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少女と白の心  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1975年――01 人嫌いの治療士3


「お気を付けて」


 修道院裏門の衛兵さんに頭を下げ、私は歩き出した。

 地図に従い、まずは修道院の外壁を右手に見ながら進む。

 外壁の反対側には住居らしき家が並んでいる。中にいたときは壁で外が見えなかったので知らなかったけれど、どうやら修道院の回りは住宅街となっているらしい。だからか、それとも午前中という時間帯もあるのか、私が歩いている通りには今、三人ほどしか人がいなかった。

 そのうち二人は剣を腰に携えた男女だった。二人は同じ制服を着用しており、その制服は子供のころに見覚えがある。城下守備兵だ。おそらくこの辺りの巡回をしているのだろう。

 そしてもう一人はホウキを手に落ち葉を掃いている女性だ。彼女は私に気づくと微笑んで「こんにちわ」と挨拶をしてくださった。初対面を感じさせない態度から、いつもこうしてお役目で外出する見習い修道女に声を掛けてくださっているのかもしれない。見習い修道女だということは、修道着で判別は容易だろうから。


 少し歩いて修道院の外壁が途切れると、私は手元の地図を確認した。

 紙面には目的地までの道だけではなく、そこに辿り着くまでに目印となる建物の絵が俯瞰から描かれている。しかもその絵は本の挿絵かと見間違えるほどに上手だ。


 この地図は本物を用意したわけではなく、紛れもなく先ほどロネさんが一生懸命、描いてくださったものだった。


 ロネさんは私達三人が雑談している間、ものの五分ぐらいでこの地図を描きあげると、笑顔で差し出してきた。私はどんな可愛らしい地図が出来あがったのかと微笑ましい気持ちで受取りながら見て、大層驚いた。

 きちんと地図の体を成していたことはもちろん、それに加えて絵まで上手で、正直とてもロネさんが描いたとは――本当に失礼な話だけれど――思えなかった。

 驚き唖然としながらアルバさんとリリーさんを見ると、彼女たちは「そういやこれも取り柄だったな」「意外ですよね」と苦笑して言った。

 私はロネさんにお礼を言いながら、人を言動で判断してはいけないと、深く反省した。

 

 地図通りに進んでいくと、やがて道が広くなり行き交う人が増えてきた。

 その手には何も入っていないかごを持つ人や、いっぱいに詰め込まれた袋を抱えている人もいる。袋からはみ出た果物を見るに、この近くに商店か市場があるのかもしれない。それは地図には記されていないので、目的地はその手前なのだろう。

 さらに少し歩くと左手に花屋が見えてきた。

 地図には花屋の手前を入ると記されているので指示通りに角を曲がると、花屋の店頭にいた女性が微笑んで会釈してくださった。地図を見る限りでは治療士様のお宅へ行くにはここが最短なようなので、見習い修道女を見慣れているのかもしれない。

 そうして突き当たりを道なりに右折した左三件目――そこが目的地だった。


 治療士様のお住まいは、二階建ての大きな住宅だった。


 外観の装飾が年代を感じさせる作りで、規模もここまでの道中で見てきたどの住宅よりも一回り大きい。外観と大きさから、これが貴族様の別宅だと言われても信じてしまうぐらいには立派だ。

 そして一階はこの手の家には珍しく、扉が二つある。

 左の扉は住宅の入口で、右の扉は仕事部屋の入口だと聞いている。

 仕事部屋の方は外構えが店舗のような作りになっているけれど、店舗に不可欠な看板らしきものはどこにも見当たらない。てっきり仕事部屋というのは個人治療院のことだと思っていたのだけれど、これを見る限りではどうも違うらしい。


 こういうお仕事を専門にされているんでしょうか――手元の課題を見て思う。


 私は右の扉へと近づくと、左右の大きな窓を見た。

 アルバさんの話では治療士様はこの時間、必ずこちらで仕事をなさっているらしい。でも窓にはカーテンがきっちりと引かれており、外からではその様子を覗うことができない。

 続けて、入る時は扉を叩かなくていいとも言われたけれど、それだと知らないお家に勝手に上がり込むようで、無礼を働くようで何だか躊躇してしまう。せめて窓から中に人がいることを確認できるのなら、まだ心の準備のしようがあるのだけれど……。

