大陸暦1975年――12 黒い声3
「相変わらずお優しいことで」
赤毛の男性はそう言って目の前にしゃがむと、私の顔を覗き込むように首を傾げた。
「あの時もそうだったな。お前は自分のことよりも他人の心配をしていた。しかもお前に勝手に惚れて憎んで嵌めた人間のことをだ。聞けば同じ孤児だったってだけで対して接点があったわけでもないらしいじゃないか。それなのにお前は自分を騙した人間を必死に諭そうとしていた。貴方はそんな人ではない、こんなことから足を洗うべきだ、自分のことはもういいから逃げてくれって」
くくくっ、と彼は愉快そうに笑う。
「その時に俺が何て言ったか覚えているか? あぁ、覚えてないのか。ならもう一度、言ってやるよ」
顔が持ち上げられるように掴まれる。
「他人の心配よりも、自分の心配をしたらどうだ?」
そう言った彼の顔には、先ほどまで浮かべていた笑みが抜け落ちたように無くなっていた。
「いいか? 俺たちはなぁ、あいつの口車に乗せられた所為で居場所を失っちまったんだ」
顔を掴む手に力が入る。
痛かった。でも、何も言えなかった。
彼の目がまるで物を見るかのように無機質で、それが怖くて、恐ろしくて、何も言えなかった。
「あそこはなぁ、これまで転々とした中では最高の環境だった。ボスにはたまにむかつくことはあったけどよ、それでもわりと好きにさせてくれてはいたし、それなりにでかい組織とあって玩具にも事足りていた。なのにそれをぜーんぶ、あの空っぽが壊しやがった。あぁ、言いたいことは分かるぜ。それはヘマったあいつが悪いって。あいつが足をつくようなマネをしなければよかっただけの話だって」
だとしてもだ、と赤毛の男性は言った。
「そんなこと知ったこっちゃねえ。その原因を作ったのはお前だ。前は俺等もお前も運が良かった。だが、今回ばかりはお前はそうはいかねえ」
赤毛の男性は私の太股に手を置くと身を乗り出してきた。顔がゆっくりと近づいてくる。私はそれから逃げるために身を引こうとするも身体が動かない。それは身体だけではなく視線もだった。赤毛の男性の捕食者のような目が、視線すらも逃げることを許してはくれない。
私は為す術も無くその目を見続ける。顔が目前まで迫ってくる。だけど寸前でその動きが止まった。
赤毛の男性は眉を寄せると、横に顔を向けた。視線が外されたことで、私も金縛りが解けたかのように身体に自由が戻る。
「なんだよ」
そう苛立つように言った赤毛の男性の肩には手が置かれていた。
見ると彼の真後ろには茶髪の男性が立っている。
私は一瞬、止めに入ってくれたのかと期待した。でも、すぐにそれは違うと茶髪の男性の目を見て分かった。
「友好の証だろ」茶髪の男性は手をのけながら言った。
「怖じ気づいてたんじゃなかったのかよ」
「大丈夫なんだろ」
「あぁ」
茶髪の男性がこちらを見た。その目には先ほどまで浮かんでいた戸惑いの色のようなものは全く見当たらない。だけど、その代わりに違うものが宿っている。
他の二人と同じ輝きが。
暗く鈍く、害意を宿した光が。
それで悟った。悟らざる得なかった。
もう、どうしようもないことを。
彼等の言葉から読み取るに、以前もこういうことがあったのだろう。
私は心が壊れるぐらいに、記憶を失うぐらいの仕打ちを彼等から受けた。
そんな私が生きているのは、おそらくルナ様が助けてくださったからだ。
そしてそのことにより彼等は仲間を失った。
それを彼等は怒っている。私を恨んでいる。
だから何があっても見逃されることはない。
私はここできっと……死ぬことになる。
それも、すぐにではない。……そのことは全身の傷痕が物語っている。
諦めの感情が全身を覆い、身体から力が抜けるのを感じた。
……ベリト様の言った通りだった。
彼女が私の失われた記憶について知っていたのかどうかは分からないけれど、どちらにしてもこうなることを心配していたのだ。私と彼等のような因縁がなくても、壁際は誰でも実際にこういうことが起こりえる場所だから。それは壁区に住んでいた私が誰よりもよく知っていたことなのに……それなのに私は身の危険よりも気持ちを優先してしまった。
これは、自分が招いたことなのだ。
ベリト様の忠告を聞かず、ユイ先生との約束も守らず。
その場の感情で動いてしまい、一人で壁近に来てしまった自分の所為だ。
そんな私がここで命を落とすのも自業自得だ。
でも、カイさんは違う。
彼は本当に関係ないのだ。
私に巻き込まれただけなのだ。
それなのに、このままでは彼まで……殺されてしまう。
私の所為で彼まで……。
……それでも私にはどうすることもできない。もうここから出ることもできない私には彼を守ることも、身代わりになってあげることもできない。
そんな私に今できることは、祈ることしかない。
いない神様に、それとも誰かに、彼を守ってくれるよう祈るしかできない――。
「それに、やっと分かった気がする」茶髪の男性が言った。
「何がだよ」金髪の男性が訊く。
「お前達がこいつにこだわった理由が」
「理由については話してただろ」
「そっちじゃない」
意味が分からないとでもいうように眉を寄せている金髪の男性を横目に赤毛の男性は声を立てて笑うと「こいつは自覚がないんだ」と立ち上がりながら言った。そして横に退くと茶髪の男性に目配せをするように見る。茶髪の男性は小さく頷いてから私の前に立つと、そこにしゃがんだ。
「見ていて分かった」茶髪の男性の手が足に触れてくる。「こいつには妙な魅力がある。俺達のような人間を惹きよせるような何かが」
その這うような手の動きに、不快感が込み上げてくる。私はそれに歯を食いしばって耐える。
「だろ? なんかさ、不思議と汚したくなるよな」
そして諦めるように目を瞑った時――。
「それはお前達が、救いようもない黒だからだ」
その声が――聞こえた。




