大陸暦1975年――10 夜市4
露店で食べ物を買った私達は、商店街の噴水広場へとやって来た。
商店街の道幅以上にくり抜かれた四角い広場には、商店街ほどではないにしても多くの人々の姿がある。その人々は噴水回りにある円形の段差やベンチに座って、露店で買ったものを食べたり話しをしたりしていた。ここは商店街の中心に位置するらしいので、休憩にはもってこいの場所なのだろう。
私はベリト様に先導されて広場を歩く。そうして噴水を右に見ながら辿り着いたのは広場の隅にあるベンチだった。ここは人が多く集まっている噴水から一番離れているだけあって人がおらず、気持ち祭りの喧騒も遠く聞こえる。こういう場所を選ぶのは何だか彼女らしい。
ベリト様はベンチに座ると私を見上げた。座るよう促しているのが分かったので、彼女の右隣に腰を下ろす。ベリト様はそれを見届けてから手に持っている包み紙を開き始めた。私も彼女に見習って手元の包み紙を開く。すると収められている肉串が姿を現わした。
これはベリト様が購入したのを真似したものだ。好きなのを買えとは言われたけれど、馴染みのない食べ物ばかりで目移りしてしまい、結局は彼女と同じものを選んでしまった。
お金はまたベリト様が支払ってくださった。やはり遠慮しても出させてはくれなかった。
私は包み紙から肉串を取り出す。串に刺されたお肉は大きさがばらばらだ。肉料理は修道院の食事でも出るけれど、その場合は綺麗に切り分けられたものが多い。だからこういう乱雑に切り分けられたお肉を木の串に刺したものは見たことがない。
見た目で言えば修道院で出るもののほうが綺麗ではあるのだけれど、この野生感が溢れる感じが却って美味しそうに見えてくるから不思議だと思った。
私は目を閉じて胸中で食前のお祈りを唱える。本来は手を組んでお祈りの言葉も口に出さないといけないのだけれど、今は両手が塞がっているし三食以外の食事なので簡略なお祈りで済ます。
そうして祈り終わってから「いただきます」と口にしてお肉をかじった。
歯ごたえがありそうな見た目に反して、お肉はとても柔らかかった。咀嚼すると口の中に肉汁とたれと香草の香ばしさが広がってくる。
「これ、美味しいですね」
感動しながらベリト様にそう言うと、彼女は正面を向いたまま「あぁ」と返事をした。お肉を食べているその顔にはいつもの仏頂面が浮かんでいる。
彼女の顔を見て私は一瞬、商店街に到着した時みたいに私の気持ちに合わせてくれたのかなと思った。けれどすぐにそれは違うだろうと思った。だってこの料理を選んだのはベリト様なのだから、わざわざ好きではないものを買うとは思えない。彼女は多少なりとも好んでこれを選んだはずだ。
つまりは、ただ単に好きなものを食べるときでも、表情が変わらないということなのだろう。
そういう感情も素直に表に出せないなんて本当に不器用なんだなあと、微笑ましく思いながらベリト様の様子を覗う。
彼女は黙々と肉串を食べ進めている。その一口は小さく、かじるときは肉汁やたれを零さないように包み紙を添えている。それは私もしていることだけれど、ベリト様の仕草は何というか、上品だった。
それも意外だったけれど――と思うのは何だか失礼だろうか――それよりも珍しかったのはベリト様が食事する姿そのものだった。
「ベリト様、お食事されるんですね」
率直な感想を述べると、ベリト様はこちらを見て眉を寄せた。
「私を何だと思っている」
「飲み物を飲んでいるところしか見たことがなかったので。でも、食事を忘れてお仕事されている印象は少しありました」
「まぁ……」ベリト様は視線を斜め上に上げる。「それはあながち間違ってはいないが。一人ならよほど腹が空かない限りは食べない」
「一人なら」
「使用人がいる」
「そうなのですか」