 と、そこまで考えて、私は頭を振った。

 ここまで来ておいて、今さらためらっている場合ではない。

 治療士様はその行為を許してくだっているのだから、きっと失礼にはあたらないはずだ。

 それにあまり時間をかけると、アルバさんが心配してしまう。

 ただでさえ私は彼女の同行の申し出をお断りしている。心配だと言う彼女に、これぐらい大丈夫ですからと豪語してしまっている。だから言葉通り、これぐらいのお使いは難なくこなせるのだと早く戻って示さないと。


 私は扉の取っ手を持つと、意を決してそれを押した。

 扉が軋む音と共に、頭上から、リンリン、と小さく鈴の音が鳴る。

 扉の上を見ると、内側上部には小さな鈴が付いていた。もしかしたらここが何かしらの店舗だったころの名残なのかもしれない。

 私はなるべく音を立てないようゆっくりと扉を閉めると、室内に目を向けた。

 室内は薄暗かった。部屋の照明はカーテンを通り抜けた陽光のみで、魔灯まとう――照明魔道具――は見受けられるものの明りは灯されていない。

 明るいのが苦手なのだろうか、などと思いながら室内を見渡す。

 内装は仕事部屋らしい様相をしていた。部屋の中心に応接机とソファ。壁際には本や書類や薬品らしき瓶が詰め込まれた複数の棚に、執務用らしき立派な机と椅子。正面奥には壁に向けて設置されている、普通より脚が高めの作業用だと思われる長い机。そしてそれらの机の上には、どこもかしこも紙束と本と何かの道具で乱雑していた。

 そんな中、部屋の主である治療士様は正面奥、背を向けて立っていた。

 扉の鈴が鳴ったので来訪には気づいているはずだけれど、それでも全く意に介さない様子で作業机に向かっている。


 その後ろ姿の印象は、黒い、だった。


 それは白衣を黒くしたようなものを身に付けているから、という理由だけではない。


 下から上までまさに全身――そう、髪色までもが黒く染まっているからだった。


 私が黒い髪の人を見たのは――記憶がある限りでは――初めてだ。

 修道院にも、ここまで来るまでにすれ違った人の中にもいなかったことから、おそらく珍しい髪色なのではないかと思う。そしてだからこその、クロ先生、なのだろうと。

 私は物珍しい気持ちが抑えられず、治療士様の黒髪を、じっ、と見てしまう。

 治療士様の黒髪は真っ直ぐだった。長さはおそらく肩下ぐらいで、それを後ろで一つに束ねている。それにより露わになっている首筋は、黒髪との対比で白く浮き出ているように見えた。


 ……?


 そこで私は何かに違和感を覚えた。

 それを確認するため、薄暗い中、目をこらす。

 治療士様の首は白く細かった。それだけでなく、薄暗さと身なりの黒さから一見して分からなかったけれど、全体の輪郭線もすらりとしている。

 そこでやっと私は、その事実に気がついた。


 ――女性だ。


 私は今の今まで、てっきり治療士様は男性だと思っていた。

 ロネさんが怖がるぐらいだから、体格が大きいとか強面の人とかなのだろうと。

 だから気持ち身構えてここに来たのだけれど、治療士様が女性と分かり幾分か安堵を覚える。同じ怖い人でも、やはり男性よりは女性のほうが気が楽だった。

 治療士様は未だに訪問者を気にすることなく、作業を続けている。

 お声がけしないと、と緊張して考えて、ふとロネさんの言葉が思い浮かんだ。


『お名前はリベジウム先生だよ! クロ先生はあだ名だから言ったら駄目なんだよ! 言ったらきっと殺されちゃうから気をつけて!』


 流石に殺されはしないだろう、と私は内心笑う。

 同時に真剣にそう忠告するロネさんの姿も思いだし、気持ちまで和んでしまう。

 あの様子からするに、彼女は本当に治療士様を恐れているらしい。ここまで来ると、逆にどんな人なのか興味が湧いてくる。ここに来てそう思ったのはおそらく、治療士様が女性と分かり気持ちに余裕ができたからだろう。

