き受けてくださったから。

 身の知らずの自分のために、あの人は……。


「でも、そのせいでベリト様は」


 私の苦しみを背負うことになってしまった。

 心が壊れてしまうぐらいの記憶を――。


「だから、貴女は笑っていなきゃ」


 ルナ様が明るく言った。


「え」意外な言葉に、私は伏せていた目を上げる。

「過去を振り返らず前だけを向いて、そして幸せになるの。そうすればきっとベリトが貴女の記憶に苛まれることはない」


 過去を振り返らない――。

 ――そうか。

 今までもそうだった。

 ベリト様が体調を崩したのは決まって、私が無くした記憶に意識を向けた時、無くした過去を振り返った時だった。

 それは彼女の中に、その記憶があるからだ。

 彼女は私の代わりに、私の記憶の感情を肩代わりしている。

 つまり、私が過去を顧みなければ、彼女もその記憶で苦しむことはない。

 ……でも。


「そんなことで、いいのですか」


 そんな簡単なことで。

 私がただ前を見て笑っているだけで、本当にベリト様は救われるのだろうか。


「えぇ。それだけでいいの」ルナ様が頷き言った。「だって笑っている貴女を見ているベリトは、私が今まで見たことがないくらいに優しい顔をしてるもの」


 その言葉に、目の奥が熱くなる。

 彼女が私にそんな顔をしてくれていたなんて知らなくて、でも、そうだと知れたのが嬉しくて。

 私はいつも一方的に貰ってばかりだと思っていたから。ベリト様に温かいものをいただいてばかりだと思っていたから。

 もし私が笑うことで、幸せになることで何かを――私が彼女に感じるような安らぎなどを与えられるのだとしたら。


「そうですね。新たなせいをくださったベリト様のためにも、私は幸せにならないといけないのですね」


 私の言葉にお二人は微笑んで頷いた。



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