私は驚いた。ベリト様のもとに行くようになってからそろそろ二月が経とうとしているのに、これまでその使用人さんの姿を見かけたことは一度もなかった。仕事部屋には彼女の自宅へと直接繋がる扉もあるので、物音や気配ぐらいはしてもいいものだけれど……私が鈍感なのだろうか。
「セルナが勝手に雇った。お陰で食わざる得ない」
ルナ様が。それだけでも私は頬が緩む思いだった。
きっとベリト様の食生活を見かねてそうしたに違いない。
「それなら安心です」
私の言葉にベリト様が怪訝そうに眉を寄せた。
「何でお前が安心する」
「さあ、なんででしょうか。よく分かりません」
私は、にっこり、と笑ってみせた。
本当は分かっていたけれど、だいたいルナ様と気持ちは同じだと思うけれど、私ははぐらかした。
それを言うのが恥ずかしかったわけではない。
何となくそうしてみたかったのだ。
ベリト様は更に眉を寄せると、
「変な奴だな」
顔を正面に戻してそう言った。
「そうですね」
それには私も同意する。
そうして話しが途切れたので、私は噴水へと目を向けた。その回りには多くの人がいるけれど、見習い修道女の姿は一人も見当たらない。アルバさんに聞いたところによると、見習いは基本二日目に来るそうだ。その方が最終日ということで値引きやおまけなど、色々とお得なことがあるらしい。
それでも彼女達が当初、初日に行こうとしていたのはロネさんの希望によるものだ。彼女は毎年夜市を楽しみしているようで、二日目のほうがお得と分かっていても初日に行かずにはいられないらしい。
だから最初は自分に気にせず初日に楽しんでくださいと言ったのだけれど、有難いことにロネさんが私と行きたいと言ってくださったので、それでは明日にしようということになったのだった。
私はお肉を食べながら横目でベリト様を見る。彼女はすでに食べきったようで、広場をぼんやりと眺めている。
私がお誘いした時、ベリト様は初日ではないと行かないと言った。
それは見習いのほとんどが二日目に行くことを知っていたからだと思う。
なるべく見られたくなかったのだろう。他の見習いにお祭りに来ているところを。
それだけではなく、本当はお祭り自体にも来たくなかったのだ。
ベリト様はお祭りが人の多いところだと知っていたようだし、彼女の能力からしてもそういう場所は絶対に避けたいはずだから。
私の誘いに困ったような様子を見せていたのもそのせいだと思う。
でも、それでも。
ベリト様は私の誘いを受けてくださった。
彼女の優しさという弱みにつけ込んでしまったような気がしないでもないけれど、それでも人が多いところに一緒に来ることを選んでくださった。
それだけでも嬉しさが溢れてくる。
初めてのお祭りを楽しんで、もうすでに胸はいっぱいだというのに、それらを追い出してまで私の心に居座ろうとする。
それだけ彼女から得たものが私の心にとって優先的なものなのだろう。
大事だと感じているのだろう。
どうしてそう感じてしまうのか。
その感情の出所――根元がなんなのかは未だに分からない。
私の心は、私にすらもそれを明かしてはくれないから。
それでも、それが気にならないぐらいに私は満たされていた。
これまで感じたことがないぐらいに幸せだった。
その幸せを噛みしめるように肉串を食べていると、少しして視界の端に映るベリト様の身体がびくりと動いた。
私は顔を上げてベリト様を見る。彼女はこちらを見ていた。いや、顔だけはこちらを向いていて、視線は私の頭を通り越した先を見ている。
切れ長の目を見開いて、商店街の人混みの一点を。
「どうかされましたか」
その様子を不思議に思いながら私は訊く。
ベリト様はすぐには答えなかった。
黙ってそこに何かがあるように人混みを見据えている。
けれどやがて正面に顔を戻すと「いや、何でもない」と言った。
そして続けて独りごとでも言うように、
「気のせいだ」
と小さく呟いた。




