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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1975年――12 黒い声1


 ぴちょん――と水が水たまりに落ちたような音が聞こえた。

 それで意識が浮上した私は瞼を開ける。

 焦点の合わない視界に入り込んできたのは、薄暗い部屋だった。

 石壁に覆われた殺風景で飾り気のない、冷たい印象を覚える四角い部屋。その部屋を壁に立てかけられた松明が、ぼんやりと照らしている。

 頬にはひんやりと冷たい感触がある。そちらへ視線を動かすと、そこには部屋の壁と同じく冷たい色の石畳が見える。それで自分が床に横たわっていることに気づいた。

 疑問に思うよりも先に、身体を起こそうと試みた。けれど、身体が持ち上がらない。

 どうして、と考えて無意識に動かそうとした手に違和感を覚えたことでその原因に至る。


 手が動かない所為だ。

 両手が後ろで拘束されている。


 手首に感じる冷たい感触からして、おそらく鉄枷か何かがされている。

 その事実に頭が冷めてきて、朦朧としていた意識が段々とはっきりしてくる。

 それでもどうしてこんなことになっているのかが分からない。頭が混乱しているのか直前までのことが思い出せない。だけど、これが良くない状況であることは流石に分かる。

 だから胸の中に不安が生まれる。心臓の鼓動が速くなり、背筋に冷や汗が伝う。

 それでも身体をよじって何とか上体を起こす。

 すると後頭部から、ズキッ、と鈍い痛みを感じた。

 それが気付けになったかのように突然、直前までの記憶が蘇った。



「姉ちゃんにお願いがあるんだ」


 カイさんは真剣な眼差しを私に向けてそう言った。


「お願い、ですか」


 今まで見たことのないカイさんの様子に、私は少しばかりたじろいでしまう。いったい何を言われるのだろうと心配になる。それでも気を引き締めて待っていると、彼は「うん」と強く頷いてそれを口にした。


「助けてあげて欲しい人がいるんだ」


 人を助ける。それは。


「どういう意味で、でしょうか」


 先日の今日だ。そんなこと訊かなくても予想はついている。それでも問題を先延ばしするかのように、思わず私はそう問い返していた。

 カイさんは説明足らずだと思ったのか「あ」と零すと補足してくれた。


「えっと、怪我を治して欲しいってこと」


 やはり、と思う。そうだろうと。

 私はすぐに言葉を返せなかった。返事に迷っていたからではない。言うべきことはもう決まっていたからだ。ただ、それを口に出すことを躊躇していた。

 そんな私をカイさんは無垢な瞳で見つめてくる。彼は期待している。私が先日のようにすぐに助けに動いてくれることを。

 私だって本当はそうしたい。二つ返事で彼の願いを聞き入れたい。

 でも、もうそれはできない。星教せいきょうで生活を見てもらっている身である自分は、修道院での規則を守る義務がある。だというのに私は先日、自分の我儘でそれを破ってしまった。そのことに関して今さら後悔はしていないけれど、本当に反省はしているのだ。

 だからもう勝手をするわけにはいかない。

 見習いは魔法を使ってはいけないという規則も、それを二度と破らないようにというユイ先生との約束も破るわけにはいかない。


「すみませんカイさん。この間は言いつけを破ってしたことなのです。本来、見習いは魔法を使ってはいけなくて……ですからまずは院長先生に相談してから――」

「大人は駄目なんだ!」


 カイさんは思わず、とでもいう様に私の言葉を強く遮った。そして自分の声の大きさに、はっ、とすると声の調子を落として続ける。


「その人ね、大人の人に痛めつけられたらしくて、だから大人が怖いんだって。でも修道女様なら親切にしてもらったことがあるから信じられるって。だからお願い。助けてあげてよ」



 カイさんは必死に私に訴えた。

 ただ一途に。人を助けたいと思っていた。

 それを私が断ってしまったら、彼はきっと自分の無力さを思い知ってしまう。

 自分には人を助けられないのだと、何も出来ないのだと痛感してしまう。

 それは私にも覚えがあることだった。だから引き受けてしまったのだ。彼に昔の自分のような思いをしてほしくはなくて……。

 そしてカイさんの案内で辿り着いた空き家には、確かに傷ついた人がいて。

 治療をしていたら頭に衝撃が――。


 ――そう、頭に強い衝撃が走ったのだ。


 おそらく連続的に走る後頭部の痛みはそのためだろう。傷の具合を確かめたいけれど、両手が拘束されているので触診することもできない。だけど、これだけ痛むということは、ただの打撲ではない気がする。

 外側、または内側に損傷を受けている可能性がある。

 だとしたら早く手当てをしないと――。

 そこで微かな足音が耳に入ってきた。私は思わず息をひそめてその音に耳をすませる。足音は少しずつ大きくなっている。その、カツカツ、と鳴る靴音の音程は一定ではない。おそらく靴の種類による音の違いだ……つまり複数だ。複数人がこちらにやって来る。

 そのことに自然と身体が強張った。

 はっきりとした状況はまだ分からない。でも、こんなことをする人達が善良な人間でないことぐらいは分かる。

 何度か不規則な足音が鳴ったあと、鉄格子――ここは牢なのかと今さらながらに気づく――の間から顔が見えた。

 顔を覗かせたその人は私を見咎めると、この場にまるでそぐわない晴れやかな笑顔を浮かべた。


「おっ、目が覚めたか」


 初めて聞くその声に、どうしてか胸がざわついた。


 キィィ、と牢の扉が音を立てて開かれる。

 牢に入ってきたのは三人の男性だった。

 その内の一人は見覚えがあった。怪我人の友人だと名乗った人物だ。茶色の髪で頬に傷がある。

 あとの二人は知らない人だった。

 その知らない二人はじろじろとこちらを見ている。それは茶髪の男性も同じなのだけれど、その二人は何というか無遠慮だ。まるで見定められているような、視線で舐め回されているような、そんな感じがしてしまう。それが何だか不快に思えて、私は思わず眉をひそめた。

 知らない人の内の一人は最初に声を発した人だった。

 赤毛で両耳には沢山のピアスがつけられている。彼はまるで子どものような無邪気な笑顔を浮かべると、両手のひらを合わせて言った。


「よかったー目が覚めて。殴るの強すぎたかと思って心配したぜ」


 それは言葉の内容とは裏腹に、妙に明るい声だった。

 そんな彼の声を聞いてまた胸がざわついた。知らないのに――知らないはずなのに、その声を聞いていると、どうしてか不安になってくる。ベリト様の声に感じるものとは真逆の感情が、胸の内に浮かんでくる。


「何もよくねえよ」そう言ったのは最後の一人、金髪の男性だった。「実際やりすぎなんだよ。ったく、死んじまったらどうするんだ。ここには治療士いないんだぞ」


 その声にも私の胸は反応した。追い打ちをかけるように不安が強くなっていく。


「それはそれでありじゃん」赤毛の男性が笑う。

「俺にそういう趣味はないんだよ」金髪の男性も眉を寄せながらも口端をあげている。


 ……この人達はいったい何の話をしているのだろう、と思った。

 人の生き死にを、どうして笑顔で話せているのだろうと。


「だいたいお前は――」


 それからも知らない二人の男性のやり取りは続いた。

 その光景を前に、私は何も考えられなかった。

 目の前に繰り広げられている会話が、あまりにも理解の範疇を超えていて。

 だからただ呆然と、笑顔で恐ろしい会話をする二人の男性を見上げるしかできなかった。

 やがて話が終わったのか、唐突に赤毛の男性が跳ねるように目の前にしゃがんできた。



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