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少女と白の心  作者: 連星れん
前編
39/198

大陸暦1975年――10 夜市5


 商店街の終点に位置する階段上の高台。

 その高台の柵に両腕を乗せて、イルセルナは商店街を見下ろしていた。

 眼下に広がるのは商店街で行なわれる年に一度の行事、夜市に訪れた多くの人々の姿。それらは様々な表情を浮かべながら一様に祭りを楽しんでいる。


「何だか久しぶりね」


 そんな人々の様子を微笑ましく眺めながら、イルセルナは言った。

 それは独りごとではなく、背後にいる人物に向けている。


「貴女と夜市に来るの」


 背後から返事はない。それでもお構いなしにイルセルナは話しを続ける。


「何年振りになるのかしら。貴女が院長になってからだから……六年ぐらい? え、嘘、もう六年も経ったの? 時の流れが早すぎて驚くわ……」


 イルセルナはため息をつくと、人混みに向けていた視線を露店へと移した。


「それにしても良い匂いがするわね……昼食を食べそびれた身には堪えるわ。夕食もいつ食べられるか分からないし、こうなったら何か買ってきてもらおうかしら。折角だから貴女も何か食べない?」


 イルセルナは軽快に、くるり、と後ろへと振り返った。視界にユイの姿が映る。彼女はわずかながらに眉を寄せてこちらを見ていた。


「……ルナ、私は引率で来ているのだけれど」

「そうね」


 彼女が見習い修道女の保護者としてここに来ていることは知っている。


「そして貴女の部隊は警備協力で来ている」

「えぇ」


 それはもちろん、自分のことだから知らない筈がない。


「……駄目?」


 小首を傾げるイルセルナに、ユイはきっぱりと言い放った。


「駄目」

「駄目かぁ」


 イルセルナはがっくりと肩を落とした。

 まあ、それは分かりきっていたことだった。お互い仕事でここにいるのだから。

 だとしてもここ六年はユイの休みが合わなくて来られなかったので、ついイルセルナも気分が上がってしまっていた。

 夜市はこの辺りの修道院の見習いが参加できる唯一の行事であり、修道院時代に訪れたことがあるイルセルナにとっても大切な思い出の一つであったから。


 ――でも、もう私もユイもお祭りではしゃぐ歳でもないわよね……。いや、はしゃいでるのはいつも自分一人なのだけれど。


 自嘲気味にそんなことを思いながらイルセルナは商店街へと向き直ろうとした。しかし、小さく息が漏れる音が聞こえてその動きを止める。それからすぐにユイの声が聞こえてきた。


「夜市は明日もあります」


 その言葉にイルセルナは、ぱっ、と顔を上げた。


「まさか非番?」


 ユイがゆっくりと頷く。

 夜市の時に非番なのは、彼女が修道院長に就任して以来、初めてのことだった。

 それはユイが二日とも見習いの引率をしているからという理由だ。

 特にそういう決まりがあるわけではないのに――イルセルナが見習いの時も院長以外の修道女が引率をしていた――彼女は責任感からか院長就任以来ずっと自主的にそれを受け持っている。

 そのことにイルセルナも思うところがないわけではなかった。

 ユイが院長になる前は毎年欠かさず一緒に夜市に行っていたから尚更に。

 それでも人の仕事に口を出すのはイルセルナの性分ではないので、何も言わなかった。何年もそのことについては口を閉ざしていた。

 しかし去年、何かの拍子でつい拗ねるように口に出してしまった。何年も夜市に行けてないなと。それをユイは涼しい顔で受け流していたが、もしかしたら見えないところで効いていたのかもしれない。いや、かもではなく効いていたのだ。

 だからそれを覚えていて誰かに変わってもらったに違いない。もちろんイルセルナの非番を念頭に入れた上で。

 それを前日になってやっと教えてくれたのは、イルセルナを驚かせるためだろう。

 それはかなり貴重な、彼女なりのお茶目だった。

 そしてその思わく通りイルセルナは驚いた。が、それよりも違う気持ちが勝り、顔には驚きよりも笑顔が浮かんでいた。


「やる気が出てきたわ」


 もちろん元より仕事に手を抜くつもりはないし、いつだってやる気はある。

 それでもユイの言葉は、イルセルナにさらなる気力をみなぎらせるのに十分であった。


「単純ですね」


 率直にユイは言った。嫌みを含まない声だった。

 それにイルセルナは晴れやかな笑顔で答える。


「貴女にはね」


 ここで初めてユイが表情を緩めた。

 外だからか、それはいつも以上に控えめな微笑みだったけれど、それが見られただけでもイルセルナは満足だった。

 心軽やかに商店街へと向き直る。そして気持ちも新たに視線を下ろした。

 お仕事お仕事――と心の中で呟きながら人混みに目を向ける。

 夜市の客層は子供から老若男女と幅広く、殆どの人が豪華ではないにしても小綺麗な衣服を身にまとっている。

 それはこの辺りが星都せいとの北に位置する、通称、商業区と呼ばれる区画にある住宅街の一つなのが理由だ。商業区にはその名前の通り商売をしている人が多く、貴族はいないにしても商人や比較的裕福な平民が住んでいる。なのでそういう人間が一同に集まるこういう場所には当然の如く、それを狙ってやって来るものもいる。

