大陸暦1975年――12 黒い声2
「それにしても夜市で見かけた時は驚いたぜ。まさか生きてるなんて思っちゃいなかったからな。しかもこっちに移ってるなんて、いや、今回ばかりは流石に運命を感じちゃったね。これが神様の思し召しってやつかーてさ」
赤毛の男性は両手を前に組んで天を仰いだ。
そんな彼を金髪の男性が鼻で笑う。
「一度も祈ったこともない癖によく言う」
「いやしねぇ神なんて都合よく使ってなんぼだろ」
赤毛の男性は金髪の男性を見上げながら、けらけら、と笑うと、再びこちらに向いた。
「しっかしお前なあ、やっておいてなんだけどさ、似たような手にかかるやつがいるかよ」
似たような手……?
「教訓って言葉を知らねえのか? それとも何があっても人を救わなきゃいけないって神の教えでもあんのか?」
困惑して何も言えない私に、赤毛の男性は笑顔のまま片眉をつり上げた。
「おいおい、まさか俺等のこと覚えていないとは言わないよな?」
「人違いじゃねえのか?」
そう言ったのは、これまでずっと黙っていた茶髪の男性だった。
赤毛の男性は「はぁ? 間違いねえって」と言うと、にわかに修道着の裾をめくってきた。突然のことで身体が強張る。彼は私の太股の一際、大きな傷痕を撫でるように触ると、にやり、と笑みを浮かべた。
「だってこれ、俺達がつけたもん。なあ?」
「あぁ、間違いないね」金髪の男性が首肯する。
……私には彼等の言っていることが分からない。
いや、彼等の話していることは何もかもが分からない。理解ができない。
だって私にはそんな記憶はない。
彼等と会ったことも。
誰かに……彼等に傷をつけられた記憶も――。
……? 記憶が、ない……?
……まさか。
失われた記憶の中に、それがある……?
でも、私の全身の傷痕は事故によってついたもののはずだ。
その記憶はないけれど、ユイ先生がそう言っていたのだ。
それとも、それ自体が間違いなのだろうか。
だとしたらユイ先生が嘘をついていることになる。
私に嘘を。
いったい、どうして――……。
……そんなこと、決まっている。
隠すためだ。
事実を隠すためだ。
先生は私に真実を知ってほしくなくて、嘘をついたのだ。
本当は事故ではなかったのだ。
私の身体に刻まれた傷痕は、事故によるものではなく、彼等に――。
「まじで覚えてないのか」
そこで赤毛の男性は初めて笑顔を消して、怪訝そうな顔を浮かべた。
「嘘だろ。あれだけのことをしてやったのに、一つもか」
「あれだろ。記憶が飛んでるんだろ」
金髪の男性の言葉に、赤毛の男性は再び笑みを浮かべる。
「あぁ。確かに。終わり頃にはもう壊れてたもんな。だから同じ手にかかったのか。そりゃついてたな」
赤毛の男性は立ち上がると茶髪の男性を見た。そしてこちらに向けて手を差し伸べるような仕草をする。
「んじゃお先にどうぞ」
茶髪の男性は横目でこちらを見ると、すぐに赤毛の男性を見た。その目にはどことなく戸惑いのようなものが浮かんでいる気がする。
「遠慮するなよ。俺等の私用のために手下をぼこってまで貸してくれたんだ。俺等はあんたの望み通り仲間になってやるし、持ってる情報も全部やる。こいつは友好の証だ」
「……本当に大丈夫なのか」茶髪の男性は眉を寄せる。
「何がだ」金髪の男性が言った。
「だってお前等の隠れ家を取り締まったのは、あの空っぽ殿下の部隊だろ」
――失った記憶がいまここにある。
その事実に打ちのめされていた私は、聞き覚えのある単語にやっと思考を取り戻した。
空っぽ殿下――空っぽはマドリックの比喩だ。
だからそれはきっとルナ様のことだ。
ルナ様もこの件に関わっている……?
「流石に同じ人間が浚われたら動くんじゃないのか」
茶髪の男性の心配をあざ笑うかのように赤毛の男性は口端をつり上げた。
「おいおい、今さらそれを言うかあ?」
「こんなに特徴的なやつだとは思わなかったんだよ。白髪の見習い修道女なんてそうそういないだろ」
「心配すんなよ。動いたとしても辿り着けやしねぇって。前は下っ端がへまっただけだ」
「へまって」茶髪の男性が訊く。
「人通りの多い道を通りやがったんだよ。そりゃ目撃者がでちまうに決まってる。たくっ、とんだ馬鹿だったぜ。折角、暇つぶしに話を聞いて協力してやったのによ」
赤毛の男性が悪態をつくように言う。
「だから今回はお前の仲間に通り道を人払いしてもらったろ」
「あぁ」赤毛の男性の言葉に、茶髪の男性が頷く。
「ならあのガキが喋らない限りバレやしないさ」
それは、まさか――。
「そのガキが問題だろ。公僕に聞き込みされたらガキなんてすぐに喋るぞ」
「大丈夫だって。まずガキの所まで行き着けやしねえよ。仮に行き着いたとしても、すぐには喋らないさ。ああいう馬鹿みたいに真っ直ぐなガキはな、情に訴えかけたら案外、口が堅いんだ。今でもきっと思ってるぜ。あぁ、俺、良いことしたってなあってな」
やはりそうだ。カイさんのことだ。彼はこの男性達に騙されて私を呼び出したのだ。
なんて酷い、と思った。
なんて酷いことをするのだろうと。大人が子供の純粋な気持ちを――カイさんの人を助けたいと思った気持ちを利用するなんて。こんなこと彼が知ったらきっと傷ついてしまう。自分が騙されたせいで私が彼等に捕まっていると知ってしまったら――。
「それでも早めに手を打っておくことに越したことはないだろ」
茶髪の男性が口にした言葉に、私は嫌な予感がした。
「はぁ?」赤毛の男性はわずらわしそうに言う。「楽しんだ後でもいいだろ。それでも心配ならそちらで始末してくれよ」
「あの子に何をなさるおつもりですか……!」
そこで私は思わず声をあげていた。
三人の男性が一斉にこちらに顔を向ける。
「やっと、喋ったな」
赤毛の男性が、にやり、と笑みを浮かべた。
「彼には手を出さないでください」
そう真剣に訴えるも、赤毛の男性は依然と笑みを浮かべている。それは彼だけでなく金髪の男性も同じだった。二人はまるで愉快なものでも見るかのように目を細めてこちらを見下ろしている。