 そしてロネさんのお陰で緊張も和らいだ今なら、難なく第一声を口に出来そうだった。

 リベジウム先生ですね。……よし。


「リベジウム先生、授業の課題を持って参りました」

「その辺に置いとけ」


 目の前の背中からすかさず飛んできたのは、人を突き放すような物言いだった。

 それを聞いてアルバさんの言葉が脳裏に浮かぶ。


『言葉使いも端的だし冷たい感じはするよね』


 確かに、と思う。あのロネさんがこれぐらいで怖がるとは思えないけれど、でも今の一言で大抵の人が彼女にそういう感情を抱くのは理解できた気がした。

 でも理解はできても、同じではなかった。

 私には、彼女に対してそういう負の感情は少しも湧き上がらなかった。

 それどころか――。


「他に何かあるのか?」

 問われて私は、はっ、とすると、

「いえ。すみません。女性の方だとは知らなくて」

 言い訳のように、思わずそう口にしていた。


 おそらくここに訪れる見習いはリベジウム先生が女性だと知らされている。

 だからだろう。流石に発言が不可思議と思ったのか、ここで初めて彼女は肩越しに振り返った。


 リベジウム先生は色白の、綺麗な人だった。


 肩越しなので横顔しか確認することができないけれど、それだけでも目鼻立ちがはっきりしていて整っていることが分かる。年齢も想像していた以上に若い。いやそもそも性別を勘違いしていた時点でその想像は端から意味を成さないのだけれど、おそらく二十代前半ではないかと思う。

 そして目。

 彼女の瞳は、金色だった。

 私は黒髪と同様、金の瞳の人には今まで出会ったことがない。

 だからそれだけでも珍しくて目が離せないのに、その金色は透きとおっていて不思議と光を帯びている。


 その神秘的で綺麗な金色が、薄暗い室内で光る瞳が、私にはまるで夜空に輝く星のように見えた――。


 でもその星は、切れ長の目元のせいか、下半円しか覗いていなかった。

 だけどリベジウム先生がこちらを見咎めた時、その半円が一瞬、丸くなった、気がした。


「見ない顔だな」


 吸い寄せられるように金の瞳に見とれていた私は再び、はっ、とすると慌てて答えた。


「挨拶もせずに失礼しました。フラウリア・ミッセルと申します。半月前にルコラ修道院に参りました」

「チビガキはどうした」


 一瞬、誰のこと指しているのだろうと思ったけれど、状況から考えてすぐにロネさんのことを言っているのだと気づいた。


「今日は所用、がありまして、ですので私が代わりを」


 私は咄嗟に嘘を付いてしまっていた。

 もちろん嘘なんて付きたくなかったけれど、だからといって嫌がっていたので代わりを申し受けたとは、ロネさんの印象も悪くなるので流石に言えなかった。

 リベジウム先生は何も言わず半円の瞳で、じっ、とこちらを見ている。私が言葉に詰まったので、訝しんでいるのかもしれない。もし嘘を見抜かれて叱られたとしても、仕方のないことだと思った。

 リベジウム先生が無言の間、私は審判を待つような気持ちで黙っていると、やがて彼女は「そうか」とだけ呟き、再び背を向けた。

 そして、カリカリ、という音が部屋に流れ始める。リベジウム先生がペンを走らせている音だ。

 私は、ほっ、とすると目の前の紙束と本で乱雑する応接机を見た。

 持ってきた課題は未だに手の中にあった。その辺に置いておけ、とリベジウム先生は言っていたけれど、この上に重ねて置いては他のと混ざってしまわないかと心配になる。だからといって唯一空いてるソファの上に置くのもどうだろうか。


「まだ何かあるのか」


 言われて視線をあげると、リベジウム先生は変わらず背を向けていた。

 でもペンを走らせる音は止まっている。


「いえ、どこに置こうかと」

「ソファにでも置いといてくれ」


 リベジウム先生はそう言うと、再びペンを走らせ始めた。


 彼女のその物言いが、声音が、先ほどよりも柔らかく感じたのはおそらく私の、気のせいではないだろう――……。



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