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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1975年――12 触れる心2


 ベリト様は顔を歪ませて私を見ていた。その顔はどうしてか辛そうに見える。

 やがてそのまま強く瞼を閉じると、かすれ声で「お前が」と零した。


「お前が……そんなんだから」


 だけどそこまで言って、はっ、とするように瞼を開けると口元を結んだ。

 まるで失言したことに気づいたかのように。

 でも、もう遅かった。

 私は確信するように、やはり、と思った。

 やはりそうなのかと。

 彼女は人の記憶を視ることができる。

 そう、それはつまり――。


「ベリト様はご存じなのですね。以前も同じようなことがあったことを」


 彼女は目を見開いた。けれどすぐに何事もなかったかのように目を伏せる。でも、その反応はもう、肯定したのも同然だった。


「何を、言ってる」


 それでも彼女は否定する。ぎこちない声で知らない振りをする。

 これ以上、追及してほしくなさそうに俯いている。


「私は今まで、自分が大怪我をしたのは事故に合ったからだと思っていました。そう、ユイ先生に聞かされていました」


 だとしても、もうめることはできなかった。

 今日の出来事が失われた記憶に関係している以上、私は知りたかったから。知るべきだと思ったから。そうではないかという曖昧なものではなく、そういう事実があったのだと確かなものとして。

 そして、その上できちんと責任を感じるべきだと思った。

 記憶がなかったのだから、知らなかったのだからと逃げるのではなく、ことの経緯を知り確証を得ることによって、起こった事実を真正面から受け止めたかった。


「でも、それは違っていた。本当は彼等に捕まったから。そうですよね?」


 彼女は俯いたまま小さく「違う」と否定した。

 それでも私は続ける。もうそれが嘘だと分かっているから。


「この全身の傷痕も事故ではなく、彼等から受けたものなのですね」

「……違う」

「記憶を失うぐらいに」

「……違う」

「心が壊れるぐらいに、私は――」

「違う……!」


 ベリト様は一際、強く否定をすると自身の胸倉を掴んだ。


「…………お前は……事故に、あったんだ」


 絞り出してやっと出たかのような声と一緒に、雫が落ちるのが見えた。

 ……涙だった。

 彼女は……泣いていた。

 口元を震わせながら、彼女は涙を流している。

 そのことに驚きを感じながらも、ふいに私はあの日のことを思い出した。

 ベリト様の具合が悪くなった日のことを。

 それは、似ていたからだ。

 あの時の彼女と、今の彼女の姿が。

 それだけではない。

 私の行動も似ている。

 あの時も私は話をしたのだ。

 今日ほど明確なものではないけれど。

 失った記憶について触れるような発言をした。

 まさに今と同じように。

 ……やはり、ベリト様は知っているのだ。

 何もかも全て。

 でも、いつ。

 彼女はいつそれを知ったのだろう。

 ユイ先生から聞いたのだろうか。

 ……いや、私にさえ――私のために嘘をついてくれている先生が、無関係な人に無闇に話すとは思えない。

 それなら直接、私から記憶を視たのだろうか。

 記憶がない私から?

 もしかしたら私がその記憶を引き出せないだけで、私の中にはまだそれが残っているのかもしれないけれど。そしてそれを視られた可能性もあるけれど。

 それだと視られたのは、私が初めて彼女に触れた時のことになる。

 だけどそれは彼女が体調を悪くした後のことだ。

 もし、彼女がこうなることに私の記憶が関係しているのなら、ベリト様は初めから私を知っていたことになる。

 初めて彼女の元へ訪れた以前に、私達は会ったことがあることになる。

 でも、違う修道院にいた私がどうやって彼女に出会ったのだろう。

 私達を結ぶ接点。

 それがあるとしたら――……。


 ……ルナ様。そう、ルナ様だ。


 彼等の仲間を捕えたのはルナ様だ。

 以前、私を助け出してくれたのはおそらく彼女なのだ。

 ベリト様とご友人であるルナ様なら、私とベリト様を引き合わせることができる。

 だけど、いったい何のために?

 そして、どうして私にはその記憶がないのだろう。

 心を、壊したから……? 

 でも、そんなに都合よく記憶とは無くせるものなのだろうか。

 以前の修道院の記憶はともかく、彼等に捕まった時の記憶まで。

 私にとって、私の心にとって好ましくないとされるその記憶までもが綺麗さっぱり無くなってしまえるものなのだろうか……?


 そこで私は、はっ、とする。

 唐突にその考えに行き着く。


 ……まさか。

 そんなこと、あるわけがない。

 普通に考えたら、ありえない。

 でも、それしか考えられない。

 それで全てが、私の中では腑に落ちてしまう。

 そうか……。

 そうだったのですね。

 ベリト様は私の失った記憶を知っているだけではない。


 記憶を――持っているのだ。


 私の記憶そのものを彼女は持っている。


 人の記憶や感情を見ることができる彼女なら、記憶に作用することもできるのではないか。

 私が記憶を無くしたのと引き換えに、彼女はそれを引きうけたのではないか。

 そして彼等に対する怒りの根本も私の記憶にあり、体調を崩すのも私の記憶から生まれる感情の影響なのではないだろうか。

 彼女は私の代わりに、胸を痛め、涙を流しているのではないだろうか。


 静かな牢の中に、小さな嗚咽だけが聞こえる。

 ベリト様はまだ泣いている。

 胸を押さえて、身体を丸めて。

 まるで、幼子のように泣き続けている……。


 ……彼女のことを思うなら、私は記憶を取り戻したいと考えてはいけないのだろう。

 それを失ったことで私が心を取り戻したのなら、ベリト様がそれを引き受けてくださったことで今の私がいるのなら、そう思うこと自体が彼女の想いを無碍にすることになってしまうのだろうから。

 でも、その所為でベリト様が悲しんでいるのなら。

 私の記憶が他でもない、貴女を苦しめているのなら。

 私は、それが何よりも辛い。

 記憶を返せるものなら返してほしい。

 貴女を苦しめる記憶ならば――。

 ……でも、貴女はそれをよしとしないだろう。

 たとえそれができても、貴女はそれを許さないだろう。

 不器用で、何よりも優しい貴女なら――。

 ――……それならば。


「分かりました。貴女がそう仰るのならそうなのでしょう。だからもう、このことは何も申しません」


 私はそう口で伝えると、彼女に手を伸ばした。


 貴女は今、私が何を言っても否定するだろう。

 たとえそれが真実だとしても否定するだろう。

 そんな事実はなかったのだと。

 私にはそんな辛く悲しい記憶は無かったのだと、優しい貴女は否定し続けるだろう。

 だから私は貴女に感謝を述べることもできない。

 私の命を――心を救ってくれたことに対して、何も言うことができない。


 伸ばした手が彼女に触れる。その頬に触れる。

 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 潤んだ目が私を見ている。

 その目はどうしてか驚くように見開かれている。

 金色の瞳が輝き揺れている。

 私はそんな彼女に微笑んで頬に伝う涙を拭うと、そのまま抱きしめた。


 それならば私は貴女に触れることで伝えよう。

 口に出せないのなら、言葉にできないのなら、この心で伝えよう。

 この胸に溢れる想いを、貴女に――。


 ベリト様、ありがとうございます。


 私を助けてくれて――。


 私の代わりに、泣いて下さって――……。



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