 イルセルナはそれらの姿を探す。手前から奥の噴水広場の方まで注意深く眺める。

 人混みの中にはちらほらと見習い修道女の姿も見受けられる。しかしその人数は両手でこと足りるほどに少ない。見習いは明日行く子が多いからだ。もしくは夜市には行かずに、貰った小遣いで他のものを購入する子もいる。

 ユイもそれでよく本を買っていたな、とイルセルナは思い出した。

 彼女の場合は自分に付き合って夜市には行っていたものの、殆ど小遣いを使うことがなかった。ユイは自分で何かするよりも、見ることを好む子供だったから。あの頃の彼女にはその自覚はなかったが。

 そうして昔を懐かしみながら人混みに注意を向けていると、気になるものを見つけてイルセルナは視線を止めた。

 一人の男が人混みの中を不自然な縫いかたで移動している。


 ――なんとも分かりやすいこと。


 イルセルナは苦笑を浮かべながら「シン」と背後に向けて言った。振り返ると軽快な足取りで男が近寄ってくる。彼はユイに表情で挨拶すると、イルセルナに向かい合って芝居がかった礼をした。


「へい、ボス。お呼びですか」


 それは足取りと同じく軽い口調だった。

 口調はともかく、その言葉使いは普段の彼のものではない。


「なに? その小悪党みたいな小芝居」


 だからイルセルナは呆れるようにそう言った。

 男――シンはイルセルナが率いる特別捜査部隊、碧梟の眼(あおふくろうのめ)に所属する隊員だ。

 彼はイルセルナの右腕とも言える存在であり、古くからの友人でもある。その付き合いは修道院時代まで遡り、当時、世話役として常にイルセルナの側に付いていたユイとも旧知の仲だった。


「ほら、俺たち今日そんな格好だからさ。形から入ったほうがいいと思ってよ」


 シンはそう言って見せびらかすように両腕を広げた。

 彼の格好は良くも悪くも簡素であり、これといって特徴のない平服だった。腰に剣は携えてはいるものの、それだけではとても警備をしている軍人には見えない。それはイルセルナも同じで、いつもの仕事着ではなく平服を身に付けていた。

 碧梟の眼(あおふくろうのめ)は普段、各々が自由な武装をしている。一応、隊服はあるがそれを着ることは滅多にない。

 隊服は本来、身に付けている人間がどこの部隊に所属しているかを表わすものだ。

 それが騎士団や城下守備隊などの表立った治安維持任務に就く部隊ならば、制服は象徴と犯罪の抑止力として効果をもたらす。しかし、捜査や潜入など影ながらに動くことが多い碧梟の眼(あおふくろうのめ)には、隊服で所属がばれてしまうのは不都合以外の何ものでもない。

 だから普段は自由な武装をしているのだが、しかしこういう場所では逆に守備隊の制服でない武装集団がいた方が却って目立ってしまう。

 そのことから今日は隊員全員、平服で警備の任についていた。こんな格好では犯罪の抑止力にはならないだろうが、守備隊も少なからず配備されているのでその辺は問題はないだろう。


「そんで、いいカモは見つかったか」


 精一杯の悪い顔を童顔に浮かべて言うシンに、イルセルナはため息をついた。


「カモを見つけてどうするのよ。見つけるのはカモにする方でしょう?」

「隠語だよ隠語」彼は、にしし、と笑う。


 シンはイルセルナよりも年上で妻子もいるのだが、いくつになってもこんな感じだった。少年心が抜けないというか何というか。まあ、それが彼の面白いところでもあるし、時にはイルセルナも彼の冗談に乗ったりすることもあるのだが、今はそうもいかない。


「馬鹿言ってないで仕事して頂戴」イルセルナは商店街を見る。「噴水手前。飴屋近く。年齢おおよそ三十代。男。短髪。髪は焦げ茶。目は薄茶。右目の下にほくろ。左頬に小さな傷痕。無精髭。物盗り」

「りょーかい。ボス」


 シンはおどけるように軽い敬礼をすると、やって来たときと同じ軽やかな足取りで階段を下りていった。そして市民に溶け込んでいる部下を一人引き連れて、すぐさま人混みをかき分けその男を連行していく。

 本来このような軽犯罪を取り締まるのは城下守備隊の仕事だ。

 しかし、この時期は各地で同時期にまつりごとがあるため、どこも人手が足らず猫の手も借りたい状態に陥っている。元々、守備隊は人手不足なのだから殊更にだ。

 だからこういう時は他の部隊からも人員が駆り出される。イルセルナの部隊が今日、警備協力をしているのも応援要請に応じたからだ。

 正直、碧梟の眼(あおふくろうのめ)が抱えている事件の重要性や、イルセルナの権限を持ってすれば断ることも可能ではあった。だが、守備隊には常日頃から細やかな部分で助力してもらっていることもあり、困った時はお互い様の精神で引き受けたのだった。それに――。

 昔は自分も祭りを楽しむ側だったのだから、それを守る側に回るのも悪くない。



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